<8>譬えに嘘なし坊主に毛なし

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 夕方になると、遠くから微かなお囃子の音が聞こえて来た。  祭りを冷やかす気など到底起きず、ぼんやりと縁側で時を過ごす。  考えれば考えるほど、正直に打ち明けるのが得策に思えた。けれど、そんな勇気はとても湧きそうにない。  せめてもの誠意として、私物は全て纏めておいた。万が一、侑斗が今すぐ出て行くよう告げたら、抵抗せず受け入れるつもりだった。  日が沈み、灯りをつけないまま縁側に寝そべっていると、所在なげに置かれたほおずきの鉢が目に入った。  瀬名の指示に従うのは腹立たしいが、この鉢を抱えて坂を登った労力を考えると無碍には出来ない。  鉢は想像以上に重く、おぼつかない足取りで玄関へ運ぶ。どうにか門柱の傍に置いて顔を上げると、浴衣姿の親子連れが楽し気に坂道を降りて行くところだった。  坂の麓は橙色の明かりで埋め尽くされ、多くの人が行き交っている。舞紘の悩みとはまるで無関係な景色を眺めていると、長身の男が坂を上がって来るのが見えた。 「…侑斗」  人の流れに逆らい、侑斗は半ば走るようなスピードで坂を登っている。佇む舞紘に気付くと一層速度を上げた。  夜遅くなると言っていたのに、もう帰って来たのか。心の準備が出来ないままの対面に、心臓がばくばくと跳ね上がる。 「…おかえり」  会うのが怖かった。でも、やっぱり顔を見れると嬉しくなる。 「ただ、いま…」  侑斗は顎からしたたる汗を拭い、門柱にもたれかかる。ほおずきの鉢を見ると、荒い息のまま「瀬名さん、来たのか」と尋ねた。  やっぱりこの話になるよなあ、と諦めまじりに肯定する。 「うん。…来たよ」  侑斗は何か言いたげな表情を浮かべたが、無言のまま家へと入っていった。 「これ、なんだ」  玄関に置かれたキャリーバッグに、「俺の荷物」と正直に白状する。  怒りからか、侑斗の顔色がさっと青白んだ。風呂場へ消える後ろ姿を見送り、不安な気持ちを抱えたまま縁側でビールを煽っていると、髪を濡らしたままの侑斗が戻ってくる。 「飲む?」 「いい」  麦茶を飲みながら、隣に座る。 「早かったね、帰ってくんの。飲み会は?」 「…瀬名さんが変なこと言うから、気になって帰って来た」 「…そっか」  変なこと──確かに、それ以外言い表しようがないかと思う。  一緒に住んでいる人間に、いきなり「お前に惚れてる」なんて言われたら、誰だって驚く。舞紘は誰からの好意も嬉しいが、侑斗のように一途なタイプは、望まない好意は鬱陶しく感じるかもしれない。  覚悟を決めて、頭を下げた。 「侑斗。──ごめん」  床の木目を見ながら、誠意が伝わるようしっかりと告げる。 「お前のこと、実果子と瀬名さんから聞いた。…勝手にかぎまわるようなことして、本当に、ごめん」  侑斗は黙っていた。こんなに恐ろしい沈黙は生まれて初めてだった。 「気になるなら、お前に直接尋ねるべきだった。許してもらえるとは思ってないけど、本当に、ごめん」 「怒ってない」  静かな声に顔を上げる。  侑斗は穏やかな眼差しで舞紘を見つめていた。 「二人から聞いたっていうのは、俺がゲイだってことと、瀬名さんを巻き込んで騒動起こしたことだよな」 「…うん」 「全然構わないから。気にするな」  労わるような言葉が、余計罪悪感を煽った。 「再会する前から、瀬名さんとのことも、ゲイだってことも、もうとっくに知ってると思ってたんだ。バレるのは時間の問題だったんだよ」  扇風機の位置を調整して胸元を仰ぐ。肩の荷が下りたかのような姿に、なんだか寂しくなった。  心のどこかで、否定されるのを期待していた。  もしそれが嘘だとしても、信じるつもりでいたのに。 「…一緒に暮らすの、やめるか?」  問いかけは優しかった。その分、何倍も辛かった。  舞紘の告白を受けての提案だ。侑斗の答えは聞くまでもない。 だが、曖昧な言葉は卑怯だし、侑斗らしくないと思った。僅かな怒りを堪えつつ、中途半端な問いに返事を迷っていると、痺れを切らしたように侑斗が言葉を重ねた。 「俺が出て行く」 「──え」 「瀬名さんには話つけておくから。この家のことは、庭の水やりと、掃除だけ……」 「そんなのおかしいだろっ」  見当違いの気遣いに、抑えていた怒りが爆発した。  「お前が住んでた家だぞ。出て行くなら俺の方!」  舞紘の剣幕に、侑斗は戸惑ったようだ。 「別に俺の家ってわけじゃない」 「変な気遣いすんな。いらねーよ。ただ、出て行く前に…」  侑斗が身構える気配を感じる。半ば捨て鉢の思いで口にした。 「話がある」 「…うん」 「俺…」  ぎゅっと目を瞑る。息を吸う。  高校時代の侑斗と今の侑斗。ぶっきらぼうでも、優しくても、舞紘をずっと見守っていてくれた侑斗。  どちらも大好きだ。真っ直ぐで、自分が正しいと思ったらすぐに行動に移せる強さに憧れた。  一歩でもその姿に近付きたい。見栄も、嘘もまとわず生きてみたい。実現できるかは分からないけど、願う事から始めたって良いじゃないか。 「お前にずっと嘘ついてた」  握った掌が震えていた。でも、侑斗の顔を真っ直ぐに見つめた。  知らないといけない。逃げてはいけないのだ。 「実業団を休んでる間、寮を出てるとか、彼女の家に住まわせてもらってたけどちょっと距離置いてるとか…どっちも嘘なんだ。もう、実業団はとっくに引退してるし、彼女とも別れてる。空っぽの自分が嫌で、久々に会ったお前に見栄はりたくて嘘ついてた」  飲んだビールの名残もないほど喉は乾き、声はみっともなく震えていた。 「…本当に、ごめん」  嘘をつく時、心が揺れることなんてなかった。それは、自分の本当の気持ちと向き合っていない証だったのだと気付く。  自信がなくて、泣き虫で、努力することしかできなかった。そんな舞紘を、侑斗は認めてくれた。  あの春の日に戻りたい。嘘なんてつかずに、お前の家に住まわせてよと甘えれば良かった。  侑斗は躊躇いがちに手を伸ばし、震える舞紘の拳を包んだ。そんな優しさを示されるとは思わず、呆然と侑斗の顔を見返す。  だが、目が合った途端、侑斗は自分がしたことを恥じるかのように手を離した。淡い期待を砕かれ、唇を噛んで俯く。 「舞紘」 「…うん」  叱咤か、軽蔑か。 「それは、なんとなく知ってたから」  ──え?  驚きでぱかりと口が開く。  侑斗は気まずげに首筋をかいていた。 「えっ…え?」 「悪い、言葉が間違ってたかも」  落ち着けといわんばかりに、戸惑う舞紘の両肩に手を置く。 「彼女のことは、別れたのを知ってたわけじゃなくて、俺といる間に自然消滅したんだろうって解釈してた。引退の件は…」  言いづらそうに申告する。 「月陸に書いてあっただろ。だから、覚えてた」 「げ、月陸って…」  確かに、侑斗の部屋で月陸を見かけた。あの時は、自分が取材された号にしか意識がいかず、他の号には気付かなかった。 「なんで月陸なんてマニアックな雑誌、一般人のお前が読んでるんだよ!」  侑斗の眉根が下がる。  理不尽な怒りだと自覚していた。謝るのは舞紘の方なのに、嘘がバレてた気まずさで逆切れなんて最低だ。  冷静になろうと目を瞑る。数秒経ってから改めて言葉を選ぼうとしたけれど、どれが正解か分からなかった。 「…どうして言わなかったんだよ」 「悪い」 「謝るのは俺の方!」  ちっとも冷静になれない。恥ずかしさと後悔でどうにかなりそうだ。 「怖くて言えなかった」  侑斗の言葉に、ショートしかけていた思考がぴたりと止まる。 「前も言っただろ。隠したいことなんて誰にでもある。それを他人に勝手に暴かれたら腹が立つのも、傷つくのも当たり前だ。俺はお前を悲しませたくなかったし…出て行くって言われるのも、怖かった」 「侑斗…」  舞紘が出て行くのが怖い──初めて聞く、侑斗の本音だった。  驚いた。侑斗がそんな風に考えていたなんて、思いもよらなかった。  奥底に眠っていた悲しみに触れることを許された気がして、自分に出来ることはないか必死に考える。  侑斗の根っこにある寂しさを知ってる人。それは、誰よりも傍にいた、気の強い昔馴染みだ。 「侑斗」  肩に置かれた手をつかみ、まっすぐ見つめる。 「実果子と仲直りしろ」  きゅっと眉根が寄った。なんでだよ、という声が聞こえる気がする。 「正義感強すぎるし、空気読めないところもあるけどさ。あいつ、本当にお前のこと心配してるよ。…今のままじゃ、可哀そうだろ」  お前、寂しいんだろとは言えなかった。お互い様の感情を、侑斗一人のものだと言いたくはなかった。  侑斗は舞紘の手をどかすと、庭に向かって座りなおした。  前髪をかきあげ、はっきりした口調で言う。 「断る」  再会して以来、侑斗から拒絶されるのは、これが初めてだった。 「なんで」 「意味がないからだよ。実果子は、俺が後悔してないから腹を立ててるんだ。でも、俺は今も、これから先も、あの夏のことを後悔なんかしない。仲直りなんてできっこない」 「…瀬名さんを利用したことも、地元を出たことも、一個も後悔してないっていうのか?」 「ああ」  言葉に秘められた意志の固さに悲しくなった。 「…なんで?」  情けない声が漏れる。  侑斗の強さの理由が知りたかった。だって、舞紘は後悔してばかりだ。 姉の魂胆を見抜けなかったこと、足首を酷使して引退せざるを得なくなったこと。侑斗について、何も知らずにいたこと。  侑斗はどこか悲し気に微笑んだ。 「…お前が、好きだったからだよ」
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