<8>譬えに嘘なし坊主に毛なし

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 沈黙が続いても重苦しくならないのは、場にそぐわない祭り囃子のせいだ。 頭を大量の疑問符で埋め尽くしながら、今しがた耳にした言葉を繰り返す。 「…俺が、好き?」 「聞いたんだろ、瀬名さんからも、実果子からも」 「ちょ、ちょっと待て」  慌てるあまり、ビール缶を倒しかける。わきによけて、必死に整理した。 「俺…え?好きって、え」  侑斗が傷ついたような眼差しを浮かべ、「違う!」と慌てて否定する。 「違う。しらばっくれてるとかじゃない、本当に知らない!」  大体なんだよ、と動揺しながら矢継ぎ早に言葉を放つ。 「じゃあなんだよ、出て行くとか、一緒に暮らすのやめるとか!俺のこと好きなら、一緒に…」 「だってお前は女が…」 「俺が好きなのはお前だよ!」  侑斗がぽかんと見返してくる。何故か涙がこみあげてきて、必死に目尻をこすった。 「…ま、舞紘」 「ずる過ぎるだろ、瀬名さんから全部聞いておいて!」 「瀬名さんって、なんのことだ」  無防備な眼差しに混乱する。 「なにがって…お、お前瀬名さんから連絡いってるんだろ。俺のこと」 「連絡なんてきてない」 「じゃあなんで瀬名さんがここに来たこと知ってるんだよ!」 「ほおずきの鉢植えが置いてあったからだよ。事務所に来た時に舞紘のことを言ってはいたけど、お前が何か聞いてきたとか、そういう話はしてない」 「…なら、瀬名さんが言ってた『変なこと』って?」  言い淀むように視線を逸らしてから、ぽつりと呟く。 「……舞紘が、俺に…気がある的なことを…」 「……それだけ?」  こくり、と頷く。  だまされた、と気付いたのはそれから数秒経ってからだ。  ──瀬名のくそ野郎!  なにが全部話した、だ。適当ばっか言って、人のことなんだと思ってんだ!  胸の内で罵詈雑言を並べながら、まだ残っている疑問に我に返る。 「…いや、でもさ。俺が好きだったから、瀬名さんとキスするってどういうこと?」 「さっきから会話がすれ違いまくってる気がする」  気が抜けたのか、侑斗は床に横たわりながら言った。 「お前、実果子と瀬名さんから何聞いたんだ?」 「…お前がゲイだって。あと、瀬名さんとキスしてたって噂が広まって、地元にいられなくなったって」 「あとは?」 「…瀬名さんとキスしたのは、お前が好きだった、誰かを守るためだって…」  そして、その誰かは舞紘なのだと侑斗は言った。 気恥ずかしさと不可解さが交じり合い、両想いの現状を素直に喜ぶことができない。 「とりあえず、嘘を吹き込まれてないって分かって安心した」 「一人で安心するな。俺は何がなんだかさっぱりだ」  侑斗はため息をついてから体を起こし、飲みかけの缶ビールを煽った。 「お前、高三の時に、大会で怪我して入院しただろ」 「ああ」 「あの時のミスって、メンタルが原因なんじゃないか」  図星だった。  高三の夏の大会は、大学のスポーツ推薦に影響する。成績が安定せず、ストレスを抱える部員も多い中、姉と顧問の関係が知れ渡った。  最悪のタイミングだった。結果として、部員たちのストレスは全て舞紘へと向けられたのだ。  シューズやジャージが隠されるのは当たり前、無視や陰口も横行していた。  だが、本当に傷ついたのは部員の仕打ちではない。  競技に影響すると知りながら、なぜ顧問と関係を持ったのか。怒る舞紘に、姉は冷淡な口調で言った。 ──ずっと、あんたのことが嫌いだった。 ──優しくしてたのも、全部、嘘。  舞紘の無言を、侑斗は肯定と受け取ったようだった。 「お前が入院してる間、噂の内容がますます酷くなってたんだ。…あれだけ泣く姿を見てたら、お前がメンタル強い方じゃないってことも分かってた。噂が消えないと、走高跳を続けるのも難しくなるかもしれない。だから、決めたんだ」  侑斗は息を小さく吸い込むと、覚悟を決めるように眼差しを強めた。 「舞紘の噂よりずっと、インパクトのある、でかい噂を俺が流そうって。そうすれば、お前の話なんて誰もしなくなる。だから、人目につきやすい場所で瀬名さんとキスして、俺がゲイだって話が出回る様にした」  舞紘の噂が早々に消えた理由を、こんな形で知るとは思わなかった。 「…なんで?」  驚きのあまり、声が上擦ってしまった。 「なんでそんなこと、俺のために…」  侑斗は不機嫌そうに目をすがめる。高校の頃よく見ていた表情だ。 「小学生の時、実果子の母さんと一緒に、お前の家のバレエ教室に行ったことがあるんだ。教室の壁沿いに立って、レッスンを受ける子供達を眺めてた。そしたら、女の子の中に一人だけ男の子が混じってたんだ」  尋ねるまでもない。舞紘のことだ。  全く覚えがなかった。レッスン中によそ見をすれば母からぶたれるから、見学者を眺める余裕などなかったのだ。 「俺は男が好きなんだって、うっすら自覚して始めた頃でさ。自分は病気なのかもとか、バレたら親父に見捨てられるとか色々考えて、毎日怖かったよ。でも、女の子に交じって堂々とレッスン受けるお前を見て勇気づけられた。人と違くても良いのかもしれないって」  可愛かったしな、と付け足された一言に血流が盛んになる。 「高校で一緒のクラスになれて嬉しかったけど、友達以上の関係になれないなら、初めから関わらない方が良いと思ってた。でも…遠くから見るくらいは、良いだろうって」  美術室の窓から、陸上部の練習場が見えることに気付いて美術部に入部した。だが、いつも舞紘の姿が見えるわけではないし、部室にこもりっきりでは息がつまる。そうして巨木の上で過ごす時間が増えた頃、舞紘の泣き声に気付いたという。 「お前がどれだけ頑張ってたか、ずっと見てたから分かる。…だから思ったんだ。噂なんかに負けて、辞めるなんて絶対に駄目だって」  ──こいつ、馬鹿だ。  馬鹿も馬鹿、大馬鹿者だ。  そんな噂流して、父親との関係はどうなったんだ。友人にはなんて言われたんだ。どれだけ傷ついたんだ。  舞紘に一言もいわないなんて、どうかしてる。噂を流す前でも、後でも、相談してくれれば…。  ──侑斗がそんなこと、するわけない。  侑斗は舞紘の性格をよく分かっていた。メンタルが弱いこと。泣き虫を隠すことに必死なこと。見栄っ張りなこと。  仮に提案されても、舞紘は一笑に付しただろう。誰のことも信じられなかった時期だ。その上、侑斗に対して苦手意識を持っていた。  一番の馬鹿は、俺だ。  鼻の奥がツンとする。堪える間もなく床に落ちる涙に、侑斗が慌てて身を乗り出してきた。 「舞紘?どうした」 「…ごめん」 「なんで謝るんだよ」 「だって…っ」  しゃくりあげる姿を見られたくなくて、両手で顔を覆った。  恥ずかしくてたまらない。舞紘は自分のことばかり考えていたのに、侑斗は見返りも求めず、ずっと守り続けてくれたのだ。 「俺に、そんな価値ねえよ!」 「ある」  侑斗は迷いなく言い切る。 「あるよ。お前が分かってないだけで、俺にとっては…」 「もう地元戻れねえんだぞ!」 「構わない」  真っ直ぐなボールが、舞紘の心の中でバウンドする。 「地元も、父親も、俺の人生全部まとめても、お前の方が大事なんだ」 「お前の人生どーなるんだよ!」 「幸せだよ」  侑斗の声は、今まで聞いたどの音より柔らかかった。 「舞紘、俺は幸せなんだ。お前に会った時から、高校の時も、家を出て東京来てからもずっと。お前が元気に、やりたいことやってる姿見てると俺も頑張ろうって思えた。…お前は引くだろうけど、出てる雑誌は全部買ったし、試合も見に行ってたんだぜ」  いつの試合だろうと考える浅ましさが恥ずかしくて、また涙が溢れた。 「…俺っ、走高跳、辞めちゃったよ…っ」 「うん。でも、頑張っただろ」 「お前がそんな風に思ってくれたんなら、もっと頑張った。頑張れた!」 「もういいんだよ、舞紘」  侑斗の腕の中に包まれる。 「お前のジャンプ、好きだった。体丸ごと全部、何にも縛られないまま空に飛んでいくみたいで。でも、飛ばなくっても、普通に生活してるお前が好きだよ。見栄っ張りで、自信がないのを誤魔化そうとして、一生懸命頭働かせてるお前が好きだ」 「おい」  後半は悪口ではないか。睨みつけながら顔を上げると、唇が合わさった。
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