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聖カテドラル大聖堂、という早口言葉のような名前の教会は、なんとも奇妙な外観をしていた。
三角形の建物の外壁は棒状のスチールで覆われていて、左右の棟に繋がっている。近づけば近づくほど形が変わっていき、方向感覚すら失いそうだ。
入り口は随分天井が低く、洞窟のように薄暗い。不安に思いながら歩みを進めると、急に視界が開けた。
「…うわ…」
無機質なコンクリートの壁が一面に広がり、突き抜けるほど高い天井の四方には天窓が走っている。そこから降り注ぐ陽ざしの荘厳さに、舞紘はしばらく言葉を失った。
侑斗を探すと、一番後ろのベンチに腰かけていた。向こうも気付いたのか、無言のまま片手を上げてくる。
「すぐわかったか?」
少し距離を追いて座ると、小声で話しかけてくる。ペンを握った右手は、絶えずスケッチブックの上を走っていた。
「教えてもらってたから。何してんの、こんなとこで」
「スケッチと、実測」
説明しながら、床に置いたリュックを足先でつつく。
「大学の課題かなんか?」
「いや。趣味で」
なんとも勉強熱心なことだ。
話している間も、スケッチブックには教会の内部が描かれていく。
「で?」
「なにがだ」
「何で呼びつけたんだよ。用事は?」
侑斗はペンを止めると、じっと舞紘を見た。眼差しの圧に、思わず及び腰になってしまう。
「──俺じゃ、」
「飯でも行かないか」
早口で侑斗が言った。
「…え?」
「……嫌か」
不安そうに見つめられる。たかだか飯くらいで大袈裟な。
「嫌じゃないけど…」
「そっか」
ほっとした表情を見せられて戸惑う。一体なんなんだ。
「悪い、お前の話遮ったよな。なんだ」
改めて聞かれると言い出しづらい。舞紘は頬をかきながら、「財布だよ」と呟いた。
「中身でも減ってたのかと思って。だから…俺じゃ、ないって言った」
侑斗は虚を突かれた表情を浮かべた後、肩を揺らして笑った。
「…なんだよ」
「いや。そうくるとは思わなくて…」
そのままくつくつと笑い続ける姿に、舞紘の方が驚いてしまった。こんな気安い笑みを見るのは初めてだったのだ。
「元々、現金なんて大して入ってねーよ。言っただろ、毎月赤字だって」
金がないことを開けっぴろげにしながら、見栄も虚勢もない。卑屈さに拍車がかかりそうで、食事の誘いに乗ったことを早々に後悔した。
「もうすぐ終わるから、待っててくれ」
そう言われても、暇をつぶすものを持ち合わせていない。携帯でゲームをするわけにもいかず、目の前のベンチのポケットに差し込まれた聖書を手に取った。宿泊先のホテルで目にしたことはあるが、ちゃんと読むのは初めてだ。
──やっぱ断ろうかな。適当な嘘でもつけばいいし。
体調不良にするか、急用か。候補を出しながら頁を捲ると、開き癖のついた箇所で指が止まった。
『あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。』
ぞくりと背筋が粟立つ。光の中浮かぶ十字架に叱られた気がして、慌てて聖書を閉じた。
「中世ヨーロッパの教会を意識してるんだ」
侑斗がペンの動きを止めないまま話し始める。
「丹下健三って知ってるか」
「…知らない」
「広島の原爆ドームとか作った人だよ。戦後を代表する建築家の一人だ」
興味ない、と返そうとしたが、祭壇の正面、厳かに佇む十字架が目に入って口を噤んだ。
「教会作るってことは、その人もキリスト教徒なの?」
「いや、無神論者だ。…だけど」
侑斗はペンをTシャツの襟元にひっかけると、姿勢を正して祭壇を見つめた。
「初めてここに来た時、条件なしに、そこに神様がいるって思ったんだ。訪れた人にそう思わせる説得力がこの建物にある。すごい場所だよな」
華やかなステンドグラスがなくても、眩い光を浴びなくても、影の片隅、天井から注ぐ光のどこかに、誰かが──
──いるのかな。
もしいるのなら問いかけたい。
どうしてこんなにも早く、俺から走高跳を奪ったんですか。他にクソみたいな選手なんていくらでもいるのに、なんでフィールドを去るのが俺だったんでしょうか。
当たり前のように答えはなかった。らしくないことをしたと恥じていると、「行こうぜ」と侑斗が席を立った。
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