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連れてこられたのは、飯田橋と牛込神楽坂のちょうど真ん中、梅香坂を登り切った場所にある平屋だった。
庭を眺められる広い縁側と居間、三つの私室で構成されていて、昭和初期に建てられたそうだ。
どの部屋の窓にも網戸はなく(古い家は大抵そうらしい)、床を歩くとキシキシ音が鳴る。
「すごい場所に住んでるな、お前」
大学生ながら一軒家に一人暮らしとは恐れ入った。
「ここ、家賃いくら?」
「家賃は払ってない」
「え、なんで。持ち家とか?」
東京に親戚でもいるのだろうか。
「知り合いの家なんだ。庭とかの管理をする代わりに、家賃はタダにしてもらってる」
「へー」
風呂場やトイレは最新式で、冷暖房器具もそろっているため不自由さは感じないそうだ。羨ましい話だなと庭を眺めていると、「どう思う」と聞かれた。
「どうって?」
「この家」
「めちゃくちゃ良いじゃん。派手なタワマンより余程落ち着く」
そう言って縁側に寝転ぶと、侑斗が隣に座った。
「じゃあ、ここに住まないか」
「…え?」
「部屋なら余ってる」
侑斗は庭の樹を眺めながら言った。
「喧嘩して家出て、他の女の家にいるなんて、嘘ついて隠せば良いってレベルじゃないだろ。彼女に薄情なことするな」
──おいおい、マジかよ。
元同級生の彼女(仮)に対して、そこまで肩入れしてどうする。
全部嘘、と撤回したらどうなるだろう。侑斗は軽蔑の眼差しを向け、実果子に連絡を入れるかもしれない。彼女と別れたことはともかく、実業団を辞めたことまで知られるのは舞紘のプライドが許さなかった。
「そんな簡単に提案しない方が良いと思うけど」
腹筋で起き上がり、膝を抱える。
「他人と一緒に住むって、結構ストレスかかるよ」
財布の中身を確認しなかったり、大して仲の良くない同級生にルームシェアを持ちかけたり、侑斗は思いのほか開けっぴろげな性格のようだ。
──それとも、同郷の人間が恋しいとか?
「お前がストレスだって感じたら、いつ出て行っても良い。彼女と仲直りするまで、ここにいろよ」
侑斗の提案は確かに魅力的だった。問題は、仲直り相手がいないという点だが、些細な嘘の帳尻合わせは慣れっこだ。次の家を見つけるまでの間、借りられる宿があるのは有難い話に違いない。
やじろべえのように不安定に動いていた心がぴたりと止まった。
「じゃあ、しばらくお世話になろっかな」
久しぶりに上向いた心のままそういうと、侑斗はそっけない口調で「おう」と言った。
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