1人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
* * *
ドアがゆっくり開かれると、そこには、彼女が立っていた。俺の父と腕を組んでいる。
「新婦が入場します」
二人が大理石の通路を歩いてくる。これぞ、バージンロードといった印象。
窓の外から柔らかな光が差し込み、白いウェディングドレスをまとった新婦の姿を美しく照らし出す。
彼女――俺の妻となる新婦は、喜びと緊張が入り混じった微笑みを浮かべていた。
椅子に座る友人たちが「本当にきれい!」「ドレス、すごく似合ってる!」と、ささやき合う。静かだったチャペルの空気が一変し、活気を帯びる。
新婦の姿に見惚れつつ、タキシードのポケットからこっそりとスマートフォンを取り出した。
そして、写真アプリを立ち上げて、新婦と父の写真を撮った。
パシャと想像より大きな音がしてしまう。それに気が付いたコーディネーターの女性が俺にサッと歩み寄ってきた。
「写真はカメラマンが撮っています。ご自分のスマホでの撮影は控えてください」
耳元で囁くと、風のようにいなくなった。
俺は苦笑いをしてスマホを確認する。
純白のドレスに身を包んだ彼女。今まで見たどんな写真よりも、美しく、幸せが溢れていた。
窓の外に広がる海に視線を移す。
ああ、この日を迎えることができて、本当に良かった。
人生転落の崖っぷちに立っていた3ヶ月前が、遠い昔のようだ。
* * *
飲み会を抜け出し、まっすぐ自宅に戻る。ノートを取り出し、白紙のページを開いた。
①横領
②万引き
③道路交通法違反
④器物破損
⑤不法侵入
帰路で過去の行動を、何度も振り返った。この6つの何れかが脅迫の対象だろう。複数かもしれない。
いずれにしても、最大で6個だ。これらを潰せれば安泰。
今日はできることはない。明日からが勝負だ。
一度はパニックになったが、ベッドに入る頃には冷静さを取り戻していた。
* * *
翌日、遅刻しないように出社した。
テレワークの予定だったが、変更して会社に出ることにした。
まずは『①横領』の処理だ。そのためには、出社するしかなかった。
方法は1つだけ。
経理課にコンタクトするのだ。そこから、情報が漏れた可能性があるかを探る。
自分の罪を隠しつつ、情報を聞き出すのは難易度が高い。
それでもやるしかない。
知り合いの経理課長にメッセージを入れた。『旅費精算のことでお尋ねしたいことがあります』と書いておいた。
ほどなく返信が来て、午後に会う約束を取りつけた。
「旅費精算なんて、マニュアル見てよね」
会議室に入ると、先に来ていた経理課長が苦言を口にした。
正論だ。
俺は、買っておいた缶コーヒーを机に差し出すことで、雰囲気を和らげることに成功した。
「何を聞きたいのかな?」
俺より10歳くらい年上だろう。年齢以上におじさん臭い課長が、缶コーヒーを開けた。
「あの、その……この前、大阪に出張したときの精算についてなんですが」
ヤバいと思ったが、言葉は取り戻せない。俺は遠まわしに話すのが苦手だ。仕方ないので、素直に話すことにした。
「新幹線を降りて、在来線で目的の駅まで行くとき、支払った額よりも、高いお金で経費精算してしまいました」
課長が眉を寄せた。
出張当日、会議まで時間があったので、遠回りして推奨経路より安い路線で移動した。
出張後、会社の推奨経路で精算をした。
結果、200円ほど俺は得をしてしまった。これは、会社の金を横領したことになる。精算したあとに後悔した。
「君……」
課長の顔を見て凍り付いた。「会社人生が終わった」そう思った。
「そんなことを、わざわざ言いにくる人、いないよ。数百円のことでしょ。この打ち合わせの時間だけで、その分以上のコストがかかっているよ。今回は目をつぶるから、次回はちゃんと会社の推奨ルートで行ってください」
課長は、俺の肩をポンと叩いて会議室を出て行ってしまった。
助かった……のか?
課長の態度を見ると、大事件ではなさそうだ。
その態度から察するに、仮に犯人に漏れていたとしても、犯罪として取り扱う必要はなさそう。
耐えた! 耐えたぞ!
最初のコメントを投稿しよう!