3 セイレーン

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3 セイレーン

 船旅は順調であった。帆はホオズキのように膨らみ続け、ひたすら西へ向かって滑るように海を切り裂いて走った。  船が喫水の浅い暗礁地帯に入ったおり、それは現れた。 「あ、あれを!」見張りに着いていたクルーが素っ頓狂な声を上げた。「女だ、裸の女が岩に腰かけてる!」  その一言で船内はたちまちパニックに陥った。耳を澄ませるとなにやら甘美な歌声のようなものが聞こえてくる。伝説上の人魚、セイレーンに違いない。  誘うような歌声を聞くなり、クルーたちは陶酔状態に陥ってしまった。目尻は垂れ下がり、口は半開き、よだれを垂らしながらふらふらとセイレーンのほうへ歩き出している。  青年は見張りの第一声が聞こえた時点で、自身を帆柱に括りつけていたため、人魚の魔力に惑わされずにすんだ。一人、また一人とクルーが海へ飛び込むなか、彼だけは冷静にセイレーンを観察できる立場にあった。 「みんな、よく見ろ!」青年は声を張り上げた。「あれは女なんかじゃない。海に住む動物だ。歌声は動物の泣き声にすぎん」  この叱咤激励により、クルーたちは徐々に正気を取り戻していった。確かに肌が白くて美しい女のように見えるけれど、よく目を凝らせばどう控えめに見積もっても人間とは思えない。男だけのむさ苦しい生活が続いていたため、彼らの願望が動物を若い女に誤認させたのだ。  海に落ちてもがいている仲間へ浮き輪を投げてやりながら、青年は人魚――のちにジュゴンと名づけられる動物――に手を振ってみせた。「またひとつ、伝説を打ち破ったぞ」
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