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『母親が殺された』
もう駄目だ。
お手上げだと、佐々野は両手を上げた。
これで九十二回目だ。ツチハシという男がここを訪れるのは。
誰々が殺されたと事務所に来て、ソファに座って飲み物をこぼして探偵が事務員にフォローを頼む。ツチハシは犯人を探してくれと依頼し、見つけてどうするつもりだと問われれば復讐すると返す。差異はあれど、この繰り返しだった。
深刻なバグである。他のキャラクターは規定通りリセットされているにも関わらず、ツチハシだけが同じ人間として生き続けているのだ。
『リセット』を使用してから初めてのことだ。
短命幸福を人類が掲げてはや三百年。荒廃した大地、慢性的な食糧難、度重なる戦争。
全てに嫌気が差した祖先は、『リセット』という装置を発明した。
一ヶ月ごとに別人として生まれ変わることができるその装置は、人類の希望となった。
人々は用意された箱庭で、一ヶ月ごとにリセットされる。記憶も体も全て一新され、新たな人間として生きていくのだ。引き継ぐことができるのは名前だけである。
この仕組みを知っているのは、佐々野を始めとした一部の上級国民だけだ。
箱庭の人間は、自分達がリセットされていることを知らない。
一ヶ月単位で別人になり、歩んでもいない人生を、ありもしない記憶を携えていることにも気付かない。リセットされたその瞬間から、自分はこういう存在だと勝手に認識してくれる。
さて、どうしてその事実を知らないのか。簡単な話だ。真実を隠すためである。
つまり、自分達が既に死んでいると、気付かれないため。
『リセット』を使用するには、ある前提条件がある。それは死んでいることだ。データ化した魂を取り込み、箱庭内のキャラクターに移植している。
移植時の負荷軽減のため、名前だけは同一のものを使用し続けるが、それだけでは自我を保てない。
いくつかキャラクターを乗り越えていく内に、いつの間にか自我を失うのがセオリーだ。
佐々野の祖先は、この装置を使って増えすぎた人口を減少させることに成功した。
国民を言葉巧みに唆し、死を選択させた。協力的でない者は、口で騙すか暴力を振るった。
残ったのは、一部の上流国民だけだ。
『リセット』の使用者は年々増えている。
佐々野の父親は何万もの国民を同意なく箱庭送りにしていたし、佐々野自身も、死を知覚させないまま使わせたことがある。
非情だと思うだろうか。しかし、仕方ないのだ。自分のような選ばれた人間は、いずれ本当の楽園を築き上げなければならない。
そのためにも、こんなことにかかずらっている暇はないと言うのに。
モニターを見る。ソファに座ったツチハシが、一ヶ月前とは違う名前の探偵に、同じような話をしていた。
家族を殺され、探偵に依頼し、復讐を誓う男。
死後、ツチハシが最初に入ったのが、このキャラクターだった。
一ヶ月後にはまったく別のキャラに入り、ツチハシと名乗るはずだったのだ。
それがもうずっと続いている。ずっとこの男の中に、ツチハシは住んでいる。
『警察は、警察は役立たずだ。ノカリは殺されてないと抜かす。体を燃やされてんだぞ』
事務員は持ってきたモップで、濡れた床を拭き始めていた。体が大きいせいで、手にしたモップがやけに小さく見える。
『なぁ、あんた探偵なんだろ? あいつを殺した犯人を、探してくれ』
佐々野は悩んでいた。どうすればこのツチハシを、他のキャラに移植できるだろう。そもそもなぜ、ここに居座り続けるのだろう。システムに反してまで、被害者遺族でいたい意味がわからない。
『探してどうするんです? 警察にでも突き出しますか?』
何か目的があるのだろうか。キャラを転々としていないのならば、まだ自我を保っている可能性は大きい。何かを狙って、こんな真似をしているのだろうか。だとしても、佐々野には見当もつかない。
もういいか、と呟く。考えたところでわからないし、今のところ問題も起きていない。
佐々野は諦めて、椅子から立ち上がった。ぬるくなったコーヒーを淹れ直そうと、モニタールームを出る。
『いや』
佐々野の後ろでは、ツチハシがもったいぶって首を振り、かさかさになった唇を舐めて言った。
『ぶっ殺してやる。復讐だ』
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