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とある所に絶世の美女が居た。彼女の四肢は純白のミルクパズルの様に何者にも染められず、その髪は鴉の濡れ羽の様に美しくも妖しい黒を象っている。しかし、それらが彼女の付属品にしか過ぎない思わせる程の特徴が一つあった。それを見た物は全員がパニックに陥り、自分の全財産を盲目的に彼女に捧げたり、或いは家庭を投げ捨てて彼女の下僕として生きる道を選ぼうとする者も居た。
そんな伝説めいた噂に引き寄せられて彼女に逢おうとする者は後を絶たず、平日の昼間に長蛇の列が出来るのも珍しく無かった。彼女の親はこの事態を利用し、握手券を売って多額の金銭を手中に収め、それを見て狂乱を起こした人間を騙して手に入れた物品を業者に転売して懐を傲慢にも潤していた。
「今日も凄い人気だったね」
「……私はこんな事、望んでないわ」
半月の下、彼女を慕う少年が牧草を乳牛に与えながら笑いかける。彼女はいつも仏頂面で人を信頼などしない。喜怒哀楽を最後に感じたのは、自分が見世物にされていると感じた十歳の時で、それから今になるまで時勢に流されるままに生きていた。三日後には十八歳の誕生日を控えているが、その日も仕事が詰まっており、仄暗い未来が待っている現実に溜息が口元から零れる。
「私の鎖骨なんて、何が面白くて見るのよ……」
彼女は自分の左鎖骨を撫でる。
脳に焼き付いていた下卑た顔をした大人達。自分の意思に関係なくやって来て、視線はこの鎖骨に向けられる。そして勝手に、呆気なく狂っていく。
「みんな、私を人間だと思ってないのよ。世界遺産とか自然遺産とか、そんな場所扱いされてる気分よ。今日なんてテレビの取材が来て、私の鎖骨が全世界中継されたのよ!? 本当におかしくて仕方ないわ」
人前では神聖な顔つきで人々を見下ろす彼女が、唯一対等に話せるのがこの少年だった。彼は常に柔和な表情を崩さず、それでいて煌めく月光の様に全てを見通す。何を言って欲しいのか、何を求めているのか、外した事は一回も無い。人々を狂わせる美女も、今は脳内が沸騰して頬を朱色に染めながら恋情に身悶えしている。実に八年ぶりの感情の再臨だった。
「僕は鎖骨より、君の心の方が好きだな」
「……冗談なんて、あなたらしくないわね」
「本当だよ。僕は嘘が嫌いなんだ」
真っ赤な瞳が彼女の心を射抜く。誰も傷つかない言葉と熱視線が飛ぶ鳥すら落とす武器になる。蠍座のシャンデリアと天蓋に咲いた周りの星々だけが、二人の時間を和やかに鑑賞していた。
「……私との約束、守ってくれる?」
「ああ、全て壊しに行こう。君に不自由を強いる親達も、この世界も全て」
そして二人は牛乳瓶を持ち、一気に飲み干した。
次のシーンになると親と転売屋が地面に倒れて涙を流している。それを称賛する人々も掌には牛乳瓶を持っていて、この圧倒的な勝利を祝福していた。
「この牛乳のお陰で鎖骨が強くなってタックルで嫌なもの全部壊せました。やっぱり牛乳って最高!」
「君も○✕乳業の乳製品を買って強くなろう!」
「健康な骨はカルシウムの摂取からだあ!」
「私は彼女の親ですが、とても反省しています」
「鎖骨ってなんか凄く良いよね!!」
軽快な音楽と共にクローズアップされた鎖骨と牛乳。謎の踊りと電話番号。時間的な都合で展開が端折られてしまい、少年のライバルポジション的な青年と、全ての元凶みたいな顔をした老獪な祖父も一緒に手を合わせて踊っている。
そしてニュースへと舞い戻った。
それを見ていた男は数分間の情報量の多さに圧倒され、パニックを起こしてこう叫んだ。奇しくも、彼女の鎖骨を見た者と同じ顔をして。
「なんだこのクソCM!?」
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