29. 恋の終わり

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29. 恋の終わり

ファミレスであんな雰囲気になったにも関わらず、市木は、 「気分を変えるためにカラオケにいこう!」 と言い出し、駅前のカラオケボックスにやってきた。 3人が通された部屋は小さめの部屋で、L字型にソファが配置されていた。なので、必然的に3人横並びで座ることになり、奥から市木、明日香、僚の並びで座った。そして、トップバッターはここでも市木だった。 市木はいま流行っている、アップテンポな曲を選曲し楽しそうに歌っている。それがなかなかうまかったので明日香は、 「市木くん上手いね」 と素直に褒めた。市木はそれがよほど嬉しかったのか、自分の頭をカリカリしながら、 「ありがと~」 と、照れ笑いをする。 そして次は明日香の番になった。明日香が選んだ曲は、ボイトレで散々歌わされた事務所の先輩、女3人組・Rainの失恋バラードソングだった。 バラードなので、しっとりと切なげに歌う。それはボイトレで透子先生にずーっと指導されてきた。だから明日香は、その指導通りに歌い上げる。その歌声を聞いて、市木は明日香から目が離せなくなっていた。 そして曲が終わると、市木が、 「明日香ちゃん!ブラボ~~~‼すっごい上手い‼感動した‼」 と褒めちぎる。それはそうだろう。5年も基礎を叩きこまれ、レッスンしているのだから、上手いのは当然だ。でも、そんなこと市木は知らない。 僚はいつもそばで明日香の歌声を聞いているので、市木のように感激することはなかった。すると市木が、 「おいっ葉山!明日香ちゃんがこんなに歌が上手いの知ってた?」 と、興奮冷めやらぬといった感じで聞いてくる。それに対し、 「あ?あぁ、うん。知ってるよ」 と、僚は自分の曲を選びながら、適当に相槌を打つ。 「う~~~っ、葉山が知らない明日香ちゃんはいないのか......」 「ふっ、付き合いの長さが違うだろ。お前が知ってて、俺が知らない明日香なんていないよ」 またすごいことをさらっと言う。僚は下心なく普通に言ったのだろうが、言われた明日香は恥ずかしすぎて顔を赤くしてしまった。部屋の中が薄暗くてよかった。 次は僚の番になった。僚が選んだ曲は、切ない恋心をテーマにしたミディアムバラードだった。これもレッスンの時に歌ったことのある曲だ。僚の歌声もきれいで伸びがあり、それが歌詞とマッチしてて心に突き刺さる。 (あぁ......僚の声、やっぱり好きだな......) 明日香は無意識にそう思っていた。そして、僚の歌を聞きながら市木がちらっと明日香をのぞくと、明日香はぼーっと僚の顔を見ていて、それがとても悔しかった。だからなのか、市木はまた余計なことを言ってしまう。 歌い終わった僚に、 「葉山ぁ、お前その歌声で(マキ)のこと落としたんだろ?」 とニヤッと笑いながら言う。 「はぁ?そんなわけ......」 「隠さなくても知ってるし~。お前と牧が付き合ってること」 市木がそう言った瞬間、明日香は頭を殴られたかのような衝撃を受けた。薄暗い部屋が完全に真っ暗になり、そのあとの2人の会話は全く耳に入ってこない。 そうだ。なんで忘れてたんだろう。僚は昔からモテていた。私はそれをずっとそばで傍観していた。そして、それは自分には関係ないことだと思い込んでいた。そうすることで自分を守っていた。そんな僚に彼女がいてもおかしくないのに、なぜかその可能性があることを考えていなかった。 (そっか、わたし......) 自分の気持ちに気づきそうになった瞬間、明日香は、 「ち、ちょっと、お手洗い行ってくるね」 と言って部屋を出た。 明日香が部屋を出て行った後、僚がいつもより低い声で市木に言う。 「お前、どういうつもりだよ」 「どういうつもりって?」 「なんで、あんなでたらめなことを言ったんだ!」 僚は市木に対し、怒りをにじませた。それでも市木は平然としている。 「牧がお前のこと好きなのはみんな知ってるし、実際2人でデートしただろ?」 「それは、1回だけでいいからって頼まれて....そのあとちゃんと付き合えないって断ったよ」 「でもさ、お前去年、松井なんとかって子はこっぴどく振ったのに、牧に対しては違ったじゃん」 そう言われて僚は黙ってしまう。そして、何とか答えを絞り出す。 「.......松井さんは付き纏いがひどかったし、ああ言うしかなかったんだ。牧の場合はもともと友達で、恋愛感情はなかった。その違いだよ......」 僚が言い終わると、その場はシーンと静まり返る。 しばらくして、市木が口を開く。 「じゃあさ、明日香ちゃんのことはどう思ってんの?」 「..........明日香のこと?」 「そう。だって俺、本気で明日香ちゃんのこと狙ってるんだ。美人で笑顔がかわいくて、友達思いでさ。弟はちょっとウザいけどな」 隼斗の顔を思い出して、市木はハハっと苦笑いをする。 「なんで俺にそんなこと聞くの?」 「なんでって、友達と好きな子の取り合いなんてしたくないからだよ。それに葉山は一応、明日香ちゃんの番犬2号だろ?」 「番犬じゃないよ.......」 「番犬だろ?そうじゃなかったら、俺とのデートの邪魔なんかしないだろ」 「それは、お前が......!」 その瞬間、市木が僚にグイっと近づく。 「言っただろ、俺は本気だって。これまでの女の子とはワケが違う。大事にしたいのは俺も一緒だよ」 そういってパッと離れた。 「それで?明日香ちゃんのことはどう思ってるの?」 僚は改めてそう聞かれ、しばらく考えたあと口を開いた。 「明日香のことは、大事な友達で、幼馴染で、仲間だ。それ以上の気持ちはないよ」 「本当に?」 「ああ」 「そう。それじゃあ、遠慮しないでおくわ」 明日香がカラオケボックスの部屋のドアを開けようとすると、中から僚と市木の会話が聞こえてきた。市木が、 「それで?明日香ちゃんのことはどう思ってるの?」 と、僚に聞いてるらしい。その瞬間明日香は、 (え、いやだ。聞きたくない.......!) と思ってしまった。それでも僚の答えは、容赦なく明日香の耳に入ってきた。 「明日香のことは、大事な友達で、幼馴染で、仲間だ。それ以上の気持ちはないよ」 この時明日香はやっと、自分の気持ちのすべてを理解した。 (ああ、そっか......。わたし、いつの間にか僚のこと好きになってたんだ。今日それを身をもって実感したのに、僚には彼女がいて、私は恋愛対象にすらなっていない.......) 明日香の目から一筋の涙が零れ落ちる。 「好きって気づいた瞬間に、失恋か......ははっ」 悲しさと、切なさと、情けなさが入り混じり、笑いたくないのに笑ってしまう。 このあと夕方には解散し、帰宅する。 僚が明日香を自宅まで送ってくれたが、明日香はどんな顔をして、どんな話をしたか覚えていない。 ただわかるのは、生きてきた中で一番胸が痛いことだけだった。
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