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49. 出発前のすれ違い
明日香の留学が決まってからも、普段通りにレッスンは行われていた。決まっているお仕事もあったため、連日レコーディングも行われていた。
明日香は留学期間中、レッスンに参加することが出来ないため、その分も一生懸命取り組んだ。ただ1つ変わったことがあった。
それは、僚があからさまに明日香を避けていることだった。以前のように僚から話しかけてくることはなく、必要以上の会話をしないし、目を合わせることもない。
でも明日香はそれでいいと思った。僚のその態度はもちろんつらかったが、その方がより、自分の気持ちに区切りをつけるのにちょうどいいと思ったからだ。出発まで残り2か月と少し。それまでの辛抱だと自分に言い聞かせていた。
4月になり、6人は大学2年生になった。
大学が始まると春休みのあいだほぼ毎日行われていたレッスンも回数が減り、自然と僚は明日香と会う機会が減っていた。
隣同士に住んでいるのに、1週間以上顔を合わすことがないこともあった。
5月に入ってすぐ、ゴールデンウィークも折り返しという日、僚は隼斗、誠、竣亮の4人で夕食をとるためマンションの近くにあるファミレスに来ていた。
「そういえば隼斗くん。明日香の送別会ってするの?」
注文を終えたとき、竣亮が聞いてきた。
「うーん。明日香にそれとなく聞いたけどさ、しなくていいって言われた」
「そうなんだ......」
応援すると言っても、なんだかんだ寂しい。何かしてあげたいと思うのは自然なことだった。
「でも、何かしてあげたいよね?僚くん」
僚は竣亮に話を振られて困ってしまった。
「ていうかさ、僚。何で最近明日香のこと避けてんの?」
隼斗に単刀直入に言われ、言葉に詰まる。
「別に....避けては....」
「いや、避けてるだろ。前みたいに話さないし。留学に反対なのか?それとも明日香が黙って留学を決めたことに怒っているのか?」
「反対でもないし、怒ってもいない......」
「じゃあなんだよその態度。お前らしくない」
じゃあなんだと言われても、どうして明日香にこんな態度をとってしまうのか、自分でもわからない。反対かと言われると、反対ではない。でも心から賛成することも、みんなのように応援することもできない。
一体自分がどうしたいのか、僚自身もわからないでいた。
「.....ごめん。嫌な思いをさせて.....」
「謝るのは俺じゃなくて明日香にだろ。あいつの方が1年間1人で外国に行くことで不安なんだ。なのに行く前に友達にそんな態度を取られたらどう思う?いつものお前らしく、優しくしてやれよ」
隼斗は明日香の弟として、家族として僚にそう願った。
「僚はさ、寂しいだけなんだろ」
2人の話を聞いていた誠が口を開く。
「寂しいのに、どうしていいかわからなくなっているだけじゃないのか。隼斗の言うように、いつも通りお前らしくしてやれ」
隼斗と誠に言われて僚は、明日香が行ってしまう前に謝ろうと思った。
しかし、ゴールデンウィークが明けても、僚は明日香と話が出来ないでいた。友達として付き合ってきて以来、こんなことは初めてだった。何度も連絡をしようとスマホを手に取るが、なかなかその先が進まない。そんな悶々とした気持ちのまま、出発まで刻一刻と時間は過ぎていった。
出発まであと2週間という日。明日香は留学準備に追われて、大学から帰るころには夜8時を周っていた。
マンションのエントランスが見えてくると、男性が1人立っていた。
「おかえり。遅かったね」
「市木くん、どうしたの?」
暗闇の中、市木は明日香の顔を見ると一歩近づいてきた。
「ちょっと話せるかな?」
「うん。あ、でも家はちょっと......」
「あはは。いくら俺でもそんなこと言わないよ。ちょっと歩こうか」
街灯が連なっている歩道を2人で歩いていく。
マンションから少し離れた公園のベンチに腰掛ける。
「ごめんね。疲れてるのに」
「ううん、大丈夫。連絡してくれればもうちょっと早く帰ったのに」
「たまにはこうして待つのも悪くないかなと思って」
そう言って明日香を見つめている。明日香はその視線に耐えられず、思わず目をそらす。
「葉山に聞いたよ。留学するって」
「あ......うん。ごめんね黙ってて」
「明日香ちゃんさ、隠し事多いくせに、隠すの下手だよね」
「う........」
図星を突かれたような気がして何も言えなくなる。
「市木くん、もしかして気づいてたの?」
「うーん。一番初めに明日香ちゃんの部屋に行った時、海外留学のパンフレットが置いてあって、考えてるのかな~って」
「そんなパンフレットがあっただけで.....?」
「ほら、俺って勘が鋭いからさ~」
ここまでくると、勘が鋭いだけでは済まされないような気がしてきた。
「出発はいつ?」
「6月1日」
「もうすぐじゃん。俺に挨拶もなしに行こうとしてたの?」
「......連絡しようとは思ってたんだけど.......」
「...........薄情者め」
何を言っても言い訳にしかならず、明日香は市木からの責めを甘んじて受け入れようと思った。
「みんなにも内緒にしてたんだって?」
「うん。誰かに言っちゃうと決心が鈍るから言えなかった。それで僚を怒らせたみたいで.......」
「葉山を?」
明日香はこくんと頷く。
「留学が決まったことを打ち明けてから、あまり話してくれなくて.....目も合わせてくれないし。勝手に決めたことを怒っているんだと思う」
その話を聞いて市木は考える。いままで僚が、明日香に対してそんな態度をとっているところを見たことがなかったからだ。
「でもね、これで私も自分の気持ちにケリをつけられるから、それでいいと思ってる。1年後に帰ってくる頃にはちゃんと『友達』になってる」
「........そっか。もう決めたんだ?」
「うん、決めた。前に進もうって。ずっとみんなと一緒にいたいから」
そう話す明日香の顔はすっきりとしていた。それは、ここ数年の陰りを含んでいるような顔ではなく、元の明日香らしいさわやかな顔だった。
市木はその顔をみると、
「明日香ちゃん」
と呼び、振り向いた明日香の右頬に自分の左手を添えて顔を近づけた。
僚はマンションに帰る途中、公園の前を通りかかる。すると、公園の中のベンチにカップルが座っているのを見かけ「そういうスポットか?」と思った。しかしその姿をよく見ると、それは明日香と市木だった。
僚はなぜかそれを見てとっさに隠れてしまう。
(なんで俺が隠れないといけないんだ....)
疑問に思いながらも、気になってしょうがない。2人に見られないようにそっと見ると、そこには市木の顔が明日香に重なっているのが見えた。
それを見た瞬間、僚は後頭部を殴られたような感覚に陥った。
2人のキスシーンを見て、どうしてこんなにショックなのかわからない。目の前が真っ暗になりながら、ただただその場から逃げ出すことしかできなかった。
市木は明日香と唇が触れる寸前で止める。それと同時に明日香も両手で市木の体を押さえて止める。
「明日香ちゃん隙だらけだよ」
「......なんでこんなことするの」
「男だからね。好きな子がそんなきれいな顔してたら、キスくらいしたくなるよ」
「市木くんにとってはキスくらいでも、私にとっては....違うの」
そう言うと明日香は立ち上がって帰ろうと歩き出す。
「ごめん明日香ちゃん。もうしないから」
市木も明日香の後を追ってくる。
「.......友達って言ったのに」
「うん、ごめん。でも俺も言ったよ?」
明日香は何を?という顔で市木を見る。
「明日香ちゃんのこと好きだっていうこと忘れないでって」
あの夏祭りの日、市木は確かにそう言っていた。
「そんな前のこと......」
「明日香ちゃんも一緒じゃん。いまだに葉山を忘れられてない。おあいこ」
ズルい言い方をする市木にかなうわけなかったと思い直す。
「もうあんなことしないで。じゃないと友達やめるから」
「ごめんなさい。2度としません」
今度は素直に反省を口にする。明日香はなんだかんだと、市木のことを憎めないでいた。
それから2週間。僚と明日香はほとんど会話をすることなく、留学出発を迎えた。
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