6、まもなく列車が......

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6、まもなく列車が......

 本当はいろんなことがどうでもいい。雑草も生えない土壌のような気持ちを自分の中に見つけたのは去年の夏だった。僕はクラスの何人かと一緒に地域の夏祭りを散策していた。  普段は通学路だけど、今日に限っては両脇に色とりどりの屋台が並び、人で溢れている。そんな中で、一緒に歩いていた体の細い男子が頭を抱えて座り込んでしまった。蝉がアスファルトに落っこちて黒焦げになるくらい暑い日だったから、無理もない。  賑やかに話していた僕たちのリズムは鳴り止んで、みんな動きを鈍くしながらお互いの顔を見合わせた。僕はみんなが特に動かないのを見てから、彼の側にしゃがみ込んで声をかけた。大丈夫? 立てる? 平気?  彼は反応を示さない。大袈裟でくぐもった呼吸が聞こえてくるだけ。その様子を見て僕はこう思った。せっかく様子を訪ねてあげたんだから、首をちょっと動かすくらいしてくれたっていいじゃないか。 「ねぇ、どいて」  浴衣を着た女の子が僕と彼の間に割り込んでしゃがむ。彼女は彼の背中を摩り、一本の冷えたスポーツドリンクを差し出した。彼は飲み物を受け取ると、ゆっくりと立ち上がり彼女にお礼を呟いた。僕は割り込まれた拍子に尻餅をついて、そのまま二人の様子を見上げていた。  家に帰ってから僕は想像した。浴衣の彼女は座り込んだ彼を見て、すぐに屋台で250円を支払って飲み物を買い与えた。たかが250円、たかが飲み物だろうか。僕にはそうは思えなかった。なぜなら、僕にはそんなやり方がこれっぽっちも思い浮かばなかったのだから。  僕はすごく悔しかった。彼に全く相手にされなかったこと、浴衣の彼女に財布を開かせたこと。相手の立場に立つ発想が欠如していたこと。本当は彼が熱中症で倒れようが死のうが、どうでもよかったんじゃないかな......。  空調の音が聞こえる。自室の窓の向こうは相変わらず薄暗い梅雨の世界。枕元の目覚まし時計を見るまで、今が朝の6時である実感を持てないような、ぼんやりとした雰囲気。エアコンが水の飛沫を吐き出して、僕の顔に降りかかる。  僕は涼音に対して何ができるだろうか? 自殺なんて、最も全てがどうでもいい行為ではないか。僕に、それを否定するなんてきっと......。   涼音が学校に来なくなってから三日目の朝。梅雨明けの予報に背を向けてふて寝する雨雲の下。駅のホームには熱っぽく湿った人の群れが列を成している。僕は線路越しの向かい側のホームに涼音を見つけた。  彼女は場違いなドレスタイプの喪服を着て、荷物は何も持っていなかった。手には紫陽花の便箋が無造作に握られている。線路の上に浮かぶクラゲを見つめるような目つきでゆっくりとホームのへりに近づいている。右のつま先が左のつま先を追い越し、左のつま先が右のつま先を追い越し......。  僕は順番待ちの列を抜けて、黄色い線を乗り越えて彼女の名前を呼びかけた。彼女がこれといった反応を示すことはなく、代わりに僕を取り囲む大人たちが、スマホから僕に視線を向ける。雨に濡れて羽に光沢を帯びたカラスが僕を見下ろして鳴く。 「涼音さん!」  僕は叫びながら、鞄の中に余っていた紫陽花の便箋を撒き散らしてやった。彼女の目に反射していた光がうごめくのを感じる。深海で見つけた真珠のように。 「あの、僕、涼音さんが死のうが死ぬまいが、結構どうでもいい! だって家族じゃないし、長い付き合いってわけでもないし!」  僕は六月の空気の中で息継ぎをして、 「でもね、今目の前で死なれたらなんか嫌だ! 昼ごはん不味くなるだろうし、電車遅延するし、ちょっと痛そうだし!」  向こう側のホームに列車がやってくるアナウンスが響く。こっちの事情なんかちっとも鑑みてくれちゃいない。 「とりあえず遺書はできたんだから、いつでも死ねるんでしょ。だったら、もう少し推敲しようよ。もしかしたら他に書きたいことが増えるかもしれないし!」  どうしてこんなに声を荒げる必要があるのだろう。それはただ、向こう岸に立ちすくす温もりの塊が、列車の車輪にかき消されたことを想像すると、梅雨の雨が冷た過ぎるような気がしたから。 「そこ、動くなよ」  僕は駆け出した、非常停止ボタンに向かって。空気の流れが変わり、列車が近づいてきたことを知らせている。霧雨のフィルターを通り抜けた列車の遠吠えが聞こえてくる。僕は振り返ることなく走る。 〈了〉
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