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偶然、その日はボランティア部の先輩に頼まれて、というより半ば強引に押しつけられて、ひづりは新聞部の助っ人として高校の体育館へ出向いていた。
写真なんてまともに撮ったことがない。
せいぜい携帯電話のカメラ機能で、食べたものを撮るくらいのスキルしかない、助っ人とも言い難いなんちゃってカメラマンだった。
社会人になったいま、あの頃を振り返ってみれば、たかが高校の部活動だと思える。
プロも素人もない、子どものお遊びの延長のようなものだ。
けれど、隠岐島のベストショットを撮るんだ、という熱意は誰にも負けない気概があった。
人知れず努力する隠岐島をあの日、目にしてしまったせいだ。
隠岐島が悪い。
だって隠岐島をファインダーで追わなければ、今頃ひづりはこんなところにいて、初恋相手との再会に心臓が止まるんじゃないかと思うほど、ドキドキさせられることはなかったのに。
臆病に、怠惰に生きていたひづりを、あの季節だけで「田沼ひづり」という人物の本質さえも変えてしまったのだから。
「気づけばいつも、田沼のカメラを意識してたなあ」
てっきり隠岐島は区役所を出て、駅へ向かうのだろうと考えていた。しかし区役所に併設されたようなすぐ隣の小さな公園へ入っていったので、驚いた。
クールビズ推奨とはとうてい言い難いスーツ姿のひづりたちふたりを繋ぐ手は、互いにじわりと汗ばんでいる。
今日の最高気温は、平年並みでしょう――そんなふうに朝の情報番組で気象予報士が話していたが、ひづりの体感は五度以上気温が上回っているような気がしてしかたがなかった。
おそらく、目の前の男のせいだ。
初恋の男が、ひづりの手を握っているせいだ。
なにも応えないひづりを訝しんだのか、隠岐島はようやく公園へ来てちらりとこちらを振り向いた。
「……っ」
不意打ちに、ひづりは大きく目を見開いた。
隠岐島の背後には、小さな森のような木々の密集と公園の小さな広場の中心からぽつんとはずれたところに、雨ざらしの錆びたバスケットゴールが見える。
「この公園さ、」
明らかに動揺したひづりには触れず、隠岐島が身体ごと向き直る。
返答がないことを突っ込まれると思っていたので、ひづりは拍子抜けした。
じわりと汗ばんだ指先が、さらに熱を帯びていく予感がする。
「バスケット、している隠岐島……とてもかっこよかった」
ふいにそんな言葉が、ひづりの口をついて出ていた。
自分でもびっくりして、言ったあとで慌てて口を塞ごうとして、クンとその手を隠岐島に繋ぎとめられる。
繋ぎとめられたその手に一旦ひづりは視線を落とし、それからゆっくり下から上へ、逞しい胸元から喉ぼとけがくっきりと浮き出た首許へと、恐る恐る視線を滑らせていった。
繋ぎとめられたその手の意味を探すために。
やがてシャープな顎から涼やかな目許まで視線が移ったところで、隠岐島はひづりから顔を背けた。
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