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「わがままだよね。西戸くんの好きなものが減るのは悲しいくせに」
「それこそ、すごく純粋だと思うけど」
「優しいね西戸くんは」
ふふ、と隣から小さく笑い声が聞こえる。
そんな声が聞こえるほど、いつの間にか辺りには誰もいなくなっていたことに僕は気付いた。他所のベンチに座っていた家族連れもカップルもいなくなっている。
日が落ちる前に帰ったか、夕飯を食べにでも行ったのかもしれない。
「けどそんなんじゃ、また付け込まれちゃうよ?」
不意に転がってきた彼女の声はとても近くに聞こえた。
「ねえ西戸くん」
名前を呼ばれて思わず綾瀬のほうを向く。
鼻先が当たりそうなほど近くに彼女の顔があった。
まるで僕の目から夕空を隠すように、目の前が逆光の彼女でいっぱいになる。
「こっち見て」
視界ぜんぶが真っ黒に染まった。
彼女の影が僕を覆いつくしたのが先か、僕が目をつむったのが先かわからない。何も考えられない。
──ただひとつわかるのは、唇に伝わる温度が甘くて心地いいということだけだった。
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