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7
「しばらくぜんぶモノクロに見えてたから陰影のつけ方うまくなったんだよね」
「最高じゃん」
芯の長い鉛筆で白い紙の上にりんごを描いてみせると、綾瀬はほうと息を吐いた。
週明けの月曜日。放課後になると僕たちはいつものように美術室に赴き、描きかけの作品を引っ張り出した。
二人並んで、イーゼルを立てる。
「過程は最悪だったけど」
「確かにね。まあでもよかった」
「なにが?」
「その紙が落書き帖にランクアップして」
綾瀬はりんごの描かれた紙をちらりと見た。
A5サイズのプリントは退部届の裏面だ。どうせ捨てるなら最後まで使っておこうという魂胆だった。
あの日、初デートを終えて夢見心地のまま帰宅した僕が眠りにつくと、次の日には視界に色が戻ってきていた。自室の窓から見えた景色がやけに鮮やかで驚いたのを憶えている。
どういう理論かはわからないが、どうやら彼女の策は功を奏したらしい。
「やっぱり初デートはすべてを解決するのね」
「大いなる勘違いがインプットされてるな」
「にしても、ひとつの目で何箇所も見られるもんなんだね」
「パニクってなきゃそのくらい余裕だよ」
僕はりんごの描かれた紙を丸めた。くしゃりと音がして、自分の名前が歪む。
赤色のマークがついているゴミ箱に向けて丸めた紙を放ると、大きく開かれた口の端には当たったものの弾かれた。
床を転がっていく紙くずを追いかけて、僕はもう一度ちゃんとゴミ箱に入れ直す。
「あはは、やっぱり野球部には向いてないね」
そんな軽やかな笑い声に振り向くと、夕焼け色に染まった美術室に美少女がいて僕は少し狼狽した。
不意に目が合った彼女も戸惑ったような表情を浮かべる。
「……なによ、じっと見て」
彼女の真ん丸な茶色がかった瞳はうすく潤んでいて、きらきらと光を反射している。
頬から耳の先まで夕日に負けないほど朱く染めていた。艶めく前髪を揺らして、薄いピンク色の唇を尖らせている。
落ち着いてよく見れば、その美少女は僕の好きな人だった。
「きれいだな、と思って」
(了)
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