【4】一命

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【4】一命

それから六日が過ぎた。 俺達は邸内の一部に銘々小屋を建て、そこに籠って仕事をすることになっていたから、俺も山の木を伐り出してきて、小屋がけにかかっていた。 俺は蔵の裏の人の立ち入らぬ場所を選んで小屋を作ることにした。 そこは一面に雑草が生え繁り、蛇や蜘蛛の棲み家であるから、人々は恐れて近付けぬ場所であった。 「なるほど。 馬小屋を建てるとすれば、まずこの場所だが、ちと陽当たりが悪くは無いか」 アナマロがブラリと姿を現して、からかった。 「馬はカンが強いから、人の姿が近づくと仕事に身が入りません。 小屋がけが終わって仕事にかかった後は、一切仕事場に立ち入らぬように願います」 俺は小屋の高窓を二重造りに仕掛け、戸口にも特別の仕掛けを施して、仕事場を覗くことが出来ないように工夫すつもりだっだ。 俺の仕事は、出来上がるまで秘密にしなければならなかったからだ。 「ときに馬耳よ。 長者と皇子がお召しであるから、斧を持って、俺について来るがよい」 アナマロが唐突に言った。 「斧だけでいいんですか」 「ああ」 「庭木でも伐ろと仰るんですかね。 斧を使うのも匠の仕事のうちではあるが、木地屋と匠は違うものだ。 木をたたっ切るだけなら、他に適役がある。 つまらないことで俺の気を散らさぬように願いますよ」 俺がブツブツ言いながら、手に斧を取ってくると、アナマロは妙な目付きで上下に俺を見定めた後で、「まあ、座れ」と言って、まずは自分から材木の切れっぱしに腰を下ろした。 俺も差し向かいに腰を下ろす。 「馬耳よ、よく聞け。 お主が、青笠や小釜とあくまで腕比べをしたい気持ちは殊勝であるが、こんなウチで仕事をしたいとは思うまい」 「どういう訳で?」 「ふむ。よく考えてみよ。 お主、耳を削がれて、痛かったろう?」 「耳の孔に比べると、耳の笠は余計ものと見えて、血止めに毒ダミの葉を刻んだ奴を松ヤニに混ぜて塗りたくっておいたら、事もなく痛みも取れたし、結構、耳の役にも立つようですよ」 「この先、ここに居たところで、お主のためにロクなことは有りやしないぞ。 片耳ぐらいで済めばよいが、命にかかわることが起こるかもしれぬ。 悪いことは言わぬ。 このまま、ここから逃げて帰れ。 ここに一袋の黄金がある。 お主が三ヵ年働いて立派な弥勒像を仕上げたところで、かほど莫大な黄金を頂くには参るまい。 あとは俺が良いように申し上げておくから、今のうちに早く帰れ」 アナマロの顔は意外に真剣だった。 それほど俺を追い出したいのか。 三ヵ年の手当に勝る黄金を与えてまで追い出したいほど、俺が不要な匠なのか。 こう思うと怒りかこみ上げた。 俺は叫んだ。 「そうですか。 あなた方のお考えじゃあ、俺の手はノミやカンナをとる匠の手ではなくて、斧で木をたたっ切る木こりの腕だとお見立てですか。 良かろう! 俺は今日限り、ここのウチに雇われた匠じゃありません。 だが、この小屋で仕事だけはさせて頂きましょう。 食うくらいは自分でやれるから、一切お世話にはなりませんし、一文も頂く必要はありません。 俺が勝手に三ヵ年仕事をする分には差し支えありますまい!」 「待て、待て。 お主は勘違いしているようだ。 誰もお主が未熟だから追い出そうとは言っておらぬぞ」 「斧だけ持って出て行けと言われるからには、他に考えようがありますまい!」 「さ。そのことだ」 アナマロは俺の両肩に手をかけて、変にしみじみと俺を見つめた。 そして言った。 「俺の言い方がまずかった。 斧だけ持って一緒に参れと申したのは、ご主人様の言いつけだ。 しかし、斧を持って一緒に参らずに、ただ今すぐにここから逃げよと申すのは、俺だけの言葉だ。 いや、俺だけではなく、長者も実は内々それを望んでおられる。 じゃによって、この一袋の黄金を俺に手渡して、お主を逃がせ、と諭されているのだ。 それと申すのが、もしもお主が俺と一緒に斧を持って長者の前へまかり出ると、お主のために良からぬことが起こるからだ。 長者はお主の身の為を考えておられる」 思わせぶりな言葉が、一層俺を苛立たせた。 「俺の身の為を思うなら、その訳をざっくばらんに言ってもらおうじゃありませんか」 「それを言ってやりたいが、言ったが最後、ただでは済まぬ言葉というものもあるものだ。 だが、先刻から申す通り、お主の一命にかかわることが起こるかもしれぬ」 俺は即座に肚を決めた。 斧をぶら下げて立ち上がる。 「お供しましょう」 「まさか!」 「ハッハッハ。 ふざけちゃいけませんよ。 はばかりながら、飛騨の匠は、ガキの時から仕事に命を打ち込むものと叩き込まれているのだ。 仕事のほかには、命を捨てる心当たりも無いが、腕比べを恐れて逃げ出したと言われるよりは、そっちの方を選ぼうじゃありませんか」 「長生きすれば、天下の匠と世に謳われる名人になる見込みのある奴だが、まだ若いな。 一時の恥は、長生きすれば注がれるぞ」 「余計なことは、もう、よしてくれ。 俺はここに来た時から、生きて帰ることは忘れていたんだ」 アナマロが諦めた様子になる。 途端に、冷淡に言った。 「俺に続いて参れ」 彼は先に立ってズンズンと歩いた。
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