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保護
邪悪なる気が満ち溢れている場所がある。
そこには「気」を発する者がいる。
人間達はそれを『魔』と呼んでいた。
『魔』にもいくつかの種類があり、攻撃的で、意味もなく殺戮を繰り返す性質の悪いものから、肉食動物のように自らが生きる為だけに命を喰らうもの。『魔』であるというだけで全く害を成さないものまで様々だ。
リレィは彼らに好かれていた。
自分の気持ちとは裏腹に、彼らを寄せ付けてしまう何かを持っているらしかった。
それはどういうことを意味するか?
リレィは、普通の生活が出来ないのだ。どこにいても、何をしても、彼らを集めてしまうから。魔除けの神具を付けたり、彼らの嫌う場所に住んだり、色々と試してみたのだが効果はなかった。初めは同情してくれた周りの者たちは、次第に彼女を避け、疎むようになっていった。当然だ。リレィに関わるとろくなことがないのだから。ある者は彼女を狙った刃に傷付き、ある者は彼女を助けようとして死に、そうしている間にリレィは『魔』だけでなく、人間からも追われるようになっていた。リレィが死ねば、『魔』は遠ざかる。そういう判断なのだ。そして多分、その判断は間違っていない……。
それでも……。
リレィは生きたかった。
おとなしく殺されるのは嫌だった。
理由もわからぬまま引き裂かれて魔物に喰われるのなど真っ平ごめんだった。
だから彼女は心も体も鍛えることにしたのだ。寄って来る『魔』に立ち向えるように。『独り』の自分を見失わないように。
「……またか、」
最近では気配だけでわかるようになってしまった。近付いてくる力。今、こちらに向かっているのは雑魚も雑魚。気配を消すことすら忘れて堂々と寄って来る辺り、実はナルシストなのかもしれない。
リレィはどこへ向かうともなく旅を続けていた。とにかく生き続けることが彼女の目的なのだから。
「来たな」
腰に下げていた細身の剣を抜く。女の細腕には丁度いい大きさの剣だ。きちんと手入れはしているものの、何匹もの魔物を切りつけてきたせいで痛みはひどい。しかし、新しいものを買おうにも先立つものがないのだから、仕方ない。
「お前、お前、」
ガサガサと藪の中から姿を見せたのは角が生え、目が四つある毛むくじゃらの魔物。体が大きく力の強いこのタイプは、リレィの嫌うそれだった。
「チッ」
舌打ちをし、剣を構える。接近するのは危険が伴う。なんとか一瞬の隙を突いて仕留めなければなるまい。
「……お前、」
魔物はその言葉だけを繰り返し、リレィに近付く。何か言いたいことでもあるというのか? 剣を構えるリレィを見、小さく首を傾げてみせた。
「お前、」
「……なんだ?」
「お前……どうして、」
「……?」
ふと、気を緩める。その瞬間、背中に痛みが走る。
「痛っ」
チラ、と振り向くと目の前の化け物とは別の、手足の長い小さな魔物がリレィを狙っていた。指の先には鋭い、爪。服が破かれ、背中には赤い線がついている。
「くそっ」
スピードの速い魔物と、パワー系の魔物。別々であればまだしも、両方いっぺんではやり辛い。リレィは小さい方を先に片付けるべく、走り出した。
森を抜ける。
先には確か、街道があったはずだ。森の中では剣を振り回すのに周りの木が邪魔になる。相手からの攻撃を避けるためには役に立つが、リレィは逃げない。逃げる前に相手を射抜く。故に、ある程度広い場所を確保する必要があるのだ。
「くっ、」
相手の爪を交わしながら、何とか体制を整える。背中の傷が、痛む。
「こんっの、」
ヒュッ、と一振り。切っ先が魔物の腕を切り落とす。甲高い悲鳴と共に、魔物があとずさった。
(今だ!)
剣を振り上げる。と、グン、とリレィの体が宙に浮かんだ。
「なにっ?」
振り向くと、もう一匹の魔物が背後にいた。掴んできた魔物の腕を切り付けると、体が宙に投げ出される。
「うわっ」
したたか体を打ち付け、痛みで体が動かない。魔物は目を輝かせてその太い腕を振り下ろした。もう、間に合わない! こんなところで死ぬのか。今までの苦労も全て消えてなくなる。目を閉じ、その瞬間を待つ。自分のために死んでいった者たちの顔を思い浮かべる。申し訳ない…けれど、どこかで感じる『これでやっと終わるのか』という安堵感。
ズシャッ
鈍い、肉変を切り裂く音と悲鳴。しかしそれはリレィのものではない。だって体のどこも痛くなどないのだから。
「え?」
顔を上げると、目の前に真っ二つにされた魔物の体がゴロリと転がっていた。大きい方だ。はっ、と我に返り、小さい方を捜す。
「キィィィィッ」
耳を劈くような甲高い声。そして、崩れ落ちる魔物と、その側で剣を振るっている男の姿が目に映る。
……男?
男は剣を鞘に収めると、くるりと振り返りリレィの方に歩み寄ってきた。にっこり笑うと、手を差し伸べる。
「お嬢さん、お怪我は?」
まるで絵に書いたような詐欺師面。その貼り付けたような満面の笑みも、この上なく嘘っぽい。
「助かった。ありがとう」
仏頂面でそれだけ言うと、男の手は借りずスッと立ち上がり落ちている自分の剣を拾う。背中に受けた傷はじくじく痛んだが、この程度なら死ぬことはない筈。
「って、おい!」
反応が想像と違っていたからか、男は驚いたように目を見開きリレィの肩に手を置いた。
「怪我してるじゃないかっ。しかもひどい傷だぞっ」
「大丈夫だ。この程度では死なない」
「……あのなぁ、」
さっきまでの笑顔はどこへやら、男は眉を寄せリレィを睨みつける。
「お前、もうちょっと可愛い反応は出来ないのかっ? 泣いてすがりつくとかよぉ」
「悪いが、そういうことは不得手なんだ。助けてくれてありがとう。世話になった」
きびすを返し、歩き出す。
「そんな傷でどこに行こうってんだよっ」
後を追ってくる男。リレィは心の中で深く溜息をつく。同情はあり難いのだが、係わり合いになるつもりはない。関わってしまったら、今度は彼の命が危うくなるのだから。
「悪いがこれ以上の干渉は遠慮願いたい」
キッ、と男を睨みつけ、その場を立ち去ろうとする。が、何を思ったのか男はニヤリと笑うとひょい、とリレィを抱き上げたのだ。
「わっ。おい! なんのつもりだっ」
男の腕の中で暴れるリレィ。が、細い体ながらも男は相当な力持ちとみえる。リレィが暴れたくらいではその腕を振り解くことが出来なかった。もちろん、負った傷のせいも大いにあるわけだが。
「ちょっ、放せって!」
唐突にこんな待遇を受けるとは思ってもいなかったリレィは、さすがに慌てた。暴れると傷も痛むし、男はニヤニヤしているし、何をされるかわかったもんじゃない。女の一人旅だ。今までにも危ない目には合っていたがここまで積極的な男は初めてだった。傷さえ負っていなければとっくに殴り倒しているところだが。
「この先に俺の家がある。手当てするだけだから心配すんな。暴れると傷口開くぜ?」
俄かには信じられない話だ。こんな森の中に住んでいる、と? いくら街道沿いとはいえ、近隣の街までは随分遠いはず。人が住むに適した場所であろうはずがない。
「ほら、見えてきた」
両手の塞がっている男は前方を顎でしゃくった。確かにそこには小さな小屋がある。家というよりは山小屋だ。
「大邸宅とは言い難いが、俺の家だ」
「こんな所に、一人で?」
「まぁね、」
男に抱かれたままの格好で、そのまま家の中へ。リレィはいざとなったらいつでも切り捨てる気でいた。
「さて、と」
男はリレィをベッドの上に降ろし、両手を押さえつけると、服を脱がし始めたのだ。
「なっ、このケダモノっ」
蹴りを喰らわせるリレィ。男は蹴られた腹を抱え、小さくうめいた。
「おっ、お前いきなり蹴りはねぇだろがっ」
「妙な真似するからだっ」
ぱっと剣を手に持ち、鞘を抜く。男は呆れたように溜息をつくと、言った。
「今のは軽い冗談だ。ちょっと待ってろ」
男はそう言うと、外へ出ていった。小窓から覗くと、外に干してある洗濯ものを取り込んでいる。
「……あいつ、なにしてんだ?」
剣を握ったままの格好で、リレィ。
と、戻ってくるなり男はリレイに洗濯物を投げつけたのだ。
「水組んでくるから、その間に着替えてろ。手当てする為に連れて来てるんだ。変な誤解はしないでくれよ」
パチン、と片目を瞑って見せ、そのまま出て行ってしまう。リレィはしばらくポカン、としていたが、小さく肩をすくめると、血のついた服を脱ぎはじめた。傷に触れると、痛い。早く洗い流して手当てをした方がいい。思ったより深そうだ。
クラリ、
視界が歪む。
「な…んだ……?」
そしてそのまま、目の前が真っ暗になったのだ。
男は井戸から組み上げた水をたらいに移しかえると、タオルを引っ掛けて戻った。
「おい、着替え終わったのか?」
声を掛けるが、返事はない。
「?」
まさかあの傷で出て行ったわけじゃあるまい? バタン、と扉を開けると、中途半端に服を脱いだ格好のままリレィはベッドに突っ伏していた。
「やれやれ、」
男は溜息をつくと、しかし嬉しそうにリレィの服を脱がし始めたのである。
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