女誑し

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女誑し

 ブスッとした顔で上目遣いにカリムを睨みつけるリレィ。  カリムは相変わらずのニヤニヤ顔で椅子に座り、リレィを見つめていた。 「そんなに怒る事ないだろう? 礼を言って欲しいくらいだ」 「……世話になった」 「そうそう。そうでなくちゃね」  そしてまた、笑う。 「そのニヤニヤ笑い、いい加減やめてくれないかっ? 虫唾が走るっ」  見られた。  知らない男に、裸を見られた。そのことがリレィにショックを与えていた。この際仕方のないことではあるが、目覚めたら着替えも手当ても済んでいた。だが自分でした覚えはない。傍らでは男が笑っている。そして言ったのだ。 『意外と胸、あんのな』  そのときのショックたるや底知れぬものがある。切り捨てようにも体は思うように動かず、聞けば傷口から黴菌が入ったせいで熱が上がっている、との事。フラフラの頭で、それでも場を立ち去ろうと試みたのだが見事にひっくり返り、またしても男に抱き上げられる始末。  男は「カリム」と名乗った。  この森に一人で住んでいるのだという。理由までは述べなかったが、もしかしたら罪人なのかもしれない、とリレィは思った。  一刻も早くここを立ち去りたかった。その為には、今は安静にしているしかないだろう、とリレィは諦めたのだが、 「そんな顔するなよ。俺は誉めたつもりなんだけどなぁ?」 「……お前なんぞに誉めてもらわなくても結構だ」 「はいはい、そうですか」  立ち上がり、火に掛けていた鍋を下ろす。 「よし、出来上がり、っと」  鍋からは湯気が立ち昇っている。いい匂いだ。そういえばしばらく食事らしい食事も取っていないことに、リレィは気付いた。 「食べさせてやろうか?」  またしても、あの笑い顔。 「いらんっ」  ふい、とそっぽを向く。 「冗談だ。一人で食べられるだろ? ほら」  椀によそったスープをリレィに差し出す。ムカムカしたが、背に腹は変えられない。腹は減っているのだから、食べる。それは生きていく上で大切なことだ。椀を受け取ると、一口啜った。ほわり、と暖かい食感。満たされる空腹感。思わずほぅ、と息をついてしまった。 「……お前、可愛いよな」 「ぶっ」  むせる。 「げほっ、げほっ」 「おいおい、慌てて食べるからだろっ」  カリムがリレィの背中をさすった。 「さっ、触るなっ」  男に触れられることへの嫌悪感と、背中の傷の痛みが両方一緒にやって来る。男は痛みの方にだけ気がついたようで、すぐに手を放した。 「ああ、悪い。痛かったか?」  リレィは黙ってカリムを睨みつけ、そのまま黙々と椀の中身を喉に流し込んだ。 「しかしリレィ、なんだって女一人で旅なんか? まさか武者修行じゃあるまい?」  無言で椀を差し出すと、カリムが二杯目を注ぎ入れる。 「それとも、家出か? ……まさかな。そんな歳じゃないよな?」  ははは、と一人で笑い、またリレィを見つめる。どうも居心地が悪い。リレィは二杯目も平らげると、カリムに向かって言った。 「私を見るな」 「……なんで?」  言われたカリムはキョトン、としていた。 「嫌なんだ」  フイ、と目を背けた。と、カリムがポン、と手を叩く。 「ああ、誉められるの慣れてないんだな、リレィ。恥ずかしいんだろ? バカだな、お前」  ケラケラ、と大声で笑う。ムッとしたリレィは怒鳴り返した。 「ばっ、バカとはなんだっ、この女誑(おんなたら)し!」 「おいおい、今日会ったばかりで女誑しはないだろう?」 「いいや、そうに決まってるっ」 「……単純構造だな、お前」 「なにっ?」  椀を傍らに置き、立ち上がろうとするが、途端、眩暈に襲われへなへなと崩れ落ちた。 「ったく、黙って寝てろよ」  カリムは椀を片付けると、椅子をリレィの横に引っ張ってきて座った。 「なっ、なんだよっ」  ベッドに突っ伏したまま、リレィ。悔しいし腹立たしかったが動けないのだ。 「大丈夫。俺がついてるって。安心して寝ろ」 「……お前がいるから安心できんのだ」 「へいへい、」  けっ、とカリムが顔を背けた。  眠る?  ここでか?  見も知らぬ男の横で、安心して眠れるはずもない。疲れ切った体を休める場所などどこにもないのだ。そう。今までも、これからもずっと……。 「……カリム、」  顔を枕に押し当てたまま、呟く。 「あん?」 「何かあったら、私を置いて逃げろ」 「……へ?」 「いいからっ、わかったなっ?」  真剣な声だった。カリムはポン、とリレィの頭を叩くと言った。 「寝ろ」  その一言が呪文のようにリレィの頭にこだまする。すうっと遠くなる意識。そのまま、リレィは深い眠りについたのである。 「なるほど、厄介かもしれねぇな」  ポツリ、カリムが呟く。  ざわわ、と森が揺れ、数知れぬ魔物たちの気配。集まっている。この小屋めがけて夜の住人たちはゆっくりと、だが確実にその歩みを進めているのが感じられた。 「あの程度の香木じゃ駄目か」  リレィを一目見たとき、彼女が何者であるのかはわかっていた。わかっていて、それでも拾ったのだ。小屋の周りには魔除けの香木。なんとかリレィの気配を拡散させたかったのだが、いかんせん力が強すぎる。このままでは数十……いや、細かいのも合わせたら数百の魔物達に囲まれてしまうかもしれなかった。 「私を置いて逃げろ、か」  チラ、とリレィを見下ろす。疲れているのだろう。死んだように眠っていた。 「この俺様が女一人置いて逃げられるわきゃねぇだろうよ」  半ば言い聞かせるように、口にする。部屋の片隅に置いてある包みを開け、中から一振りの長剣を取り出した。 「……まさかお前が活躍することになるとはねぇ」  スッ、と鞘を抜き取り、その質感を手の中で確認する。いつぶりだろう? もう随分長いこと放っておいた気がする。 「カサラギ、頼むぜ」  芝居じみた物言いと、キス。長年の相棒であり、憎き敵でもある一振りの長剣はカリムの手にしっくりと馴染んでいた。  通称、黒の剣。その長剣にはある特殊な力があるとされていた。尤も、使い手次第ではただの重たい黒い剣でしかないのだが。 「よっしゃ、」  カサラギを背中に担ぐと、カリムは夜の森の中に向かって行ったのだった。
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