悪夢の先

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悪夢の先

 リレィは夢を見ていた。  嫌な、夢だ。  夢の中ではいつも決まって誰かが死ぬ。自分にとって大切な人を、今まで何人亡くしてきただろう? もう、リレィは泣くことすらしなくなっていた。  悲しい思いをするくらいなら、自分のせいで人を傷つけてしまうというのなら、もう今後一切誰とも付き合わなければいい。どこかでこの命尽きるまで、独りでいればいい。そう、心に決めたのだ。  それでも、夢の中では懐かしい誰かが登場する。そして決まって、死ぬのだ。  どうしてそんな夢を見せる?  私にどうしろというのだ?  リレィは耳を塞ぐ。  死んでゆく者の叫びが聞こえないように。 「……あ、」  夢の中にいたのはカリムだった。相変わらずスケベ面でリレィを見ている。 「おいっ」  ツカツカと歩み寄ると、胸倉を掴んだ。目一杯低い声で脅しを掛ける。 「その顔、やめろと言っている!」  と、カリムは不意に優しい笑顔になり、リレィの頭を撫でた。 「なっ、なにをっ、」 『お前、可愛いな』  そう言って微笑むと、クルリとリレィに背中を向けた。 「なんなんだよっ?」  顔が火照っているのがわかる。が、急に背を向けたカリムが気になって回り込むと、カリムは剣を構え、立っていた。向こうには魔物の姿がある。  まただ。  また、私を狙って……。  いつもそう。やつらはひっきりなしにやって来る。そしてリレィの側にいる人間を殺すのだ。リレィの、目の前で。だから彼女の見る夢は、記憶。昔見たビジョンを繰り返しているだけに過ぎない。けれど、今日の夢は違っていた。 「カリム、私のことはいいから逃げろ!」  そう、彼に告げたが彼は小さく首を振るだけだった。そして次の瞬間、地を蹴って前へ飛び出したのだ。 「駄目だ、カリム!」  魔物は鋭い牙を持っている。四足で走り、カリムに襲いかかる。 「駄目だっ。駄目だ、カリム!」  殺されてしまう。  自分と係わり合いになったばかりに、何の罪もない人間が次々に死んでいく。どうして? どうして私だけが生きている? リレィは叫ぶ。どうして私はあの牙を受けて死のうとしない? …生きたいのだ! その矛盾がいつも自分を苦しめる。 「行くな!」  カリムは魔物と対峙している。剣を薙ぎ、魔物と格闘している。魔物の牙が、爪がカリムに襲い掛かるたびにリレィの胸は締め付けられる。なのに自分は動けないのだ。ただ、見ているだけ。目を閉じることすら出来ずにここでこうして見ているだけ。 「カリムっ!」  魔物の牙がカリムを捕らえた。捕らえて、そして引きちぎる。血飛沫が舞い、辺り一面が赤く染まる。 「やめろーっ!」  声の限り、叫ぶ。だが実際は囁く程度の弱々しい声しか出ない。喉がカラカラに渇く。目の前で行われている行為をまた、止めることが出来なかった。カリムはもう動かない。ただの肉片と化していた。 「カリムっ! カリムっ、」  そうして、夢の中でだけ涙を流す。まるで泣く為に見ているかのような悪夢。 「もう、人が死ぬのは嫌だ……、」  言葉はいつしか嗚咽になり、リレィはその場に崩れ落ちた。背中が痛い。肩越しに振り返ると、魔物につけられた傷がパックリと割れている。そしてそこから、黒く醜い羽根がニョキニョキと伸びはじめたのだ。 「なっ……、」  その黒い羽根はどんどん大きくなる。そしてバサリ、と広がり、リレィの体をふわりと包み込んだ。 「なん……なんだっ?」  知らない!  こんな羽根は私にはない!  何故?  何故なんだっ? 『コロシテイルノハ オマエダヨ』 「ひっ、」  耳もとで囁くような嗄れ声。ザラザラと砂交じりのような、気持ちの悪い声。 『オマエダヨ』 「何なんだ! 何なんだっ!」  耳を塞ぐ。  こんなこと、今までなかった。  悪夢だ。  これほどの悪夢はない。  殺したのは、私?  違う! 『クロイハネハ オマエノダ』  バサリ、羽ばたく。  風が起こる。  砂が、舞う。 「私は……、っ!」  発する声が、嗄れる。砂を吸い込み、喉が痛んだ。何度咳をしても砂は取れない。  声が、嗄れる。  魔物のそれと、同じになる。 「うわぁぁぁぁっ!」 「リレィ!」  ふわ、と抱き起こされる感覚。 「……カ…リム?」  目を開けると、すぐ目の前にカリムの顔があった。どうして? 彼は死んだはずなのに。 「リレィ、大丈夫か?」 「な…んで?」  頭がフラフラする。まだ夢から覚めていないみたいに、現実感のない状態。 「熱、下がらないみたいだな」  リレィはベッドに腰掛けているカリムに上半身を抱かれた状態で額に手を当てられた。抵抗する力すら、ない。 「……もう、朝か?」 「朝だよ」  ぼんやりと戻りはじめる、感覚。そして気付く。カリムの腕、傷だらけじゃないか。 「お前っ、」  ガバ、と自分の力で半身を起こす。よく見れば顔にもすり傷がある。この分だと、他にも沢山……、 「何があったっ?」  閉じられているカーテンを開ける。窓の向こうに見えたのは、 「……な…んだ、これは……?」  魔物の、山。  正確には、もう動かなくなった亡骸の群。 「まさか、昨日の夜かっ?」  問い詰める。カリムは小さく笑って「そうだよ」と答えた。リレィは眉を寄せ、うつむく。絞り出すような声で言った。 「私に関わるなと言ったのにっ。どうして逃げなかったんだ」  たった一晩でこれだけの数が? ここ最近、寄って来る魔物の数が増えていることに気付いてはいた。しかし、こんな数を見たのは初めてだった。それを全部一人で片付けたというのか? 一晩のうちに? 「俺はフェミニストなんだ」  そう言って、カリムはポーズを決めた。リレィはそんな彼を見、深く溜息をついた。 「命がいくつあっても足りんぞ」 「美味しそうな女が目の前にいて、自分で食うならまだしもどうして魔物に食わせることができるっ? 勿体無いっ」  力説しはじめる。 「いいか、リレィ。世の中は『持ちつ持たれつ』だ。つまり、俺はお前を助けたわけだから、お前は俺に恩を返さなければならんっ」 「……で?」 「一度でいい。食わせろ!」  ゴンッ  ど突く。 「バカかお前は。私は助けてくれと頼んだ覚えはない。お前に食われるつもりもない」 「ってぇ~」  殴られた個所をさすりながら、カリム。 「……それにしても尋常じゃない数だ」  思わず口にしてしまい、はっとする。が、その呟きに対してカリムの返答はない。  どうしてカリムは何も聞かないのか? こんな風に『魔』が集まってくるわけを。 「リレィ、」  至極真面目な顔で、カリム。  来た! やはりこの事態を説明しなければならないのか。……当然だよな。 「な、なんだ?」  引き気味で、リレィ。  なんと言えばいい? 『私は魔物に好かれる特異体質だ』とでも? 頭の中でそんなことを考えていると、カリムはまったく違うことを口にした。 「汗びっしょりだったからな。着替えたほうがいいぞ」  ポン、と肩に手を置き、その手をスライドさせ服を脱がそうとする。 「バカかお前は」  言うより先にリレィは手を出していた。カリムが再び頭を抑え大袈裟に騒ぎはじめる。 「ちぇ、」  拗ねたように口をすぼめると、カリムは着替えを放って部屋の外へ出て行った。 「ったく、どういう神経してるんだ、あいつはっ」  ぶつくさ言いながらも、汗でベタベタになっているシャツを脱ぎ、服を着替える。随分スッキリする。この分なら何とか今日中にここを発てるだろう。いつまでも彼に面倒を掛けてはいられない。……それにしても、 「あれだけの魔物を倒すとは、」  十や二十ではきかない数だ。たった一人で深手も負わず、一体どうやって? 「……いかんいかんっ」  ぶんっと頭を振る。妙な甘えが出てしまう前に、早く遠ざからなければ。  ベッドから足を下ろす。冷たい床の感触が心地いい。そのまま立ち上がると、二、三歩歩いてみた。大丈夫。これなら行ける。  部屋の片隅に置いてある自分の荷物を引き寄せる。荷物、とはいえ中には大したものは入っていない。路銀も必要最低限しか持っていないし、服もない。かろうじて持っていたズボンに穿き替え、上はカリムの服のまま。腕をまくりあげ、靴を履き、準備完了。 「……れ?」  一つ、足りない。  リレィの剣が見当たらないのだ。 「あれがなきゃ、困るぞ」  キョロキョロと部屋を見渡すが、どこにもない。荷物と一緒に持ってきたはずなのに、どこに? ドアを開け、外に出る。家の周りをぐるりと一周するも、やはりなかった。 「こらっ、リレィ!」  遠くから、声。リレィの姿を見つけ、カリムが走ってきた。 「何やってるんだよ、この阿呆っ」 「……カリム、私の剣はどこだ?」 「って、ハァァ?」 「私はここを出る。色々すまなかった。……で、私の剣は、」 「駄目だね」  リレィの言葉を遮って、カリム。 「今、お前を外に出すことは出来ないし、剣も渡せないな」 「なんでっ、」  偉そうにそう言ってのけるカリムに抗議する。指図される覚えなどない。 「リレィ、しばらくここにいろ。俺がなんとかしてやるから」 「なんとかって、何をだっ? 私はもう大丈夫だっ。一刻も早くここを発って、」 「発って? 発ってどこへ行く? 目的なんか……行く場所なんかないんだろ?」  同情でもなく叱り付けるでもなく、淡々とした口調で言い放つ。その一言にリレィは息を飲んだ。  イクバショナンカ ナインダロ?  どこにも…… 「リレィ、俺はお前が何者なのか、多分知っているぞ」 「……え?」 「知りたくないか? 自分のこと」 「今……なん…て?」  嘘だ。  どうして彼が知っているのだ? 自分でもわからないのに、見ず知らずのこの男が私を知っていると? そんな馬鹿な。 「俺はお前がどうしてそんな目に合っているのかわかる。それが知りたかったらとっとと家の中に戻れ」  ピッとドアを指し、カリム。リレィは黙って戻るしかなかった。自分が何者なのか。今まで、知りたくて仕方なかったのだ。けれど誰にも明確な答えを示してもらえなかった。街で一番という占者に占ってもらったこともあったが、何も見えない、と言われたのだ。自分が何者であるか。それがわかれば、もしかしたらこれから先の自分も…自分の在り方も見えてくるかもしれない。  リレィはベッドの上に荷物を投げ下ろし、自分もその横に座った。 「本当に知っているのか?」  後から入ってきたカリムに上目遣いで尋ねる。まだ信じられない。 「ああ、知ってるよ」  カリムは短くそう言うと、椅子に腰掛け、大きく息をついた。 「リレィ、俺は職人なんだ」 「……は?」  いきなり関係ない話をはじめるカリムに、不信な目を向ける。だが、カリムは構わずこう続けた。 「これから話す事、心して聞けよ」  彼の瞳は珍しく、暗く、沈んでいた。
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