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捕縛師
「取り憑かれている?」
目に見えるものは簡単に信じられるが、目に見えないものをそう簡単に受け入れられるほど、リレィの頭は柔軟ではなかった。
「そう。簡単に言えば、ね」
カリムはリレィを見つめ、告げたのだ。
「『魔』って、人に取り憑くのか?」
「いや、普通はそんなこと有り得ない。命は事切れた時点で終わりだ。そこから先は、ないんだから」
「じゃあ、一体……、」
「つまり、リレィの中には強大な『魔』の力が眠っている。その力を手に入れたくて、あいつらはお前の所に集まるんだ」
「そんな……、そんな力、私にはないっ」
力だってあるわけじゃない。剣術だって、ほとんど実戦で覚えただけなのだ。
「ああ。強大な力が眠っててもお前に利は一つもないよ」
ふぅ、と溜息をつき、おもむろに立ち上がる。部屋の片隅に置いてあった袋を解き、中から長剣を取り出すと、リレィに差し出す。
「……これは?」
「俺のだ。名を『カサラギ』という」
「名前?」
名刀と呼ばれるものには名前がある、と聞いた事がある。だが、手にした剣は名刀と呼べるような代物ではない気がした。ただの、重たい黒い剣だ。
「俺は捕縛師なんだ」
「捕縛…師?」
どこかで耳にしたことがある。
確か、剣の修理を頼んだとき鍛冶屋のオヤジが言っていたのだ。「捕縛師の作った剣を見たことがあるか?」と。もちろんリレィはそんなもの見た事がない。捕縛師、というのがなんなのかもわからなかったのだから。
「捕縛師って、その……なんなんだ?」
眉根を寄せ、リレィ。カリムはフッ、と笑みを漏らすと、言った。
「簡単に言えば『魔』を捕らえてその力を剣に宿すことが出来る人間のことだ」
「……え?」
魔を、剣に宿す?
「このカサラギは、俺の親父が作った。とても強い魔を埋め込んである。使い手次第ではとてつもない力を発揮するぜ」
「じゃあ、昨日のあれは……、」
カリム一人であれだけの魔物を……それはカサラギの力?
「そうだ。カサラギには命が宿っている。だからそんじょそこらの剣とは違うんだ」
これで納得がいく。あの尋常でない屍の山は、そういうことだったのだ。
「カサラギは俺の相棒であり、敵なんだよ」
カリムがそう言ってリレィの手からカサラギを取り上げた。寂しそうに見つめ、更に続ける。
「俺には年の離れた姉がいてね、とても優しい人だった。だが、ある日を境におかしなことが起きはじめた。姉の周りに、魔物が集まるようになったんだ」
「……え?」
私と、同じように……?
「その現象は日々、激しくなっていった。はじめは魔除けの香木なんかで追い払っていたんだが、段々効かなくなったんだ。親父も、来るやつ来るやつ片っ端から剣や弓の中に埋め込んでいったが、さすがに追いつかなくてな。仕舞いにゃ街から腕効きの剣士雇ってたっけ。……そんなある日、親父は気付いた」
「……何に?」
「彼女は魔に取り憑かれてる、ってな」
ビク、とリレィの肩が震える。
「親父は捕縛師だ。魔を捕らえることができる。けど、それは目の前にいる形あるものに限ってだ。目に見えない強大な魔を捕らえることなんて、出来る筈もない」
「……、」
「でもやらなきゃならない事態が起きた」
グッ、と拳に力が入る、カリム。忌々しい過去を思い起こし、感情が抑えきれなくなっているようだ。
「彼女の内に巣食っていた『魔』が、成長しはじめたんだ」
「成長?」
「ああ。どんどん支配されていく姉は、とうとう自分の身を守る為に雇っていた剣士を殺してしまった」
「……なん…だと?」
「意識が途切れるらしいんだ。どんどん顔つきも変わりはじめて、放っておけば飲み込まれてしまうだろうことは容易に想像できたよ。なんとしてでも彼女に取り憑いた化け物を引きずり出さなきゃならなくなった」
その時のことを、カリムは忘れたことはない。凄まじい力で抵抗を続ける『魔』と真っ向から立ち向かった父親。苦しみながらも自分を取り戻そうと必死だった姉。
「……で、どう…なったんだ?」
リレィは掠れそうな声で問うた。
「助かったよ」
その言葉を聞き、ホッとするリレィ。だがカリムは自嘲気味な笑いを浮かべている。
「?」
「助かったけど、すぐに死んだ」
「どういうことだ?」
「……自ら命を絶ったのさ」
重たそうに、カリム。
「何故っ?」
「……最愛の人を、自らの手で殺した事を知ったから」
彼女を守っていた剣士。それは彼女の恋人だった。……止める間もなかった。彼女は無意識のうちに、彼を殺していた。命がけで姉を助けた父。しかし彼もまた、
「親父もその後すぐに。……捕縛のときに負った傷が原因でね。あっけないもんさ」
それきり、口を噤むカリム。
リレィもまた、声を掛けることが出来ず、黙っていた。長い、沈黙。
魔に取り憑かれた者はやがて支配されてしまう……。それはリレィにとってこの上なくショックな事実だった。今まで自分が戦ってきたのは生きるためだった筈なのに、自分が生きることで、自分の中に巣食っている魔を生かし続けていたとは。しかも、意識が途切れたら人を襲いかねないなんてこと、知っていたらこんなにしてまで生きたりはしなかっただろう。もっと早く、命を捧げていた。
「……私は生きる価値がない人間だ」
ポツリ、口をついてしまう言葉。
「バーカ」
隣でカリムが突っ込む。
「お前、俺の話ちゃんと聞いてたのかっ?」
「……聞いていた。だから私はっ、」
「だーかーらぁ、俺の姉さんは生きなきゃいけなかったのに死んだんだってば」
「でもそれは、自分でした事が許せなくて、」
「それでも!」
バン、とテーブルを叩く。
「それでも生きなきゃいけなかったんだっ。彼のためにも……」
彼女を死なせたくない。
それが恋人の願いだった。
だから繰り返される毎日、魔物達相手に剣を振るっていたのだから。
「恋人を殺したのは彼女の中にいた『魔』だ」
カリムの言っていることは正しい。けれど自分のせいで幾人もの人が死んで行くのを見てきたリレィにとって、その言葉はあまりに痛かった。
「……私は…生きてもいいのだろうか?」
「いいに決まってるだろ」
少し怒っているような口調で、カリムが言った。ポン、とリレィの頭を叩きながら。
「お前の中にいる魔は俺が引きずり出してやる。安心しろ」
「……でも、どうやって?」
「それは企業秘密だ」
悪戯っ子のようににんまりと笑い、すぐにまた真面目な顔に戻る。
「ただ、一つ条件がある」
「なんだ?」
ドキリ、しながら、リレィ。カリムは捕吏師だ。だからといって料金が発生した場合、リレィには先立つもの、ないわけで……。
「金はないのだが」
先に、言ってしまう。
「そんなもんいらないさ。ただ、」
「ただ?」
「しばらくここにいてもらう」
「……は?」
しばらくここに? どうしてだ?
「……お前、変なこと考えてないだろうな?」
思わず疑いの眼差しを向ける。
「考えてないこともないが、それだけじゃないんだ。捕縛する為には、リレィの中に巣食う魔が表に出てこないとな」
「……表に?」
「つまり、病状が悪化してからじゃないと捕まえることが出来ない。だから、いつになるかわからないよ」
ふふん、とスケベそうにリレィを一瞥し、笑った。
「いつになるかって……、もし今のまま何も変わらなかったら?」
「一生を共に過ごすということだ」
うんうん、と頷いて見せる。
リレィは頭を抱えた。そして、よからぬことを考えた。
もしかして、今までの話全部が根も葉もない作りものだったら……?
「言っておくけど、遅かれ早かれ病状は悪化するよ。俺の言うこと信じないなら出て行っても構わないけど」
読まれている。
「……わかった。だが、私が支配されるような事になったら、あんたの身に危険が及ぶんじゃないか?」
殺したくなど、ない。
自分のせいで人が傷付くのだって嫌なのに、自らの手を血に染めるなど、考えただけでも恐ろしい。そんなことになるのなら、いっそ今、この場で殺される方がいい。
「安心しろ。俺は自分が一番可愛い」
自信たっぷりに、カリム。
「……もし、」
「ん?」
「もし私が意識をなくして暴走したら、迷わず切り捨てろ」
キッ、とカリムを睨みつける。
「……わかったよ」
ふっ、と微笑む。そしてリレィの頬に手を伸ばし、もう片方の手で体を引き寄せた。
「お前のことは、俺が守るよ」
「……と言いながらこの手はなんだ?」
ギュウ、と腰をさする手を力いっぱいつねる。カリムの顔が引きつった。
「……リ…リレィ、痛い」
「魔物だけじゃない。お前も敵だな」
ポイと手を放すと向き直り、改めて問う。
「ところでカリム、私の剣はどこだ?」
「ああ、あれは今、仕事場の方にある」
「……仕事場?」
「あんまりひどいんでね、直してやろうと思って。……見に行くか? 俺の作業場」
カリムに言われるまま、リレィは捕縛師の仕事場へと足を運んだ。住処である掘建て小屋から歩いてすぐの森の中に、それはあった。森の中、その一角だけ木が切り倒され、ぽっかりと空間を作っている。ここも同じような狭く小さい小屋。ただ、物が少ないので広く感じられるようではある。
「……捕縛師というのは、鍛冶屋なのか?」
置いてあるものは鍛治の道具ばかりだ。魔物を捕らえる、と言っていたが、それっぽい道具は見当たらない。
「普通、捕縛師ってのは鍛冶屋も兼ねるんだよ。ほれ、お前の剣はそこだ」
まだ作業途中だ。それでも、リレィが使っていたのと同じ物とは思えないほど磨かれている。カリムはリレィに椅子を勧めると、自分はそのまま作業に取りかかった。カン、カンと鉄を叩く音と焼かれる鉄の匂い。仕事をしている時のカリムは、まんざら悪くもないな、などとぼんやりしながらリレィは黙ってその姿を見つめていた。
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