上海ハニー

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上海ハニー

やっと天使に会える。 宮田は武者震いをした。 ◇ 上海に赴任してはじめての飲み会で隣にきていた桜木常務が青島ビールをラッパ飲みしてひどく酔っ払っていた。 上司の絡み酒を適当にあしらっていたのだが…なんだか桜木常務の様子がおかしい。 「…また会いたいよ京子ちゃん…ぐすん…」 うん、これは本人のために聞こえないふりをしてあげよう。あとがめんどくさいことになりそうだと思っていると桜木常務が真剣な面持ちで言う。 「君は地上に降りた天使をみたことはあるか?」 「えーっと、いまのとこないです。 常務飲み過ぎですね…?僕ご自宅まで送りますよ」 「まぁいいから聞きなさい、天使はいたんだ会ったし触れた。触れる以上のことも…」 そういって常務はセカンドバッグから一枚の小さい名刺サイズの紙切れを渡してきた。そこには“上海商会”とあり、小さく電話番号も書かれていた。 「京子…」 「え、何かいいました?」 「そこに連絡して“京子”を指名するんだ。京子は特別だ。 値段もさることながら同じ客はよほど気に入らないと受けないから注意しろよ。まさに昔の花魁のように。 何が悪かったか…わたしは二度と会ってもらえないようだから…」 常務はひどく寂しそうに言った。 「天使って…つまり娼婦ってことですか?…常務せっかくですが日本に彼女を残してますのでそういうのは…僕は大丈夫です。」 「宮田」 「はい。」 「そんな次元じゃないんだよ。浮気とか娼婦とか。次元が違うんだ宮田! 生まれてきてよかったと思う瞬間がお前の人生に何度あった?」 「まぁ…そこそこありましたけど…」 「じゃあ、その体験を全部足してもおつりがくるっていったら? それが京子との一回の逢瀬だ。 少なくともわたしには… うぅ…会いたいよ京子…もう一度抱けたらわたしはなにもかも失ってもいいのに…」 そう言って桜木常務はプツッと糸が切れたように意識を失った。 タクシーで常務を自宅まで送って行くと玄関先まで品の良い奥様が犬をだっこして使用人らしき人とタクシーを出迎えてくれた。 常務が手に握っていた紙切れを抜き取りそっと自分のポケットにしまった。 ◇ 「あ!上海商会さんですか?あの、その…」 コールガールを呼ぶのは初めてで緊張してしまう… 「はいこちらであってますよ。 お名前頂戴してもよろしいですか?」 「あ、はい。宮田と申します。」 「ご新規様ですね」 「はい。今日は…あいてますか?その…京子さんは…」 「申し訳ございません京子は1ヶ月先まで予約がはいってます」 電話の向こうで紙をめくる音がした。 予約の確認をしているようだった。 「少々お待ちください」 カチャ 受話器を机に置く音がする。 するとしばらくして遠くのほうで女性の声がした。 “はーい!ご新規りょーかい♪ 頑張ったご褒美にご飯連れてってね! もちろん、青島ビールつきでね♪” 保留ボタンを押し忘れていたようで 会話が筒抜けだ。 「あのなぁ、お前この前みたいに腹減ったからってお客にそのまま高級焼肉奢らせるなよな…」 「だってー、いいよって言われたんだもん。京子の食べたいのなんでもいいよって。なんならなんでも買ってあげるって言ってたけどそれは断ったの。 あたし偉い?」 「全然偉くねーよ。 てかさ、なんでそのあとその太客の指名拒否にしたんだよ?」 「魂が濡れなかった。はい以上です! あたしのポリシー知ってんでしょ」 「またそれか…電話繋がってっから話はまたあとな。じゃあ来月新規客いれるからな」 「はいはーい。 てっちゃんあいしてるよー笑」 「バカか」 「あはは!ほらお仕事お仕事ー! ほら電話電話ー!」 「わかってるよ!」 “魂が濡れる”とは一体なんだろう… カチャ 「宮田様、大変お待たせ致しました。 来月の希望日時はございますか?」 ◇ あれから1ヶ月、声しか知らない京子に恋をしていた。 夢の中で京子は、俺の上で妖艶な腰つきで魅了し、あるときは少女のように恥じらんだ。夢の中では何度も京子の魂は濡れていた。 会いたくてたまらなかった。 毎日京子を想った。 店に予約の電話をしてから1ヶ月。 桜木常務から天使の話を聞いてからは3ヶ月が経っていた。 いよいよ会える… 単身者社宅を出る時に日本に残してきた彼女からメールが入っていたが無視してしまった。 いまは京子以外を意識したくない。 考えたくない。 思考の全てを感覚のすべてを京子に捧げたかった。 ◇ いま上海夜市でひとり、グラスに注いだ青島ビールの泡をみつめている。 先程までの時間を思い出す。 桜木常務は正しかった。 海外赴任が終われば日本に帰って待たせている彼女と約束通り結婚するだろう。 ただそれまではこの上海で泡のような恋をしよう。このビールの泡のような一瞬で弾ける恋。一瞬で満たされる恋。 いまあの子に一生分の恋をしている。 一方通行の恋だ。 だが彼女に出会えた幸せに包まれている。 自分は幸運だと初めて感じた。 そして生まれてきてよかったと全身で感じた夜に綺麗な泡に包まれるビールを一気に飲み干した。
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