苦い思い出

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苦い思い出

やっとひとりの時間を手にして僕はホッとしていた。 初めてやった試みだったけどうまくいったようだ。 うす暗く冷たい、そして静かな廊下が僕の緊張していた心身を癒してくれる。 誰もいない誰にも話しかけられない廊下をひとり歩いているとふわふわとした開放感があった。 寮のある高校なんて本当は嫌で仕方がなかった。 人を避け続ける僕を心配した両親が入学を無理矢理決めてしまったのだ。 社会に出る前に人との関わりに慣れなければいけない。 だ、そうだ。 確かにその通りかもしれない。けれど僕にとってそれは慣れるようなものじゃない。 人と居ると心底疲れる。 できればずっとひとりきりでいたい。 そう思うようになったのにはきっかけってものがある。 小学生の時に同級生にからかいを受けた。 小さい頃から多汗症だった僕はその事でよく注目を浴びてしまっていた。 ある日の授業中僕は先生からの問いに答えられなかった。 その事を先生に揶揄うように叱責され恥ずかしさのあまり汗が止まらなくなった。 自分に視線が集まれば集まる程汗はとめどなく溢れ出てくる。 それを同級生に笑われてパニックになった僕はついに教室を飛び出してしまった。 旧校舎まで全速力で走りトイレに立てこもった。 その後も汗は止まらずそして不思議な事に流れ出る汗は突然粘り気を帯びてきた。 粘液のようにネバネバと僕や便器にまとわりつき絡みつきついには僕は完全に動けなくなってしまった。 扉の向こうでは教師たちが出てくるように説得している。 動けないと訴えてもその理由を説明できず嘘をつくなと扉越しに怒鳴り声を浴びた。 その後僕のあだ名がネバ山になったのは小学生の残酷さゆえか。 あの日ようやく自身の汗からの拘束がとけた時には夜中になっていた。 僕は夜が好きだ。 夜の暗闇と静けさが、肌を乾かすような凛とした空気が僕に安心感を与えてくれる。 そんな事を考えながら結構長い間廊下を歩き続けていた。 そんなひとりの夜の時間を邪魔されたくはなかった。 だけどそんな願いは虚しく静寂は突如奪われることになる。 慌ただしさを帯びた足音が近づいてきていた。 自身の心臓の音が騒々しく聞こえた。
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