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…で、面談当日です。
ロマンスグレーのおじ様と、30代そこそこっぽい生真面目そうな眼鏡男子。眼鏡さんのほうはやや無愛想で、私のことを気に入らないの? と思うような態度ですが、おじ様は優しい笑みを絶やさず、歓迎ムードを漂わせてくれています。会話が思いのほか弾み、とんとん拍子と言うのでしょうか、気づけばもうすっかり入社の方向で話が進んでます。望んでいたことではありますが、順調過ぎて恐いです。
本当を言うと、さっきからずっと、脳内の私が、話がうま過ぎる、気を付けろ、と警告し続けています。でもこれを逃したら、もう内定もらえることなんて無いかもしれない。もう1人の自分が、その警告から必死で耳を塞いでいます。人間って、そうしたいと思うことがあると、不安要素には目をつぶろうとするものなんだな、これって、いわゆる正常バイアスってやつ? なんて、妙に冷静な自分が考えています。
私A いくらなんでもこれは…もっと慎重になるべきよ!
私B だいじょうぶ。
私A いや、でもね?
私B だいじょうぶだって。有望だって評価、見たでしょ?
私A だけど、こんな順調に決まるなんて、変じゃない?
私B それだけ、私の資格が期待されてるってことでしょ。
私A 世の中そんな甘くない! だって、面接で訊かれたことと言えば、資格の内容と、あと、『今までに最も印象に残った、叱られた思い出』って。意味分かんなくない? きっと何かとんでもない落とし穴が…。
私B だいじょうぶっつってんだろ! (スープレックス!)
だんだん激しくなる脳内会話+格闘。ついに入社するぞ方向の私が凶悪な技を繰り出し、もう1人を物理的に黙らせました。見事な完全勝利です。…そんなことを考えていて、気付くのが遅れました。事務的眼鏡さんが、何かを淡々と説明なさっています。
「というわけで、前任者が突然辞めてしまって。経理業務は滞らせるわけにはいきませんし、本当に困っています。ご入社いただけるのでしたら、すぐにも経理業務全般を引き受けていただきたいと考えています。社会人経験のない貴女にいきなりで申し訳ないのですが、資格をお持ちなので即戦力になると見込んで、拙速と思われるのを覚悟で、入社の方向でお話したいと思いご足労願った次第です」
そういうことでしたか。ほらね、もう1人の自分。怪しいことなんてなかったでしょ? 先方はすぐにも必要な経理担当者をゲットしようとしていただけなのよ。でも、業務内容は通常の経理の知識の範囲内、そう難しくないしだいじょうぶよきっと。
さらに淡々と進む説明を漠然と聞きながら、脳内の私Bが、私A@のびたまま、をツンツン突きながら話しています。そのとき、
「そうそう、余力があるときは、他の業務にご助力いただく可能性があります」
と、突然言われて、思考が途絶えました。
「他の業務?」
初めて聞くおじ様面接官の言葉に、私は首を傾げて尋ねました。一体、何をやらせようと言うのでしょう? まさか、パフォーマンス? なんてね、無理無理。私、運動音痴さにはかなり自信がありますし。
「そう。会社にはいろいろな仕事があり、それぞれ繁忙期が異なります。ある時期には極端に暇になったり、その逆だったり」
「ええ、はい」
「だから、繁忙期にある部署に、余力のある部署から助っ人を出すんです。そうすることでマンパワーも効率よく活用できる。互いの仕事に対する理解も深まり、助け合いの精神も育つ。社内全体のコミュニケーションもスムーズになり、いざというとき、ものすごく困ることにはならないというわけです」
「なるほど。合理的ですね」
そう応じると、眼鏡さんのほうが、
「ま、そういうことです」
と、眼鏡を押し上げながら得意げに返してきました。ちょっと、子供じゃないんだから(笑)。最初の印象とはあまりに違うその様子に、少し和みました。
助け合い。いいですね。もし私が何かの事情で出社できなくても、誰かが経理の仕事を代替してくれて、うまく回してくれるんですね。休みも取りやすそうです。
…あら? そんなしくみがあるのなら、どうして今、経理担当の方が辞めて混乱しているのかしら?
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