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「ど、どうしましょう孝光さん……!!」
「おぉ……? こら一大事やなぁ……」
焦るおーちゃんを前に、妙に俺は落ち着いていた。
今日は仕事が休みで、疲れ切っていて先ほど起きたばかり。
昼間は多少騒がしいとはいえ、今日の家の中は特別賑やかだった。
台所でタイマーがピピピピと絶え間なく鳴り響く。
ピーーーーーッとコンロにかけたやかんが甲高く呼んでいる。
疲れている時に後回しにした、2本の2Lのペットボトルが転がっている。
梅雨の時期だから、と廊下に立てた洗濯物干しは干してある物ごと全部倒れ。
ハンガーのついた洗濯ものが窓辺に広がっていて。
朝取ってきたと思われる新聞に足を取られたのか、床に倒れ込んで。
そしてこれから洗うはずの洗濯ものを入れる籠も巻き込んだらしく、それもかぶった俺の恋人――おーちゃんが涙目でこちらを見ていた。
泥棒でも入ったんかと聞きたくなるほど、見慣れた俺の――二人の家が荒れていた。
「……情報量が多いなぁ」
「孝光さぁん……!」
いつもならおーちゃんは全部そつなくこなす。
だが、どれから手を付けたらいいかわからなくなってしまったらしい。
その場から動くことが出来ず、音のする方と物が散乱した方を視線できょろきょろと見ていた。
――他人が自分より慌てていると落ち着くってのはこれの事やろうな。
これがもし漫画だったら小さな汗がおーちゃんの周りに飛んでるんだろう。
というか、俺にはそう見えてしまう。かわいい。
ふぅ、と短く息を吐いて頭の中で優先順位をつけながら足早に歩き始める。
「た、孝光さ……」
「うん。……ちょぉ待っててな」
すれ違いざま、頭にポンと手を置いた。
なるたけ落ち着くように、普段よりいくらか柔らかい声でおーちゃんをまず宥める。
「孝光さぁああん……!」
「大丈夫やから、な?」
ニッと口の端をあげて笑って見せながら、手を離すと期待に満ちた眼差しがこちらに向けられる。
泣くようなことは一つもあらへん。
それやのに、失敗したら捨てられるとでも思ってそうなほど必死の形相をしていた。
その顔は正直なことを言うのであれば、とんでもなくかわいい。
せやけど、それをかわいいと思うのはあんまよくはない。
泣いとる恋人で喜ぶ趣味は俺には一切無かった。
笑っとる顔なら大歓迎やから、レアな表情としてはちょっと見ごたえはあるのも否定はせんけども。
そこまで考えた所で台所に着いたので、一つずつ片づけていくことにする。
けたたましくピピピピと絶え間なく響くタイマーを左手で止める。
一人暮らしん時に値段も気にせんと買ったせいで音が阿呆みたいに大きい。
おーちゃんはこれで驚いたかもしれへん。
開いている右手で、ピィイイイーーーーとお湯が沸いていることを激しく主張し続けるやかんのガスコンロを止める。
一人やったらたまにしか飲まんからこれでええと思うとった。
けど、今は頻繁に使うし止めに行く時に焦らんで済む電子ケトルにした方がええかもしらん。
冷静に2つ片づけて、足元を見て2本の2Lのペットボトルを蓋の所で右手の指の間にで引っかけて掴む。
左手で蓋を開けてじゃぼじゃぼと軽く流してから、それぞれの手でベキベキと小さくつぶして分別の正しい方のごみ袋へと放り込む。
もう一度おーちゃんの方に近づいていき、柔らかく微笑む。
恋人の頭の上に乗っている籠をゆっくりどかし、彼にかかっている分のこれから洗うものは柔らかく掴んで籠に入れる。
そして、周りに散乱する分は適当に掴んで籠の中へと片手で掴めるだけ掴んで入れて行く。
足に新聞を絡めてこちらを見上げるおーちゃんはちょっとかわいい。
このままには出来ないので、随分と重くなった籠を一旦置いてしゃがみ込む。
こちらが手をゆっくりと差し出せば、おそるおそる掴んできた。
「孝光さぁあん……」
「ん。大丈夫、大丈夫やからな、落ち着いて立つんやで」
「はいっ!」
「ええお返事やな」
手をしっかりと握って支えながら立ち上がらせて、一歩だけ移動して貰う。
少しだけくしゃくしゃになった新聞を手早く整えて畳み、近くのソファの上に置く。
窓辺のハンガーのついたままの干していたらしい洗濯ものを拾いながらおーちゃんの方をなるべく見ながら話しかける。
「怪我はない?」
「あ、はい。僕は、大丈夫です……け、ど」
俺が今片づけて来た物達と、いま手にしているものをばつが悪そうにおーちゃんが見る。拾い終わったハンガーのついた洗濯物は乾ききっていたので、それも新聞とは重ならないようにソファの上に置きながら笑いかけた。
「ええよええよ。そんなん気にせんでも。おーちゃんが無事やったらええんや」
「で、でも……」
「俺は気にしてへん、けど」
「は、はい!」
「何があったかだけ、聞かせてくれへん?」
廊下の倒れた洗濯物干しを立て直しながら、おーちゃんの話を聞く。
まだ動揺していたのか、少し話が要領を得ていなかったものの理解は出来た。
突然、強い雨が降って来たので、急いで外に干した洗濯物を仕舞おうとしたらしい。
その時に走った結果。
廊下の洗濯物干しをまず倒し、後で直せばいいかと外の洗濯物をまず取り込んだ。
部屋に踏み込んだ瞬間に置いていた新聞にたまたま足を乗せて滑らせ、窓辺にハンガーがついた洗濯物をひっくり返した。
ソファで途中までやっていた網に入れたり洗う順番を分けていた洗濯ものの籠をその時に巻き込んでひっくり返しておーちゃんはあの体制になった。
どこから手を付けようか、と焦った所で作業の切り替えのカウントに使っていたタイマーと、コンロでお湯を沸かしていたやかんが大きな音を鳴らし――パニックになったようだった。
そこにあらわれたのが寝起きの俺だったらしい。
なんや騒々しいな、で二度寝するか迷ったけども、起きてよかった。
「……そら災難やったなぁ」
「その、随分この生活にも慣れてきましたし……少しずつやっていけば大丈夫だって、油断していた僕が悪いんです……」
別に怒ってへんのに、小さく縮こまるおーちゃんはかわいい。
けど、俺は笑ってる方が好きやし、本心できにならへんので柔らかく微笑んだ。
「そんなこともあるんちゃうかな」
「そうですか?」
「せやで? オレも慣れてきたらうっかりしてこういうことやらかす」
「……孝光さんはしないと思います」
「おーちゃんの中の俺の評価が高くて嬉しいわ。けど、なんや。ほんまに気にすることあれへんよ。全部もう元通りや」
「孝光さん、すごいですね」
尊敬のまなざしが向けられている。
けど、そんな大した理由ではないし、事実もう部屋は元通りだった。
「……寝ぼけてたんが良かったんかも知れへんな」
「へ?」
「なんや一気にやることがそこにあってな。現実味が薄かったんよ、そんだけやで」
はっはっは、と笑いながら恋人をそっと抱き寄せる。
もう不安げな表情はしていないものの、申し訳なさがまだあるらしい。
「……改めて。そんだけここの生活に慣れた、いうことやろ。ええやん。もっと油断して、かわいいとこいっぱい見せて」
「……もっと気合いれて家事頑張ります」
「お、おう……そっち行くんや」
突然力強い目で見上げられて、思わずドキッとしてしまった。
「孝光さんに宥めて貰って僕、すごく安心しました。嬉しかったです。でも、出来たら褒めて貰いたいので!」
「ほう……? ええやん。そういうの好きやで」
「……なので、信じて任せてくださいね!」
「元々信じて任せとるよ。しんどかったらちゃんと言ってな。当番制にはしとるけど、俺も一人で一通りできるんやで」
「は、はい! ありがとうございます!」
嬉しそうな返事になんとなく顔が緩む。
なんでかは分からんけど、俺にさせる気はあんまりなさそうな気がした。
隙みつけて手伝ったたろ。
そう思いながら、一応油断しないように軽く言っておくことにした。
「あとはパニックになったら気軽に呼んでな~いつでも孝光さんは助けたるでな?」
「孝光さぁあん……!」
顔を真っ赤にして、俺の胸を痛くない程度におーちゃんは叩く。
注意はせんでも自分でできるんが俺の恋人。
せやけど、本当は何か言って欲しいタイプなのも分かってる。
「ほんまにいつでも頼ってええから、焦らんくてええんやで」
「……はい、孝光さん!」
やっと見れた恋人のちゃんとした笑顔に、俺の表情もまた緩んでいく。
それはそれとして、と意識を切り替えて当たらめておーちゃんを見た。
「ほんでもって、家事そのものも一緒に今からがんばろな」
「は、はい……」
一人だと時間のかかる家事も、二人でやれば早く終わるのだった。
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