世界の果てまで僕らは逃げた

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    *  海で過ごすことの多かったという佐々木の泳ぎはさすがに見事で、無駄な動きも余計な水しぶきも上げずに波を掻き分けていきます。  それと比べて、僕は無様なものでした。 「宇塚、泳げると言ったじゃないか」 「学校の、授業の範囲くらいなら、泳げ……っ」  口を開けた瞬間に波をかぶり、水を飲んでしまいました。佐々木が血相を変えて「こっちだ」と引っ張ってくれます。  一度水を飲んでしまった僕はパニックとなり、泳ぎ方も忘れて手足をばたつかせました。よくは憶えていませんが、おそらくその時、砂浜に来たであろう「迎え」の人たちが僕らのいる海を見たのでしょう。 「くそっ」  と小さく言うと、佐々木は僕の頭を水中に沈めました。突然のことに僕は更に混乱しました――が、あれは正しい対処法だったようです。  溺れてパニックに陥った人間を助けるために、一度水に沈めて大人しくさせる、という方法があるそうです。  佐々木は僕を溺れさせまいとし、また、「迎え」に見つからないよう大人しくさせたかったのでしょう。  ぐったりとした僕を抱えて、佐々木は砂浜から死角となる岩場の影に身を潜めました。  飲んでしまった水を吐きながら、僕は岩にしがみつきました。  誰もが遊べる海水浴場のように穏やかな海ではありません。岩にしがみついているとは言っても、掴みどころは少なく、足が着くほど浅くもありません。手を離せばたやすく沈んでいってしまいそうだった僕を、佐々木はずっと後ろから支えてくれました。  海をよく知る佐々木と違い、僕にとって海は「得体の知れない何かが潜んでいるところ」でもありました。憧れでもあり、恐怖の対象でもあったのです。  だから佐々木がいてくれて、ほんとうに心強かったのです。  「迎え」の人たちはしつこく砂浜にいました。焚き火の跡が残っていたのがいけなかったのでしょう。  長時間海水に浸かり続け、僕らの体温はすっかり奪われていました。 「佐々木、交代しよう」  そう言って何度も岩を掴むよう促しても佐々木は首を横に振り続けました。 「俺は海に慣れている。お前は溺れてしまうだろう」  精一杯の強がりを、佐々木は口にしていました。  岩にしがみつく僕を背後から支え続ける体力など残ってはいなかったはずです。強い精神力だけで、佐々木はそうしてくれていました。  なぜそこまでしてくれるのか、という問いかけをしたくはありませんでした。そばにいる人を守ろうとすることに、理由をつける必要があるでしょうか。  あの時僕は佐々木を守りたかったし、佐々木は僕を守り続けてくれた。  ……僕らは戦争なんかに行きたくありませんでした。  そこで誰かを傷つけたり傷つけられたりなどしたくなかった。  どこかの国の見知らぬ誰かにも優しい手を差し伸べられる人間でありたかったし、そうなりたかったのです。  二人で互いをかばい守るように、無関係の他人の命も守りたかったしおびやかしたくはなかった。  戦場に行けばその願いは風にたやすく吹き飛ばされる塵のようなものになり果ててしまいます。  だから、見つかりたくありませんでした。 「……佐々木?」  海に浸かり続けてどれほど経った頃でしょう。僕を支える佐々木の腕の力が弱くなっているのに気づきました。  もう「僕の代わりに岩を掴め」と言っても首を振ることもありませんでした。血の気のなくなった顔の中、目は閉じられていました。  無意識下でも僕を岩側にかばおうとする佐々木の体を、どうにかして位置を交換して岩側に押し付けました。  けれど、僕の体から手を離した佐々木の手は、もう何も掴むことはありませんでした。  岩にその手を導いてやっても、背後から支えてやっても駄目でした。  佐々木の体はもう、一切の力を失っていました。  岩にしがみついて体力をかろうじて温存していた僕も、すっかりと白くなった佐々木の顔を見てすぅっと一気に体の力が抜けていくのを感じました。  すでに限界ではあったのです。けれど佐々木が懸命に守ろうとしてくれていたから、岩から手を離すわけにはいかなかったのです。  誰かが大事にしてくれている自分の命を、僕は守らなければならないと思ったからです。  その意地ももはや尽き、僕は息をしなくなった佐々木とともに沈み、そのまま波に流されました。
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