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Days28 ヘッドフォン
わたしは毎月月末に翌月一ヵ月分のお小遣いを貰うことになっている。父が政治家で裕福だと思われているので一部に湯水のごとくお金を使えると思い込んでいる人がいるようだが、実際は、一ヵ月分のお小遣いを使い切ってしまったら月が改まるまで無一文だ。
今月は彼と勉強するという名目で毎日飲食店に入り浸ってしまったので、残すところあと三日で財政が破綻した。といってもこつこつ貯めてきた貯金はあるのでどうしても苦しかったらおろせばいいのだけど、このお金はよっぽどのことがない限り手をつけたくない。彼に付き合っているうちに計画性を見失ったことを友達はもちろん親に知られたくなくて、彼にだけ「財布がからになったので文化センターの学習室で勉強します」とLINEして文化センターなる市営の施設に行った。
開館と同時に施設に入る。この時期の学習室はすぐに席が埋まってしまうので、早めに行かないとならない。朝から施設まで歩いて汗をかくことを思うと、一日じゅう自宅の涼しい部屋にこもって勉強すればいいのに、と思わなくもないが、運動不足になってしまう。わたしの夏でも蒼白い体は腕も足もがりがりで、毎日歩いて鍛えないと倒れてしまいかねない。
無料でエアコンが効いた学習室を利用できるとあって、中は中高生でいっぱいだった。
みんな気を遣って静かにしているつもりなのだろうけれど、シャーペンや鉛筆で何かをごりごりと書いている音が気になる。シャーペンの頭をノックする音でさえストレスになる。やっぱり自宅にひきこもっていたほうがよかったかしら。部屋の中にいれば自分以外に音を立てる人間はいない。お父さんに会いに来たお客さんがおしゃべりを始めることはあるけれど、最近は受験生の娘がいるからといって後援会の事務所で済ませてくれることが増えた。
わたしはバッグからイヤーマフを取り出した。白いシンプルなイヤーマフだ。こうなることを予測して持ってきたのである。これで周りの音を遮断すれば、もう少し集中できるはずだ。
わたしの聴覚過敏はこういう比較的音が少ない空間で起こることが多い。教室や飲食店といった人の声が当たり前にあるところのほうが覚悟が決まっているのかあまり気にならなくて、静かにしないといけない時にこそ発狂しそうになる。立ち上がって大声で叫んでのたうち回りたくなる――子供の頃のように。中学に上がって友達なるものが増え始めてから発作は収まってきたけれど、小学生の頃のわたしは自分でも自分がコントロールできなくてつらかった。
イヤーマフを装着する。無音の世界も安心だけど、耳にかかる圧力の心地よさのほうが大きい。体のどこかが絞めつけられている感じはとても気持ちがいいものだ。
これをなかなかわかってもらえなくて、小学校の頃、道端で突然知らないおじさんに歩きながらヘッドホンをするなと怒られたことがある。あの時わたしはお母さんにしっかりと手を握ってもらっていたし目では普通に周りが見えているので、特に危ないことはなかったと思うのだけれど。学校でもクラスメートに変な目で見られた。とはいえ、お父さんもお母さんもわたしがいじめられるのでないかと心配していたけれど、雪ちゃんはそういう病気なのよ、と担任の先生が説明してくれたあとは何も起こらなくなった。友達はいなかったが、それはわたしの性格の問題だ。
シャーペンの頭に唇をつける。今日は数学。問題集の章がひとつ終わったら、帰ってお母さんが作ったお昼ご飯を食べよう。
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