獣になれない傍観者

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獣になれない傍観者

 さすが貴族高校。ここは披露宴会場ですか? と問いたくなるような豪奢な食堂で、伊藤拓真は呆然と立ち尽くしていた。  あれ……まさか本物の人肉じゃないよな?  拓真の視線の先には「本日のAランチ」と表示された液晶モニターがある。それは主食、副菜、汁物、と順に切り替わっていく。瞬きし、目を凝らす。どう見てもメイン料理の上には「U12北海道産WH78-11を使ったシチュー」と書いてある。普通に読めば十二歳以下の人肉……ということになるが、肉の大きさはマスカットくらいありそうだ。あの大きさの人肉を、学食で提供できるくらい大量に仕入れる……そんなことが可能なのだろうか。コンビニに売っている人肉なんて、爪の先ほどのカケラが3粒入っただけで二千円だ。あのシチューをレストランで食べようと思ったら、一体いくらするだろう。庶民の拓真には検討もつかない。  白樺学園(しらかばがくえん)。ここは華族や政治家といった出自の良い子息や、芸能人や社長、いわゆる成金と呼ばれる階層の子息らが通う超お金持ち男子校だ。ベルサイユ宮殿をイメージして建てられた本校舎、及び学生寮は年に一回一般公開され、二日間で三万人が来場する人気イベントとなっている。  拓真は学力特待生として入学した。一般学生と同じアイスブルーの制服を着ていても、どこか着られているような気がしてならない。学生服といえば紺か黒が基調の地方都市出身の拓真からしたら、このホワイトルックはアイドルのステージ衣装のようなもの。拓真は中肉中背。リスとネズミを足したような顔はよく言えば癒し系だが、端正とは程遠い。  すぐ目の前を、シチューの乗ったトレイが横切った。思わず視線が引き寄せられる。  あの肉……やっぱり本物か?  拓真の視線に気づいて、学生が足を止めた。顔を上げ、目が合う。 (堂野先輩……っ)  生徒会長だ。男くさい、苦味の走った美貌にどきりとする。その隣には副会長の三崎唯斗(みさきゆいと)もいるではないか。こちらは中性的な美形。二人とも公卿の家系で、金持ちばかりのこの学園でも一目置かれる存在だ。  拓真は生徒会に所属している。ここの生徒会は単なる学校自治組織とは違い、所属することで様々な特権、サービスを得ることができる。やりたい放題、と言ってもいい。生徒会に所属してさえいれば、授業をサボろうが、テストでどんな酷い点数を取ろうが、卒業することができる。拓真のような特待生は、無論、テストで酷い点数を取るわけにはいかない。授業中も好きにしていいのは、成績を伸ばすための配慮だ。  生徒会に入れるのは、拓真のような学力特待生と、寄付金の多い学生だ。寄付金の多い学生は、学年に十名から二十名ほど。学力特待生は学年に一名。生徒会で書記や会計といった役職を持つのはわずか五名。生徒会長と副会長はまさにカーストの頂点だ。 「こ、こんにちは……」  拓真は姿勢を正し、頭を下げた。再びシチューが目に入る。けれど健常者の拓真には、それが人肉なのか、牛肉なのか、見分けがつかない。  生まれつき、味覚を持たない者がいる。正確には、ヒトの血肉でしか味覚を感じられない人間だ。かつては食盲、食人症候群などと呼ばれていたが、近年、遺伝子の二重螺旋に特異な反復形状があることが判明し、それに似ているロンド旋律から「ロンド」と呼ばれるようになった。  ロンドが味覚を感じる唯一の食材はヒトの血肉であるが、誰の肉でも良いわけではない。ロンドが人口の約5パーセントと言われる中、「味のする体」を持つ人種……ロンドにちなんで「ワルツ」と呼ばれる人種は約3パーセントと言われている。  ロンドにとって、ワルツは骨と毛髪以外全て食材となる。他では味を感じることのできないロンドにしてみれば、ワルツの体は苦くても辛くてもご馳走と言えた。そのため、ワルツの肉は市場で高く取引されている。  ワルツにその体質の自覚はなく、ロンドが食して初めてそれが判明する、と言われているが、実際のところ、ロンドはワルツの体臭や汗からも食欲をそそられるため、汗をかいたワルツに近づけば、食べずとも見抜くことができるとも、それ以前に、なんとなく雰囲気でわかる、とも言われている。  でもそれも、拓真には一生知ることのできない感覚だ。 「伊藤くんって、ロンドだったの?」  三崎が言った。凛とした美声は、彼の繊細な顔立ちにピッタリだ。  名前を覚えられていたことにびっくりする。けれど嬉しいという感情が芽生える間も無く、拓真は反射的に否定した。 「いやっ、僕はロンドなんかじゃ……っ」  言った瞬間しまったと思った。堂野の目尻が鋭く吊り上がる。  「唯斗、行くぞ」  堂野は足先を変えた。  拓真は頭を下げ、「す、すみませんっ」と大声で謝る。これを引き摺りたくない。ただでさえ自分はカーストの底辺、成金の下の平民なのだ。トップに君臨するこの二人に嫌われたら終いだ。  ロンドなんか、とか言ってすみません。でも、僕が生まれ育った田舎では、ロンドってだけで村八分にされるくらい、それはそれは忌み嫌われていたんです。街に出たって同じです。ロンドって言われたら、たいていの人間は警戒心を抱きます。だってそうでしょう。満員電車で目の前に汗をかいたワルツがいたら、たまらなくなって舐めてしまう。もっと酷い奴だとカッターで肉を削り取る。ロンドは犯罪者予備軍です。僕はそう教え込まれました。だから咄嗟に否定してしまいました。  ……なんて、正直に言えるはずがない。拓真は二人の気配が去った後も、しばらく頭を下げ続けた。  大理石の床を見つめながら、ここで、これまでの常識は通用しないのだと拓真は悟った。  住む世界が違いすぎる。自分の生まれ育った田舎……日本の九割に該当する地域では、ロンドは恐れられ、犯罪が起きれば真っ先に疑われる存在なのは間違いない。けれどここは違う。そもそもロンドが犯罪を犯すのは、飢えているからだ。人肉は出回っているが高価なため、食卓に並ぶことはまずない。庶民が手にするのはジップ袋に入った小粒だ。  だから「もっと食べたい」という欲望が犯罪に手を染める。  けれどここはどうだ。拓真は顔を上げ、テーブルを見渡した。  肉の大きさに驚いて、疑ってしまったが、舌の肥えたお坊ちゃんが偽物(牛肉をワルツの血で味付けしたもの)で満足するはずがない。あれは本物の人肉だろう。  ここにいる彼らは、食べたいと思った時に、ワルツの人肉を食うことができる。飢えることがないのだ。それが彼らの常識なら、恐れられる理由はない。現に、堂野と三崎のテーブルには、取り巻き連中が集っている。もしかしたら、膨大な食費のかかるロンドが家系にいることも、この世界ではステータスのひとつとされているのかもしれない。
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