獣になれない傍観者

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 ペンションのような白亜の建物が見えてきた。  ここを目指してきたのに、いざ辿り着いてしまうと足が竦んだ。 「行こう。きっと大丈夫だよ」  佐伯に続いて中に入った。  広々としたロビーには、朱色の絨毯が敷き詰められていて、ゆったりとした一人掛けソファが談話に適度なバランスで配置されている。授業中であるにもかかわらず、ソファはほとんど埋まっていた。学生らはチェスをしたり、液晶端末で公営ギャンブルを鑑賞したりしている。 「生徒会長室だ」  佐伯が顎をしゃくった。  二階は吹き抜けとなっていて、正面に二階の廊下が見えた。四つの扉があり、佐伯はその一番右端を見ていた。  正面の階段を上って、そこへ行く。  佐伯がノックをしようとしたので、「ありがとう。ここからは一人で大丈夫」と制した。  なんだか重大任務のようだが、単に謝りに行くだけだ。「そんなことでいちいち来るな」と逆に怒られないだろうか。別の不安が湧いてきた。  ノックをするが、返答はない。よし、やめよう。踵を返そうとしたら、佐伯がガチャリと扉を開けた。 「伊藤くん、見なよ」  言われて中を覗く。奥に広い部屋はアンティークな家具で統一されている。ベランダに通ずる窓には日差しを遮るドレープカーテンが掛けられ、無駄に高い天井にはシャンデリアが吊り下げられている。素早く視線を走らせるが、部屋には誰もいない。でも側面には扉があった。中にも部屋があるのだ。 「すごいな。高校生にこんな部屋必要か?」  佐伯は興味津々で中へ入る。 「ちょっ、勝手に入ったらまずいって……」 「大丈夫だよ。謝りに来たって大義名分があるんだから」  自分だけ引き返すわけにもいかない。拓真は後ろ手に扉を閉めた。  佐伯は窓辺のソファセットへ行く。テーブルにはワイングラスが置かれていて、半分ほど液体が入っていた。佐伯はそれを手に取り、匂いを嗅いだ。  ふとその時、ガタンと音がした。扉の奥からだ。 「さ、佐伯くんっ」  佐伯は躊躇うことなく扉へ向かう。そのまま開けてしまうのかと思ったが、彼は立ち止まり、扉に耳を当てた。  そして急に拓真の方へやってくると、手を掴み、窓へといざなった。二人でベランダに出る。  張り出しのベランダで、隣とは繋がっていない。こんなところにいるのがバレたら即、アウトである。どういうつもりだと佐伯を睨めば、彼は楽しそうに人差し指を唇に当てた。  仲良く並んでしゃがむ。  窓は少し隙間を開けており、佐伯は指を突き入れる。カーテンをわずかに開けた。  見て、見て、と指でジェスチャーされ、拓真は仕方なく佐伯の下から中を覗いた。 「……っ」  ハッと息をのむ。目の前のソファで、堂野と三崎がもつれ合っていた。堂野が上で、三崎が下だ。堂野は制服を着ているが、三崎は何も身につけていない。  ソファの肘掛けと堂野の体に遮られ、三崎の全貌を見ることはできない。投げ出された手足の白さが、この世のものとは思えなかった。 「はっ……んんっ」  ちゅっちゅっと交わされるキスの音が生々しい。  というか、近すぎるし、バレたら本当に人生終わる。緊張から、拓真は足が震えてきた。 「んっ……はあっ」  佐伯くん、カーテン閉めて! 拓真は佐伯の肘を突くが、佐伯は完全スルーを決め込む。そしてあろうことか、もう片方の手をそうっと後ろポケットに伸ばし、ポケットからスマホを取り出した。  こいつ、まさか……  そのまさかだった。佐伯はカメラモードにし、学園ツートップの戯れを録画し始めた。  拓真は戦慄した。とんでもない男だ。こんな男と一緒にいたら、命がいくつあっても足りないっ…… 「やけに甘いな。いいことでもあったか」  堂野の言葉に、また、心臓が大きく波打った。 「んっ……別に? よく寝た……からかな」  ふいに堂野がソファを降りた。  ま、まずいっ! 拓真は両目を見開いた。殺されるっ!   しかし堂野が向かったのは扉の方だ。扉の横、空調ボタンを操作している。鍵が開いているのに気づいて、今更カチリと施錠した。 「暑いのは嫌だ」  三崎が文句を言った。 「俺のために我慢しろ」  俺のために我慢しろ? 拓真は胸の中で反芻した。いっそ清々しい俺様だ。さすが名門子息。  三崎は気を悪くするどころか微笑んだ。わがままに付き合うのを楽しんでいる感じだ。 「そんなに甘い? 今日の俺」 「お前はいつも甘い」 「でも俺の味知ってるの恭介だけだし、俺は自分の味なんてわからないし、いまいちピンとこないんだよね。信用できないっていうか」 「それは脅しか?」 「他のロンドに舐めさせちゃうぞって? ふふ、深読みしすぎ。俺はお前以外に触れさせないよ」  なんだこの会話は……エロい、のか? わからないが拓真はドキドキした。  堂野が振り返る寸前で、佐伯は見事にカーテンを閉めた。  足音が近づいてくる。ちゅっちゅとキスの音が聞こえ、佐伯はカーテンをわずかに開けた。当然のように撮影を始める。 「あっ……ん、ふっ」 「本当に、他の男に触らせてないだろうな?」 「そ……なの……お前ならっ……わかる、だろ……」 「お前の体はうますぎるから、他の男の匂いなんてわからない。お前の味しかしない」 「ん……」  くすぐったいのか、三崎は美しい顔を歪めた。よほど暑いのだろう、顔中に珠の汗をかいている。  拓真の股間が持ち上がった。セックスしているわけではない。男が男の体をチロチロと舐めているだけなのに、拓真は信じられないくらい興奮していた。  ふと佐伯はどうなのかと顔を上げた。ちょうど、赤く濡れた舌がペロリと形のいい唇を舐めた。野生動物の舌舐めずりと全く同じだ。  目は獲物を射抜かんばかりにギラついている。どこか人間離れした顔つきに、拓真は本能的な恐怖を覚えた。ハッと彼の股間を見る。彼のギラついた表情は食欲によるものらしく、そこはおとなしいままだった。 「あっ……い、いく……っ」  体を舐めていただけではなかった。隙間からでは分からなかったが、堂野は三崎の股間を扱いていたらしい。首筋に埋めていた顔を離し、股間へ下がる。おそらく直接口に含んで飲み干そうとしたのだろうが、間に合わなかった。三崎の放った精液は、彼の白い体をびたびたに濡らした。 「もっと早く言え」  堂野は三崎の体を舐め回した。精液を舐めるなど、拓真からしたら罰ゲームでしかないが、堂野は一滴も残すまいと熱心に舌を這わせている。なんだか本当に美味しそうに見えてきた。 「んっ……うまい?」 「ああ。この世で一番うまい」  三崎は幸せそうな顔をした。汗に塗れた顔は神々しくさえあった。 「ふふ……うっ……んじゃあ……俺から……離れられないね」 「ああ、お前を食い尽くしてやる」  三崎の体を舐め尽くすと、堂野は股間に顔を埋めた。 「ぁあっ……」  三崎が仰け反る。不意に視界がカーテンに遮られ、あっ……と声が出そうになる。見つかったら終わりなのに、鑑賞に夢中になっていた。  佐伯はスマホを後ろポケットに仕舞うと、音を立てずに窓を閉めた。そして静かに立ち上がると、柵に足を掛け、ひょいと屋根に登った。  おいおい抜け駆けかと焦ったが、すぐさま長い手が伸びてきた。掴むと、グイッと引っ張り上げられた。 「屋根裏部屋の窓から中に入るよ」  佐伯はそう言って屋根を進む。拓真はついていく他ない。小さな出窓があり、あらかじめ細工をしていたのか、佐伯はいとも簡単にその窓を開けた。  体を縮め、中へと入る。  天井の低い、板張りの質素な空間だった。ホコリをかぶったソファや楽器が場所を取っていて、広いのだろうが狭苦しい。 「いいものが撮れたよ」  佐伯はその場にあぐらをかいて座ると、撮ったばかりの動画を再生した。 「どういうこと? 最初からそれが目的だったの?」  拓真も隣に座る。 「最初からって? サロンの存在を知った時には、こういうの撮ろうとは決めてたよ。絶対こういうことしてるって思ったからね」  拓真は脱力した。利用されたと思うのは自意識過剰だった。 「でも、なんのために?」  恐る恐る問うと、佐伯は小指を出してきた。 「絶対誰にも言わない?」  ゆびきりげんまんだと気づき、「言わないよ」と言って小指を引っ掛けた。この学園で、彼以外の学生と仲良くなることはないだろう。さっきはとんでもない男だと思ったが、今はその度胸に尊敬の念を抱き始めている。  指を切った。 「脅すため」  佐伯はにこりと微笑むと、天井を見上げ、「うまそうだったな」と舌舐めずりした。
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