のびる

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   木が生い茂る森の中の、こじんまりとした湖。半日も歩けば一周できそうなくらいの大きさだった。  手漕きボートで湖の真ん中にいた。風もなく、音もなく、静かな湖面は反射し、僕の姿を映していた。  こんなところで釣りをしていて、何の役に立つの?そう思いつつも、これは先生から出た課題だ。僕が勇者になるための。これが僕にとって、ラストチャンスになるかもしれない。  最近、魔王復活の噂が広がっている。  その理由は、いくつかある。  まず一つは、魔王の復活は定期的に訪れる。それは百年空けて復活することもあれば、五百年で復活することもあった。間隔はまちまちだが、いずれ魔王が復活するのは定説なのだ。そして前回、魔王を倒してから現在まで、もうすでに三百年経っている。  前回とき復活した魔王は、たった三か月の間で世界の半分を焼き尽くしたという記述が残っている。  二つ目の理由は、魔獣の活動が活発になっている。  魔獣は、魔王の手下と言われているが、その生態ついて本当のことは分かっていない。魔獣が生息しているのは、人里の離れた未開の地で、暗くて狭い場所を好んでいるという。そのため人が目にすることは滅多にない。しかし最近、その魔獣が人里まで降りてきて、悪さをしている。成人男性なら余裕で追い払えるが、女性や子供が狙われケガするという事例が少なからず増えてきた。  そんなこともあり、魔獣が活発になっているのは、魔王の復活が近いんじゃないかと噂されている。  そして最後の理由は、ここ近年、勇者が不在ということだ。  我が国には、国王が所持している勇者の剣がある。その勇者の剣は、勇者の資質がないと鞘から剣を抜くことが出来ない。我こそは勇者だ、という者が、勇者の剣を鞘から抜こうとするが、ここ五年間、剣を抜ける者がいない状態だ。  五年前までは、勇者として認められた者は途切れなく存在していた。ある時期には数人の勇者が同時に存在していたこともあった。しかし、そういう時に限って魔王は復活せず、勇者は年齢とともに力を弱め、剣が抜けなくなり、一人また一人と勇者を引退していった。そして今は、勇者不在となっている。  その勇者不在が国民の不安を駆り立て、それが原因で魔王復活の噂が大きくなっている。  国は元より、勇者の育成により力を入れている。  元勇者が指導員になって勇者の養成所をいくつも建てていた。その勇者養成所の方針は、元勇者の特性の違いにより指導方法も異なっていた。ある所では剣技を徹底的に教え込み、ある所では体力と根性を、またある所では勇気と度胸を。その養成所で流派みたいなものがあった。  もちろん、多くの勇者を輩出している養成所は人気があり。多くの勇者志願者が集まってくる。各々の勇者養成所で、元勇者に認められた者だけが、勇者の剣を抜く試験が受けられる。  勇者は、人々の憧れの的だった。周囲から羨ましがられる存在なのだ。  その反面、嫉妬も受けやすいのも確かにある。魔王がいつ復活するかも分からないのに、市民から税金を徴収し、いくつもの勇者養成所を運営していた。人々は、いずれ訪れる魔王から身を守ってくれる勇者の存在は必要だと認識しながらも、日々の生活が税金により苦しくなることには不満を抱いていた。それが勇者が反感を受けやすい理由の一つでもあった。  それでも僕は勇者になりたかった。  僕は、人々から認められる存在になりたかった。  僕は田舎の勇者養成所にいる。先生の言い付け通りに湖で釣りをしていた。  しかし、全然、魚が釣れない。初日に来たときは、先生が見本に魚を釣って見せてくれた。何匹も。だから、この湖に魚がいないということはない。  湖の周りにある多くの木が風を遮り、湖面はさざ波もなく、なめらかな鏡が外の景色を反転して映していた。僕は、釣り糸の先にある、湖面に映る自分の姿をじっと眺めていた。  あまりにも何もしない時間が続いたので、ついつい今までの自分を見つめ直すことになった。  なぜもっと思い通りに体を動かせなかったのだろう?相手の剣をひらりと避け、自分の剣を素早く突けば勝てていたのに。  僕は脳裏で、勇者養成所で模擬訓練の様子を思い返していた。  またある養成所では、持久力のテストがあった。  苦しかったが、あのときスピードを緩めなければ、最後に抜かれずに済んだのに。  またある養成所では、洞窟の中で魔獣の討伐をした。  暗闇の中でタイマツの灯りを頼りに進んでいく。タイマツの灯りは足元を照らしてはくれたが、洞窟全体の暗闇を取り除いてはくれなかった。暗闇に魔獣が隠れていると思うと、僕の体は固まった。あのとき、もう少し勇気があれば、先頭を切って進んでいけたのに。  僕は、いままでの自分の失態に後悔し、自分を責めた。    僕は、今まで色んな勇者養成所を巡った。しかし、どの養成所でも一番にはなれなかった。それでも勇者になりたくて、こんな田舎の養成所までやって来た。  この養成所の(うた)い文句は、潜在能力を伸ばす、というものだった。だけど、実態はそんな訓練はしないと口コミで広まっていた。指導員は勇者を育てる気は全くなく、ただ生活の雑務を押し付けるだけだという噂だった。そんな噂が立つくらいだから、この養成所は人気もなく、田舎の隅っこで細々と運営しているのだろう。実際に、この養成所にいるのは僕だけだった。  僕は、この指導員に気に入られさえすればいいと考えていた。気に入られ、勇者の剣を抜く試験の許可だけだほしかった。だから初めて会ったとき勇者になりたい動機を聞かれたとき、僕は「みんなを魔王から救いたい」と答えた。先生は僕の目をじっと見つめ、「その望みを叶えてあげましょう」と言った。きっと僕の模範的な動機が気に入ってくれたのだろう。    今日も一匹も釣れなかった。釣れないどころか、釣り糸が、うんともすんとも動かなかった。  夕方になると、僕は養成所に戻る。養成所と言っても、稽古するような場所は無く、先生の居住空間になっている。僕は、そこで先生と一緒に暮らしている。  僕は先生に魚が釣れなかったことを報告した。先生は「それは残念だ」と言うだけだった。まるで、魚が食べれないことを悔しがっているようだった。釣りは、勇者になるための修行じゃないのか?と僕は疑問に思う。でも文句は言わない。どうしても、先生には気に入られないと。  生活の家事は僕がする。掃除、洗濯、風呂焚き、そして食事も。夕食の準備をするのだけど、食材はいつも先生が用意していた。種類は豊富で、野菜や肉、パンやチーズ、どこから仕入れてくるのか分からないが、僕は家に戻ったときには用意してあった(魚は無いが)。僕が釣りをしている間、先生がどこで何をしているのか不明だった。そして、いつも夕方には先生は、すでに軽く酔っていた。  食卓に食事が並ぶと、先生は食べる前にしばらく祈りを捧げた。僕は無宗教だったけど、一応、形だけ先生の真似をした。  僕は食事中に、以前から思っていることを先生に質問した。  「先生は僕の潜在能力を伸ばしてくれるんですよね」  「そうだよ」  「いつから修行に入ってくれるんですか?」  僕は釣れない釣りをするのには、もう飽きていた。それよりも早く、先生に認められ、勇者への試験資格を獲得したかった。  しかし先生の答えは意外なものだった。  「もうやってるじゃないか」と先生は言った。  「釣りしかしてませんけど」と僕は言った。  「魚が釣れてないので、釣りはしていないね」と先生は言い笑った。  僕は先生の言葉にムッとした。「じゃあ、僕はいったい湖まで行って何をさせられてるんですか?」  「内省だよ」  「内省?」。僕は訊き返す。  「そうだよ」。先生は箸を置き、食事を中断した。そして僕に問い掛けた。「ところで君は潜在能力にどんなイメージを持っているんだい?」と。  僕は少し考え、「自分の中に眠っている能力」と答えた。  僕の答えを聞いた先生は、「それも正しいが、私が思っているのとちょっと違う」  「じゃあ先生が思う潜在能力って何ですか?」  「それは自動的にしていることだよ」  「自動的に?」  「そう自分で意識しなくても出来ること。例えば、今、食事をしているが、それを消化して栄養にすることとか。自分が意識してなくても勝手に働いてくれるものが潜在能力だと考えている。心臓を動かすことも、呼吸をすることも、命を維持してくれる仕組み全てが潜在能力なんだ。私はこの潜在能力は、もう一人の自分が行ってくれていると思っている」  「もう一人の自分?」  「そう自分の中に、もう一人の自分がいる。だから、本人は休んでいるときも、そのもう一人の自分が自動で働いてくれているから命が維持できる」  僕は疑問に思ったことを口にした。「それ、勇者になるのと関係するんですか?」  「まあ、そう急かすな」と先生は僕を(たしな)めた。そして、そのまま話を続けた。  「潜在能力の働きは、命の維持だけではない。他にも習慣がある」と先生は言った。  「習慣?」  「そう、習慣だ。普段からしていることは潜在能力が働いている。例えば、今、食事をしているけど、箸を使う動作を気に掛けているだろうか?たぶん、ほぼ意識せずに使っているだろ。それは箸を使うのに慣れているからだよ。これは剣術にも言える。上達者というのは、訓練をして慣れれば慣れるほど、考えなくても勝手に体が動くというわけだ」  僕は先生の話には納得したが、腑に落ちない点もある。僕はそれを口にした。  「だったら僕に釣りなんてさせないで、剣術でも教えてくださいよ。先生は元勇者なんでしょ」  「まあ、待て。最後まで私の話を聞け」と先生は、また僕を(たしな)めた。「それに剣術が上達したいのなら、私以外の元勇者の養成所に行ったほうがいい」  僕は、他の養成所を逃げ出したことを思い出した。もう、可能性はこの養成所しかなかったのだ。僕は先生に詫び、先生の話を続けてもらった。  「潜在能力とは、もう一人の自分が働いている力だ。だけど、もう一人の自分と仲良くなっていないと、その力は完全に発揮しない。例えば、10の力を持っていたとしても、もう一人の自分と仲が悪ければ、5とか6しか力が出せないこともある、ということだ」  僕は、にわかには信じられなかった。「もう一人の自分と仲良くなってないって理由で、自分の力が発揮できないなんてあるんですか?そもそも、本当に、自分の中に、もう一人の自分なんているんですか?」  「意識せずに勝手に動いているんだから、それはもう一人の自分が動かしていると思ったほうが理に適っていないか?そして、もう一人に自分がいると思ったら、どうしたら力を貸してくれるかを考えるんだ。君だったら嫌いな奴に力を貸したいと思うか?」  「じゃあ、どうすれば、もう一人の自分に力が借りれるのですか?」と僕は問う。  「それが内省だよ。きっと釣りをしている間、君は自分を責めていたはずだ。それは、もう一人の自分を責めていることにもつながる」  「でも失敗したり、上手く行かなかたら、自分を責めるでしょ。それが反省するってことじゃないんですか。そしてそれが次に活きるわけでしょ」  「失敗したり、上手く行かなくても、まずは、もう一人の自分を労うことだ」  「なぜ?」  「それは、一番最初に言ったように、生きてるだけで潜在能力は働いている。君が生きているうちは、どんなことがあろうと、まずは、もう一人の自分を労わなくてはいけない。そして、それが済んでから、次に活かすための方針を考えるべきだね」  僕は先生の話に納得したわけではなかった。しかし、この養成所が最後のチャンス。従うしかない。「内省して、もう一人に自分を労えばいいんですか?」と僕は訊いた。  「労うだけでなく、慰めたり、褒めたり、感謝したり、手を取り合ったり、抱き合ったり。イメージでいい。イメージの中で、もう一人の自分を作り、仲良くなることだ」  僕としては、聞いていて恥ずかしくなるような指令だけど、やるしかない。そして先生に認めてもらい、勇者の試験を受けさせてもらわないと。  「それができたら、潜在能力が伸びたことになるんですか?」と僕は訊ねた。  「それは、第一段階だ」と先生は言った。  「まだ何かあるんですか?」  「始めに君に訊いただろ、潜在能力について。そうしたら君は、潜在能力は『自分の中に眠っている能力』って答えたんだ。実は、この答えも正しい。潜在能力というのは、無限の力なんだ。そして、君の中にも無限の力が眠っている」  「じゃあ僕にも、その無限の力が使えるようになるんですか?」  「それは君次第だ。まずは、もう一人に自分と仲良くならないと話にならない」  長い話が終わり、僕たちは食事の続きを始めた。  次の日から僕は湖で、もう一人の自分を労ってみた。誰もいない場所だったので、恥ずかしさもあまり感じすに行えた。湖面が反射しているのも都合が良かった。湖面に映る自分をもう一人の自分だと見立てて声を掛けた。  剣術で負けた時、持久力で抜かれた時、暗闇の中で怖くて体が動かなかった時。今までの養成所で上手く行かなかったときを思い浮かべた。    「あのときは精一杯頑張ってたね。君は良くやった。君は素晴らしい。頑張ってくれて、ありがとう」  僕は目の前にいる僕を労った。何度も何度も繰り返した。来る日も来る日も。  湖で内省して何日も経った。そんなある日、不思議なことが起こった。  湖面に映る自分が、だんだん若くなっていった。時間を(さかのぼ)り、子供の時の自分になった。そして僕は、子供時代のことを思い出していた。  子供の頃の僕は、友達の輪の中に入れてもらうことが苦手だった。僕が入ることで、今まで楽しく遊んでいた輪を崩してしまうんでないかと思っていた。友達同士が遊んでいるのを遠くで眺めていた。勇者ごっこをしている勇者役の子は、強くて常にみんなを従え、いつも中心的な存在だった。僕はあの子が羨ましかった。あの子のように、みんなの真ん中にいたかった。    「寂しかったんだね。僕が一緒にいてあげるよ」  僕は、子供の頃の僕を抱きしめた。  釣りをしている間、子供の時にした失敗やいたずらなども思い出した。そのたび僕は慰めた。すると、次第に内省することが無くなっていった。僕は、子供の頃の僕と一緒に釣りをした。これはイメージの中のことだけど、子供の後ろから寄り添うように竿を握った。心は穏やかで、ここの湖面のように静かだった。  僕は、この日、この湖でようやく魚を釣った。  その日、魚を釣った僕を見ると、先生は「おめでとう」と言ってくれた。食卓に自分で釣った魚を調理し並べた。先生は、いつものように祈りを捧げていた。いつもは、その行為に何とも感じなかったが、今日は僕が釣った魚が目の前にあったので、なんだか誇らしく思えた。  「先生は、いつも食事前に祈っていますが、何か信仰しているのですか?」。僕は食事中に質問した。  「別に特定の宗教を信仰しているわけではないんだけど」。先生は一旦、食事している手を止め、話を続けた。「私は、潜在能力は神から頂いた力だと思っている」  「神から?」  「これは私が勝手に思っていることだから信じなくてもいいけど」。先生は、そう前置きした上で話を続けた。「意識していなくても勝手に心臓や内臓を動かすのは潜在能力。それは、自分の中のもう一人の自分が働いてくれているから、と私は言ったよね」  僕は先生の言葉に頷く。先生は僕の相槌を見てから続きを話した。  「私は、そのもう一人の自分は、神の力によって動いていると思っている。君の中の君は、君のために働いている。けど、それは君の意思によって動いてない。もし、君の意思で動かせるのなら、君は自分の心臓や内臓を思いのままに動かせるはずだ。だけど動かせない。じゃあ、誰の意思なのか?と考えると、私は神だと思ったんだ」  「ところで、君は自分の意思で成長したと思うか?自分の意思で大人に育ったのかい?」と先生は僕に質問した。  僕は首を横に振った。  「もし仮に、君が神の力で大人に成長したのなら、じゃあ、君が釣ったこの魚は?この野菜は?誰の力で育ったのか?私は全ての命は神の力で育っていると思っている。その神の力で育った命を頂くのだから、私は神に祈りを捧げている」  先生は、そう言い終わると、途中だった食事を再開した。僕も、今回は先生の真似事ではなく、改めて食材に向かって神に祈りを捧げた。そして、僕も食事を再開した。    食事が終わると、先生が次の修行について話し出した。  「そろそろ、次の課題に進もうか」と先生は言った。  僕は、「はい」と返事をした。  「以前、潜在能力は無限の力だと教えたけど、今回は、その無限の力を引き出す方法だ」  僕は先生の言葉に期待をした。  「潜在能力を例えると、無限に湧き出る泉だと考える。そして、もう一人に自分を労う行為は、その泉から水路を引っ張ってくるようなものだ。しかし、水路はまだまだ細く、水の供給は限られている。せっかく無限に湧き出ている水なのに、受け取れる水が少しなのは、もったいないと思わないかい?」  僕は頷いた。  「もっと多くの水を受け取りたいのなら、水路を広げてあげればいい」  「どうやって?」と僕は訊ねた。  「水路を広げるには、仲間を作ることだよ」  「仲間?」  「そうだよ。自分と同じくらい大切にできる相手を見つけることだよ。その相手が多ければ多いほど、潜在能力の力を引き出すことが出来るんだよ」  「そんなことで本当に潜在能力が引き出されるんですか?」。僕は半信半疑だった。  「それは試した者にしか分からない」と先生は答えた。そう言い終えると先生は席から立った。そして、「魚、美味しかったよ。ご馳走様」と僕にお礼を言って席から離れた。    次の日、先生と行動を共にすることになった。僕は今まで、ここに来てから湖で釣りをしていたので、先生が日中に何をしているのか知らなかった。夕方には先生は酔っぱらっていたので、呑気な生活をしているものだと思っていた。  しかし先生の生活は僕が思っているようなものではなかった。先生は村まで行き、村人の仕事の手伝いをしていた。農家や家畜の世話を一日中、手伝っていた。    僕が知っている限り、勇者になった人が養成所以外の仕事をしているところを見たことが無い。勇者になれば、それだけで国から一生困らないくらいのお金がもらえる。しかも養成所の先生をやれば、定期的にお金が振り込まれる。だから勇者になれれば、他の仕事なんてしなくていい。  だから僕は、僕が釣りをしている間、先生はお酒を飲んで過ごしていると思っていた。そして、食材もお金で買っていたと思っていたけど、手伝いの代わりに村人から食材を貰っていた。金銭などは、村人からは貰っていないと先生は言っていた。  先生は、どこに行っても慕われていた。村人と挨拶を交わし、お互いに楽しそうに仕事をし、仕事後は村人と酒を飲んで語り合っていた。先生の一日は、そんな感じだった。  帰り道の途中、僕は先生にいくつか質問をした。  「先生は、どうして村人を手伝っているんですか?」  「食材を分けて貰えるからね」と言って、先生は今日貰った食材を持ち上げ、見せた。  「そんなの大変な思いをして働かなくても、お金で買えばいいじゃないですか?」  「お金なんてないよ」  僕は驚いた。勇者になった人が、お金がないなんてありえない。僕は「どうして?」と訊ねると、先生はこの村に孤児院を作ったからだと言った。そして、養成所に入ってくるお金も、孤児院の運営に回しているそうなのだ。  「なぜ、そんなことしてるのですか?」と僕は訊いた。  「喜ばれると嬉しいじゃないか」と先生は笑顔で言った。  僕は先生の言っていることが信じられなかった。何が嬉しいのか、さっぱり分からなかった。僕が怪訝な表情だったのか、先生が僕に説明をした。    「君は昨日、私に魚を食べられて悔しかったかい?」と先生が訊いてきた。  僕は昨日のことを思い出した。僕は先生の言葉に、首を横に振った。  「君が何日もかけて釣ってきた魚だよ。それを半分も私は食べてしまった。でも悔しくなかった。じゃあ、どんな気持ちだったのかい?」  僕は、その時の気持ちを思い出していた。あのとき僕は嬉しかった。先生が僕の釣った魚を美味しそうに食べているところを見て、自分が誇らしかった。僕は「嬉しかったんだと思います」と言った。  「これが水路を広くするってことだよ。自分だけでなく、自分と同じように相手も大切にする。これが潜在能力を引き出す方法なんだ」。先生は自分と僕を指差して、「君はすでに二人分の広さの水路を手にしてるんだよ」と笑顔で僕に言ってくれた。  僕は、先生に仲間だよと言われているようで嬉しかった。  「それに、僕にとっては、この過ごし方が充実した一日の過ごし方なんだ」と先生は付け加えた。  次の日、僕も先生の真似をし、村人の手伝いをすることにした。  しかし、僕の一日は決して充実した日とは言えなった。いや、むしろ辛い日が続いた。なんだかモヤモヤするし、少しのことでイライラした。  愛想が悪い村人がいたり、機嫌の悪い村人もいる。こっちが親切で手伝っているのに、やり方が違う、と言う村人がいた。僕は、こらから勇者になる男なのに、なぜ村人に使われるようなことをしなくちゃならないんだ、という気持ちになった。  そんな日が続き、ある日の夕方、食卓で先生が僕に言った。「もう一度、湖に行きなさい」と。僕は、先生から落第点だと判断された。  「なぜですか?」と僕は言い返した。「僕は、村の人を喜ばせてますよ」  「私の課題は、自分と同じように相手を大切にしろ、と言ったのですよ」  「だから僕は、やってます」  「君は自分を大切にしてない。相手を大切にしているだけだ。自分と相手はイコールでなければならない。自分を犠牲にするのではなく、両者が心地良い状態になるように目指さなければならない。君は、できていると言えるか?」  僕は何も言い返せなかった。  先生は話を続けた。  「自分と同じように相手を大切にする、というのは思った以上に難しい。私も、完璧に出来るわけではない。相手を軽んじて扱ったり、自分を犠牲にしてしまうこともある。村人との関係性が構築された私でも出来ないのだから、今の君が上手くできなくても、それは普通なんだよ」  「でも早く課題をクリアしないと」  「なぜ、そんなに焦る?」  「だって、今、勇者がいないんですよ」  僕が誰よりも早く勇者になりたかった。この課題をクリアして、先生から勇者試験の承諾を貰いたかった。  先生は、しばらく黙って考えていた。そして課題クリアのヒントを教えてくれた。  「自分の中に、もう一人の自分がいる。相手も同じで、相手の中にも、もう一人の相手がいる。その相手がどんな相手だろうが、相手の中にいるもう一人は一生懸命に働いている」  「そう思うことで、相手を好きになれってことですか?」  「違う。そう思っても、好きになれない奴からは、素早く離れろ。私も嫌いな村人が何人もいる。そんな相手に時間を使うのは無駄だ。自分の好きな相手を見つけて、その相手を自分と同じように大切にしなさい」  「平等にしなくてもいいってことですか?」  「もちろん。大切な相手を見つけて、自分と同じように相手を大切にするのが課題なのだから。それと、相手は人でなくてもいい」  「人でなくてもいい?」  「私は今でこそ村人と親しくなったが、私は元々、人見知りでね、なかなか人と打ち解けたりできなかった。だから私は、最初は植物を仲間だと思い、大切に農産物を育てた。次は家畜を仲間だと思い、大切に飼育した」  先生は僕に、「焦る気持ちも分かるが、急に上手くできるものではない。一歩一歩着実に、肩の力を抜いて進みなさい」と諭してくれた。  次の日、僕は午前中は湖で釣りをした。湖面に自分を映し内省した。上手くできなかったことがあったが、もう一度、自分の中の自分を労った。そしてもう一人の自分に寄り添いながら釣りをした。  僕は午前中は釣りをして、午後には自分と同じように大切に出来る相手を探した。先生のアドバイス通りに植物や動物を世話してみたが、どうやら僕には合ってない。自分と同じように大切にしようと思えなかった。  僕は自分が辛くならない程度で、困っている村人の手伝いをしていた。先生の言っている課題を成し遂げているかは半信半疑だった。  そんなある日、村のはずれに小さな教会があった。そこには多くの孤児が生活していた。先生が寄付をした孤児院はここのようだ。この教会には神父が一人いて、その神父が孤児の面倒を見ているそうだ。  僕は、先生の教え子だと神父に伝えると、神父は快く教会を案内してくれた。  教会の外の小さな庭では、子供たちが楽しそうに遊んでいた。しかし、よく見ると、一人だけぽつんと座っている子供がいた。神父が言うには、あの子は、つい最近ここに来たという。父はおらず、母と暮らしていたが、母が病気で療養しなくちゃいけなくなったのが理由だ。まだ、ここの生活に馴染めず、みんなの輪の中に入れないそうなのだ。  僕はその子のそばに行き、「隣に座っていいか?」と訊いた。その子は、僕のほうを一瞬見たが、しかし何も答えなかった。僕は、嫌ではない、と判断し、隣に座った。  その子に、どう話し掛けて良いか分からず、僕はただ黙って横に座っていた。  僕は、その日から教会に通った。午前中は釣りをし、午後からは教会で一人でいる子のそばにいてあげた。その子のお母さんは、伝染病で隔離されている。今の医学ではほぼ助からない、と僕は神父から聞かされた。  僕は、その子に折り紙を教えてあげた。鶴の折り紙だ。僕の生まれた地域では鶴は治癒の象徴で、病気の相手に鶴の折り紙を千羽折って贈る風習があった。  僕は、その子に鶴の折り紙を見せ、僕の地域の風習を教えてやった。その子は、「鶴の折り紙を教えて」と言ってきた。  僕は鶴の折り方を教えた。しかし、その子には難しかったらしく、なかなか上手く折れなかった。僕は、その子の後ろから寄り添うようにして、その子と一緒に鶴を折った。  僕はこの時、一体感を感じていた。この子が母を想う気持ちが、僕の中に入ってきていた。僕もこの子のために何かしてあげたいと純粋に思っていた。それは、とても心が穏やかで、釣りをしているときの感覚に近かった。何かをしてあげて、自分が満たされることなんて初めてのことだった。  それから、その子と一緒に鶴を折っていた。来る日も来る日も。すると教会にいた孤児の子供たちも、また一人、また一人と、鶴を折る仲間に加わってくれた。その子と元からいた子は、仲良くなるわけではなかったけど、黙々同じ目的のため作業をしていた。  千羽鶴が半分の五百羽くらい折れた時だろうか、その子の母が亡くなった。お葬式は、僕もとても悲しい気持ちになった。棺には途中まで折った鶴も一緒にいれ埋葬した。この子の想いが母に伝わってくれ、と今でも思う。  お葬式のあとも、僕は教会に通った。神父と一緒に子供たちの世話をした。そりゃあ、言うことを聞かなくて腹立たしいこともあるが、先生の元に帰るときには、その日の充実感を感じる日々だった。あの子も、今ではみんなと一緒に遊ぶようになった。    先生との夕食、僕は思い切って先生に質問した。「僕はいつになったら、勇者の試験を受けさせてもらえるのですか?」と。  最近では、先生から出された課題も、自分では出来ているように思う。他の課題があれば、それをやっていくし、もし無いなら、試験の承諾をしてもらいたかった。  しかし、先生の答えは意外なものだった。  「試験?いつでも受ければいいんじゃない?」と興味が無さそうに答えた。  「えっ、いいんですか?」  「いいよ、別に。私の養成所では、試験を受けたいなら、すぐに承諾しているよ」  「じゃあ、今までの課題は何だったんですか?」  「あの課題は、潜在能力を伸ばすためであって、試験の承諾とは関係ないよ。うちは、受けたいときに受けさすから」  それなら最初から言ってもらいたいものだ。僕はため息を吐いた。  「でも、一つだけ注意しなくちゃいけないことがある。これは養成所のルールなんだが」と先生が言った。「養成所から同じ生徒を二度推薦してはいけないというルールがある」  「試験に落ちたら、もう受けられない?」と僕は訊き返す。  「いいや、受けられるよ。でも、その場合は養成所を変え、また違う先生から試験の承諾をもらわなくてはいけない」  「じゃあ、僕が受けに行って落ちたら、ここに戻って来れないっていうことですか?」  「まあ、そうだね。勇者になりたいのなら、戻ってくる意味はないね」と先生は軽い口調で言った。  僕は不安になり、先生に訊ねた。「僕に勇者の剣が抜けますか?」と。  「それは分からない」  「どうすば、剣が抜けると思いますか?」  「潜在能力を使うなら、会う人、会う人、みんなが勇者の剣を抜けると思いなさい。以前に話したことと同じだよ。自分だけが剣を抜けると思う者には、無限の泉からの水路は細い。みんなも剣を抜けると思う者には、無限の泉の水路は広い」  「みんなは勇者を目指してないでしょ」  「別に、みんなが勇者を目指しているかは関係ない。ただ勝手に、みんな勇者の剣が抜けると思っていればいい」  「思えれば、剣が抜けるのですか?」  「それも分からない。もし私に剣を抜く方法が分かっていたなら、私は今でも勇者だろう。でも、はっきり言えることが一つある。自分で剣が抜けると100%思ってないと、まず勇者の剣は抜けないだろう」  僕は勇者の剣が抜けると疑いなく思っているだろうか?答えはNOだ。まだ、そんなに自分に自信がない。    僕は、次の日から、会う人、会う人に、この人は勇者の剣が抜けると思うことにした。教会の子供たちにも。そうしていくうちに、自分でも勇者の剣が抜けるじゃないかと少し思えるようになってきた。これを続けて行って、自信が付いたら、試験を受けに行こうと決めた。  しかし、翌日、僕はある噂を耳にした。それは村人たちが話していたのだけど、つい最近、勇者が誕生したという。僕は、その村人から直接話を聞いた。その話は本当なのか?と。その村人は、今は国王の城下では、お祝いの祭りが開催されている最中だと言った。  その話を聞いた後、僕は先生の元に走って行った。先生は、この時間は農業を手伝っている。畑にいるはずだと思い、教会には行かず畑に向かった。  先生は思った通り、畑で作業していた。  「先生」と僕は呼びかけた。  「どうした、こんな時間に珍しい」。先生は作業する手を止めた。  「勇者が誕生したみたいです」  「ほう。それは良かったな」  僕は、全然、良く思っていなかった。なぜなら僕が勇者になりたかった。僕が、五年間不在だった勇者の問題に終止符を打ちたかった。  「悔しいじゃないですか?」と僕は先生に言った。  「どうしてだい?君は魔王からみんなを救いたいって言っていたじゃないか?君は勇者になれてないけども、みんなは救えたんだよ。見事に願いが叶ってるじゃないか」  「僕は自分が勇者になって、みんなを救いたかったんです」  「まあ、君はまだ勇者になれていないけど、君がみんなが勇者の剣を抜けると思ったから、潜在能力が働き、勇者の剣が抜ける者が現れたのかもしれない。だから、これは君に功績でもある」  僕は先生の言葉に納得いかない。  「僕は自分が勇者になりたいんです。勇者になって、みんなから認められたいんです」  「君はもうすでに認められているじゃないか。私やここの村人、それに孤児院の子供たちに」  「違う、そんなんじゃない。国中の人から尊敬されたいんです」。僕は本心を訴えた。  先生は畑の土手に腰を掛けた。そして僕に「隣に座りなさい」と促した。僕が隣に座ると、先生は昔の話をしてくれた。    「私が勇者になったときには、私を含めて五人の勇者がいた。私は勇者になるために、それなりに頑張って来た。競争の中を勝ち抜いて勇者になったが、勇者の中でも競争があった。これは勇者同士で競うわけではなく、ただ見栄の張り合いだった。どちらが城の中で多くの子分を引き連れているか、いわゆる権力争いみたいなものだった。ときには他の勇者の悪い噂を流したり、ときには他の勇者から足を引っ張られたりした。勇者の中でも優劣を決めようと、水面下で牽制し合っていた」  そこまで話すと先生は、何気に土手の草をむしりだした。そして、むしった草を空中に向かって投げ、風に飛ばした。  先生は話を続けた。  「そして、城下町では我が物顔で歩いた。私がお前たちのために戦うんだ、だから私の言うことは何でも聞け、という態度だった。そして国民たちも、勇者である私に媚びていた。私は自分が尊敬される人物だと自惚れていた」  先生は、僕の顔を見て、照れ臭そうに微笑んだ。そのときの先生の顔は、とても寂しい表情だった。先生は話を続けた。  「しかし、それは違った。ある日突然、私は勇者の剣が抜けなくなった。他の勇者は、(あざけ)るように私を見た。お互いに仲間だなんて、1ミリも思っていなかったのだから当たり前と言えば当たり前のことなんだけど。それに国民だって、私に見向きもしなくなった。みんな勇者という肩書を認めていただけで、私自身を認めていた訳ではなかったのだ」  先生は僕の肩を叩き、そのまま立ち上がった。  「君には勇者になってもらいたいと思っている。ただ私のような勇者にはならないで貰いたい。魔王への不安を取り除いても、国民から不満に思われる勇者なんて馬鹿げている」    先生は僕に手を差し出した。僕が先生の手を掴むと、先生は力を入れて僕を引っ張り起こした。  先生は目の前にある畑を指差した。先生が手伝っている畑だ。畑にはいくつもの作物が実っていた。先生は「美しいだろ?」と、ひとり言のように呟いた。そして、また話を続けた。  「魔王が死の恐怖を与えるのなら、勇者は命の尊さを伝えてほしい。死を怯えるくらいに、生を感謝しなきゃ、そんなのデタラメじゃないか。多くの先祖から、我々の命は神の力である潜在能力によって繋がり続いてきた。今日という日は奇跡によって成り立っている。君は、そういうことを伝えれる勇者になれると私は思っている」
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