3人が本棚に入れています
本棚に追加
プロローグ 老兵と家畜
暗い夜の森を傷だらけの男が一匹の少女を背負ってとぼとぼ歩いていた。男は疲れ切った身体に鞭打ち、一歩、また一歩と進んでいく。
彼の脳裏には、ついさっき男を信じて死んだ仲間の死に顔がこびりついて離れない。『まだ死にたくない』彼の最後の言葉が男の心を蝕んでいた。
そのまま男はおぼつかない足取りで森を進んでいった。
しばらく森を進んだ後、男はようやく身を隠せそうな洞窟を見つけた。男は中に入り、背負った少女を近くに寝かせ、自分は近くの岩に腰かけた。
「ふう……」
肺の奥底からため息をついてから、仲間の命を犠牲にして手に入れた少女を見つめる。曇天の雲のような髪色に月明かりが反射し、銀色に輝いていた。
少女は薬がまだ効いているのか気持ちよさそうな寝息を立てている。
男は一息ついた後、思い出したかのように、背負った酷く重い剣を洞窟の壁に立てかける。今まで己の身を守り続けた相棒とも言うべき存在だが、今はその重さが疲れ切った身体には毒だ。
剣を立てかけた時、静まり返った洞窟内に重い金属音が響き、少女が眠い目を擦りながら目を覚ました。
「ここは……どこ?」
先刻起きた惨劇を何一つ知らないであろう無垢な声で問われる。
「目が覚めたか……ここは収容所から遠く離れた洞窟だ」
俺は不安そうな少女を安心させるように優しげに返事をしたが、少女は自分が寝ているうちに運ばれてきたことすら理解していないのか、虚ろな目で洞窟の闇を見つめていた。
少女は何か言葉を返す訳でも無く、ただぼうっとしていた。
「あー俺の名前はゲルグだ。あんたはなんていう名前なのだ?」
沈黙に耐え兼ね、俺は少女に問う。
少女は俺の声に反応したものの、なんと返事を返せばいいのかわからないかのように俺の顔をじっと見つめる。しばらく見つめたあと、また洞窟の闇を眺め始める。
薬の効果で頭が未だに働いていないのか、意思の疎通が出来ない。
意思の疎通が出来ない煩わしさに、俺は小さなため息を漏らす。
目の前にいる少女は人間族ではない。基本的な特徴は俺達と酷似しているものの、頭髪は雲のような白に近い色で、四肢の指の数は六本ずつ。そして何より、自分の命と引き換えに死んだ生物にもう一度“命”を授けるという能力を持っている。一度死んだ生物を蘇らせるという、神のような力を持つ種族。彼らの事を皆は授命族と呼んだ。
そんな神のような能力をもつ種族だが、その能力を自分たちの利益のために使おうとする数多のヒトビトにより、現在は授命族の恐らく全てが収容所に収容され、家畜の様に管理、飼育されている。
収容所では、“出荷”されるその日まで家畜の様に蔑まれ、同じ知性を持つ種族とは思えない生活をしていると聞く。
もしかしたら名前すら付けてもらっていないから、俺の質問に答えられなかったのか? あのような環境ならば名前がついていなくてもおかしくはない。
「もしかしてあんた名前がないのか?」
俺が話しかけると、外を見つめていた少女は肩を小さく上下に動かした後、ゆっくりと振り返る。
「……なまえ、わからない」
どうやら本当に名前を付けられていなかったようだ。こいつの親は一体何をしているのだろうか。
俺はこの名前もついていない哀れな少女に名前を付けてやることにした。
「名前がないなら俺がつけてやろうか?」
その言葉を聞いた名前もない哀れな授命族の少女は、今まで彩りが無かった世界に色がついたかのような声で返した。
「なまえ……くれるの?」
眠そうな目をしていた少女は、いつの間にか青色の目をぱっちりと見開き、目を輝かせていた。
「ああ、どんな名前がいい?」
「なんでもいい」
「そうか、なら……」
俺は少女の姿をしばらくの間見つめた。
「……そうだな、あんたの髪色が俺の故郷に生えている花の色にそっくりだから、その花の名を借りてレーテーというのはどうだ?」
そう俺が言うと、少女は今までの暗い表情から想像もつかないほどうれしそうな表情になった。
「レーテー……それがわたしのなまえ……」
「どうだ? 気に入ったか?」
「うん、わたしはレーテーっていうのね!」
レーテーはにっこりと眩しいほどの笑顔を見せる。
「そうだ、お前は今日からレーテーさ」
やがて、喜び疲れたのかレーテーはまた眠りについた。
見た目は小柄な少女(歳はせいぜい十歳といったところか)だが、幼子のように喜ぶ姿はレーテーのこれまでの半生がヒト並みの生活が出来ていなかったことを思わせる。
俺はそんな家畜として扱われていた少女の頭を撫でる。
皺と傷が刻み込まれた己の肌と、に外に出たことすらないような白い綺麗な肌が目に入り、この子には血まみれの自分と違って、まだ希望が残っているな、と思った。
俺がはるばる〈命の国〉に来たのは、俺の故郷である〈薬の国〉の英雄オルデアが病死したため、授命族の力で蘇らせるためである。
オルデアは十年前に起きた、〈薬の国〉と〈命の国〉の戦争をその圧倒的な力によって終戦に持ち込んだ英雄の一人である。百人力のオルデアとも呼ばれた彼は、存在しているだけで戦争の抑止力になっていると言われるほど強靭な力をもち、〈命の国〉だけでなく他の国との戦争の抑止力となっていた。
だが数週間前にオルデアは病により、命を落としたのである。あれほど強靭な肉体を持つ男があっけなく死んでしまった。これに元老院の爺どもは焦った。「オルデアがいなければ、再びこの国は戦火にさらされてしまう」「ならば他国にはオルデアが死んだことは秘密にしておけ」「しかしそれでもいずれ、他国にオルデアが死んだことが公になる」さんざん言い争った挙句、オルデアは生きていることにされた。
しかし、どんなにオルデアが生きていると隠し通しても、いずれは他国にオルデアが死んでいることが明かされるだろう。そこで神のような能力を持つ種族、授命族の力を使うことにしたのである。
だが授命族の力を使うにも授命族の全ての個体は〈命の国〉で管理されており、その力をつかうには何人ものヒトビトが、一生のうちに稼ぐ金を全て使ってもまだ足りないほど金が掛かるため、戦争によって疲弊した〈薬の国〉にはそのような大金を出す余裕などなかった。
それに、〈命の国〉にとっては先の戦争の敗因だ。オルデアを蘇生する訳が無い。
そんなわけで爺どもは授命族を盗み出すことにした。もしも授命族を使う目的が奴らに知れ渡れば、すぐにでも〈薬の国〉は〈命の国〉どころか〈黒鉄の帝国〉などの侵略国家から戦争を仕掛けられるだろう。そんな国の命運を握る危険極まりない任務に選ばれたのは、強力な兵士であり、身寄りが無く、なおかつ罪人である俺たちというわけだった。言うなれば死んでも問題が無い人材と言う事である。
俺には、南にある〈金貨の国〉のヒトビトによく見られる、褐色の肌になる日焼け薬と、尋問された時の為に口封じの薬の二つの薬を飲まされた。もし〈命の国〉の兵に捕らえられても、日焼けの薬によって肌の色を変えてしまえば、一年中寒い気候の〈薬の国〉の者とは思われないだろうし、拷問されても口封じの薬によって口を割ることはあり得ない。そもそも俺は拷問程度で口を割ることはない。
そして俺は、仲間の命と言う重い犠牲を払いながらも授命族を一匹盗み出した。
だがここに来るまでに多くのものを失った。仲間も、逃走用に用意していた馬も。 ここから帰還するには、西に馬で二日以上かかる。徒歩で行くには途方もない時間がかかるだろう。ここからは、この少女と共に、長く、辛い旅をすることになるだろう。
明日には王都に、収容所が襲撃されたとの報告が入るだろう。授命族はこの国の主要な財源の一つだ。一匹盗まれるだけでも相当の痛手だ。王は怒り狂い、この授命族を取り戻すために、〈命の国〉最強の兵士たち、レナトゥスが俺に差し向けられるであろう。
レナトゥスの兵士たちとは何度か対峙したが、いずれも一騎当千の実力者だった。運が味方していなければ死んでいただろう。
果して俺は、追跡者を振り切って、この少女を守り抜き、〈薬の国〉を戦争の魔の手から救い出すことができるのだろうか。
最初のコメントを投稿しよう!