第十一話 三日目 忘刻のレーテー

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第十一話 三日目 忘刻のレーテー

 敵であるはずのゲルグとアダリスが如何にして手を組むようになったか。時は少し前に遡る。 「アダリス! 俺だ! ゲルグだ!」  返事が返ってくる代わりに土蜘蛛の爪が襲い掛かる。すかさず大剣で切りつける。だが粘土のように柔軟だった爪は、剣が触れた途端煉瓦のように固くなり、剣は弾かれる。 「共に〈薬の国〉を守る為戦っただろう! 忘れたのか!」  世にも恐ろしい形相をした土蜘蛛の口から堅い土がいくつも発射される。俺は後ろに飛びのき大剣を盾にする。 「オリーブへの忠誠心はどうした! あれだけ慕ったオリーブを忘れたのか!」  王の名を叫ぶが、アダリスは構わず爪で攻撃する。その攻撃には僅かな迷いが現れていた。  オリーブ。アダリスの心の奥底から忘れていた名が呼び起こされる。 「どうしてレナトゥスなんかに手を貸している! 〈薬の国〉の仇敵〈命の国〉なんかに!」  ゲルグは極限まで力を振り絞り、剣を薙いだ。すると、あれだけ硬かった爪が紙のように切れた。土蜘蛛を倒す為、ゲルグは畳みかける。アダリスに語り掛けながらも、彼を倒すことを忘れなかった。 「お前……」  土の爪を切りつけながら進むゲルグを、見て思わず呟く。かつて、巨大な剣を使って戦った兵士がいた気がする。だが、そんな事は関係ない。任務に従い、この男を殺す。私が忠誠を誓った男の為に。私を蘇らせた男の為に。  次の瞬間、土蜘蛛は土煙を吐き出した。あっという間に煙は辺りを覆いつくし、何も見えなくなった。  大剣で風を巻き起こすが、煙は一向に晴れない。煙の中から何か来ると思った時にはもう遅かった。 「なっ⁉」  煙の中から現れた土の爪に、俺は貫かれる。土手っ腹に開いた風穴を見て死を悟る。背中から突き出た爪からは血が滴っている。だらりと下がった両手はぷらぷらと宙を舞っている。 「がはっ」  口から血が溢れる。ここで終わりか、レーテーも、〈薬の国〉も守ることは出来なかった。〈薬の国〉を守った英雄に、滅亡に追いやられるとは、どんなに皮肉な話だろう。 「レーテー、すまない」  レーテー。その名が記憶から呼び起こされる。どこで聞いただろうか。  ふと、懐にある髪の束を思い出す。ガーランドで得た、「傷を治す魔法」を宿した髪の束を。これがあれば、まだ戦える。  記憶の中の、忠誠を誓った男が私に言う。 「お前は〈薬の国〉戦士であったことを忘れ、〈命の国〉に忠誠を誓うのだ」  男は濃い隈を目元に携え、皺の深い青白い肌をした死人のような容姿だった。彼は曇天のような灰色をしている液体が入った小瓶を持っている。 「お前は誰だ」 「オフュ―カス。死んだ英雄を蘇らす者だ」  俺は最後の力を振り絞り、爪を両手で握る。その手からは汗が蒸気となって立ち上る。 「うおおおおお!」  俺の雄叫びと共に、爪にはみるみるヒビが入っていった。 「死んだ?」 「そうだ。お前は死んだのだ」  周りを見ると、かつてあったはずの街が巨大な土によって貫かれ、あるいは地中深くに連れ去られていた。自分が破壊した〈命の国〉の街だ。そして、オフュ―カスの傍には片足を土によって潰された男が倒れていた。彼の名はキール・アルタ。王下三貴族の一人であり、〈命の国〉の兵士長である。つい先ほど、己を殺した男だ。その槍には私の血がついている。  だが不思議な事に、私は生きている。こうやって自在に腕を動かせ、今もこうして口を利ける。 「授命族(ヴィルデ)を使った。授命族(ヴィルデ)によって、お前は再び命の炎を燃え上がらせている」  ついに土の爪は粉々になった。それと同時に、血を止めていた腹の爪も砕け、血が溢れる。 「ぐっ」  意識が飛びそうになるが、舌を噛んで、意識を踏みとどまらせる。  すかさず懐に手を入れ、髪の束を手に取る。すると、髪はボロボロと崩れさり、代わりに己の傷が塞がっていった。 「レーテー。この薬を飲めば、お前は〈薬の国〉の兵士であったことを忘れ、〈命の国〉の兵士としての第二の人生を歩む。断れば、生きたまま首を切り落とし、首だけのまま生き永らえさせる」  当代最強と呼ばれた自分でも、なすすべもなく首を刎ねられる自信がある。  断る気は無かった。当代最強の魔法使いと呼ばれた自分でも勝てなかった三大貴族や、オルデアと挑む機会が得られる。この歳になっても、自分は戦いに植えていた。 「自分を作ってきた(とき)を忘れ、我々と共に来るのだ……」  俺は剣を拾い上げ、アダリスに切りかかる。この一撃が通じなければ、今度こそ終わりだ。  重い鉄の塊は、アダリスの頭を捉えた……。 「⁉」  レーテーの名に囚われていた隙に、ゲルグの剣は私の眼前に迫っていた。素早く土蜘蛛を操り、攻撃を防ぐ。 「なっ⁉」  爪によって剣を封じられたゲルグは膝をつく。もはや打つ手なしか。いつもならば命令通り殺していたが、今はそうはいかない。  授命族(ヴィルデ)を連れたゲルグ。〈命の国〉から授命族(ヴィルデ)を盗み出す行為がどれだけ愚かなことか、よく知っている。そして、その愚かな行為をするほど追い詰められた〈薬の国〉の誰が死んだか、よくわかる。  過去を思い出し、全てを悟った私はゲルグに手を差し伸べる。 「全てを思い出した。オルデアの為、〈薬の国〉の為、ネルケを止めよう」 「この!」  ネルケは片足を囚われたまま身を捻り、大剣を避ける。それと同時に金のナイフで土を破壊する。 「おらあ!」  着地の瞬間を狙って大剣を振り下ろす。 「ちっ!」  舌打ちすると同時に蛮刀で大剣を受ける。そして空いたナイフを握った手は己の腹にねじ込まれ、新たな武器を取り出す。取り出したのは内臓を抉りださんと言わんばかりにギザギザした剣。強敵と認めた相手にしか使わない、ネルケのとっておきである。剣を取り出した直後、蛮刀がバキリと音を立てて二つに折れた。 「ゲルグ! その男はネルケ! 奴は己のがらんどうの腹の中に武器を隠し持ち、隠し持った武器全てを使いこなす! 十分に用心せ——⁉」  アダリスが裏切り者だと確信したネルケは、蛮刀の破片を投げつける。突撃の攻撃に、アダリスは手の甲を切り裂かれる。 「アダリス!」 「よそ見をするな! 老いぼれの身体なぞ気にするな!」  アダリスの言葉で喝を入れる。相手はレナトゥスのネルケ。ネルケとは十年前にも戦った事がある。その時は俺が勝った。だが奴は授命族(ヴィルデ)によって蘇り、再び俺と剣を交えている。二度と蘇らないよう必ず殺してやる。 「レーテーさん、ルナリアさん、今のうちに逃げましょう」  突然のゲルグの登場に、呆気に取られていたカガチが呼びかける。三人はそそくさと逃げ去る。 「逃がすか!」  ネルケは振り向きながら短い矢のようなものを取り出す。所謂戦闘用ダーツだった。達人が投げれば矢をも超えるという戦闘用ダーツ。投げられる前に、アダリスが二人の間に土の壁を作る。 「ネルケ!」  背中を見せたネルケにゲルグが切りかかる。 「ジジイ!」  ネルケはゲルグに向かって上体を百八十度反転させると、生まれた遠心力を用いて戦闘用ダーツを投げた。 「くっ!」  身体が暖まってきたことで、驚異的な反射神経が生まれ、矢の何倍も速いダーツを大剣で受ける。だがそこに致命的な隙が生まれた。 「終わりだ」 ネルケは空いた脇腹に入り込み、ギザギザの剣を突き刺そうとする。だがネルケがゲルグの間合いに入り込んだ瞬間、ゲルグは回し蹴りを放ち、ネルケを後退させる。 追撃とばかりに、ゲルグは後退した場所を狙い、必殺の剣を叩きこむ。 「やっぱ強ええな」  後退する一瞬の中でネルケはゲルグの足に向けて、ナイフを投擲した。ナイフが刺さり、怯んだゲルグに向けて、ギザギザの剣を振り下ろす。  その瞬間、ネルケの頭に向け、土の針が飛来した。 「来たか、裏切り者」  軽々と針を躱す。その視線の先には、先ほどの土蜘蛛では無く、土で出来た巨大なヘッジハウンドがいた。針山の怪物の背に乗るはアダリス。ゲルグが戦っている間、巨大な怪物を作り出していたのである。 「悪いが、その男を殺させる訳にはいかない」
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