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「ひへひへ(見てみて)!」  捌いている最中のイカの刺身をつまみながら、少女ーーウキはイカから出たプラスチックみたいな軟骨を見せびらかした。 「コラ、はしたないぞ。喋るときは口を閉じてだな」 「ふぁーひ」  俺たちは夜明けの海際で自ら釣ったイカを捌いている。 (どうしてこんなことに......) *  俺の名は伊音(いのん) 雅隆(まさたか)。16歳。千葉産まれ東京育ち、かの有名なディスカウント全国チェーンの社長を父に持つ立派な御曹司である。 「雅隆には庶民の生活を経験してもらう」  16歳の誕生日、俺に渡されたのは本州の端にある地方のアパートの鍵と、当面の生活費6万円だった。 「え? もうお金がない?」  どうやら庶民感覚の欠如から渡されたお金が少なすぎたらしい。  家賃光熱費を支払うとーー俺の所持金は0!  つまり俺は食費のない生活を一ヶ月過ごす羽目になったのである。 * 「くそ〜、梅雨の時期じゃ釣りに出掛けられねぇじゃねぇか」  ここ数週間、偶然知り合った野生児の協力で、物々交換や労働力の対価として野菜や米を手に入れることを覚えた。魚は海から釣った。  しかし、梅雨で海に出られない今、俺はタンパク源に飢えていた。増水した海に近寄るのは自殺行為でしかない。 「じゃあアレやろうかな」  ウキは小さなバケツを抱える。 「雨上がりの特上メシを捕まえに行こう!」 *  連れてこられたのは、川の近くの農道だった。 「え? ここ?」 「雨が降ると餌を探しに地上に出てくるんだ〜」  ウキは濡れたアスファルトと草の周囲を食い入るように見つめている。すると、バッタのような勢いで何かに飛びついた。 「うんうん、私に捕まったのが運のツ、キ」  まだ曇りの空に掲げたのはーー川辺の石ころサイズの沢蟹だった。 *  カリカリカリ......  熱した油の心地よい音の中に、洗って水をよく切った沢蟹を放り込む。あれから数十匹は捕まえた。 (本当にこれを食うのか?)  完成したのはテカテカの工芸品のような沢蟹。気持ち、塩が振ってある。 (殆ど食べる所などないだろ。これが蟹?)  覚悟をして口に放り込む。サクッとした音がして舌の上にコクが広がった。 「い、意外とスナック菓子みたいで美味い。たまごの部分の食感が良いな」  “でしょ〜?”とウキは自慢気だ。 「旅館でも出る人気食だよ!」 「冗談はよせ」  到底信じられないが本当らしい。  雨上がり、俺はまた知らなかった現実を知ることが出来た。 (庶民の生活......こんなに過酷なんだな) ーーおわり
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