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むかしむかし、あるところに、それはそれはとても美しいお姫様がいました。
そのお姫様の、あまりの美しさを妬んだ悪い魔法使いが毒を飲ませ、お姫様を殺そうとしました。
しかし、どこからともなく現れた王子様が倒れたお姫様をキスで目覚めさせ、二人は末永く幸せに暮らしましたとさ。
あたしは、そんな出会いに未だに憧れている。
「はあ? まだそんなこと言ってんの? もう私たち三十路よ」
遡ること一時間前、パンケーキが有名なガラス張りのカフェのカウンター席で、隣に座る高校時代からの親友の奈々が呆れた顔をしてこちらを見ていた。
「奈々までそんなこと言う。奈々だけはあたしの味方だと思ってたのに」
「あのね、敵とか味方とかの問題じゃないでしょ? 学生の頃に夢見てたのとは全然違うからね? いつまで経っても現実を見ない親友を心配してるのよ」
「分かってる、分かってるよ。いい歳してお姫様とか王子様に憧れる痛いアラサー女だってことくらい」
――ぷぶっ。
カウンター席の逆隣りからタイミング良く吹き出すような声が聞こえたけれど、気に留めることはなかった。
ぶすくれるあたしを見て、奈々は深いため息をついてから声を抑えて続けた。
「あ、ほら、ウェディング雑誌の婚活企画とかなら良いんじゃない? 探してみたらお姫様王子様演出とかありそう」
「えー、婚活企画? そんな勇気ないよ。それこそ取り残されたらあたし、立ち直れない」
「じゃあマッチングアプリ登録する」
「そんな出会いおとぎ話で染まった心ではトキメかない」
ネガティブ思考のループに陥るあたしに、奈々は両手を軽く上げお手上げポーズを取った。
「あ、ごめん、娘のお迎えの時間だからもう行くね」
「あ、そっか、もうそんな時間。買い物付き合ってくれてありがとう。また連絡するね」
「ううん、楽しかった。じゃあ、またね」
カフェから去る奈々の後ろ姿を見送り、アイスコーヒーに差していたストローをクルクル回すと、辛うじて溶け残っていた氷まであたしを残して消えていった。
分かってる。いい歳してお姫さまとか王子さまに憧れる痛いアラサー女だってことくらい。自分で放った言葉だけれど、自分に刺さってものすごく痛かった。
いやでもだって、女の子なら誰でも一度は夢みたことがあるはずだ。自分もいつか、おとぎ話のお姫様と王子様みたいな運命的な出会いをして、キスをして永遠に結ばれるのだと。
確かに年齢的なものもあって、諦めるという選択肢カードは手の中に持ってはいるけれど、だからといって夢は夢で描いていたって、それは悪いことではないはずだ。
顔を上げ、カフェのカウンターから見える空を仰ぎ、降り注ぐ眩しい光に手を伸ばして目を細めた。きっと、この世界のどこかにいるはずのあたしの王子様。
「はい、お呼びでしょうか?」
ドキリとして振り返ると、清潔感のあるシャツにソムリエエプロンをした爽やかな笑顔が印象的な男性が、オーダー票を手にしてにっこりと立っていた。あたしはまだ現実と夢の狭間にいて戻ってこれていない。
「えっ、あー、えーっと……」
プチパニックになりながら慌てて手を引っ込めて、頭の中の「王子様」の文字を必死に取り消し、咄嗟に目に付いたメニューを読み上げた。
「かしこまりました」
しどろもどろのあたしに優しく微笑むと、王子様――もとい、店員は回れ右をして颯爽と厨房へと入っていく。
注文する予定になかったものを頼んでしまった。いろんなドキドキをおさめるために、取りあえず財布の中を確認した。
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