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課長代理
高校を卒業して就職したのは、生命保険会社。本社勤務の事務職。
通勤に1時間以上かけて新宿まで通った。
いい時代だった。勤務は9時10分から4時半まで。給料は毎年1万円くらいずつ昇給した。7年務めたけれど、辞めたときは初任給の倍近くなっていた。
ボーナスは30代の妻帯者の公務員より多かった。年金はまだボーナスからは引かれなかった。月々の年金額は最初は千円ちょっと。
あ、消費税はなかった時代。
いい時代だった。社内預金の金利は8パーセント。でも、男女の給料の差はあった。長く勤めるほどに。それを不思議とも思わなかったが。
ああ、土曜日は休みではなかった。12時まで。たった3時間のために新宿まで出るから、帰りはランチに買い物とか映画とか。
福利厚生も充実していた。運動会には芸能人が来た。宿泊施設も全国にあった。
配属された財形保全課にTさんがいた。課長代理42歳。妻帯者。お子様も。
課長はTさんと同期の東大卒の方。
部に3人の東大出の男性がいた。部長はやり手だった。貫禄があり、怖かった。課長と、主任は……ただ勉強ができただけ、という感じ。
課には高卒男性もいたが、人望と学歴は別……なのね。出世はわからないが。
Tさんは同期の課長に対等に口を利いた。上に媚びず、皮肉屋で、ブラックユーモアが得意だった。
まだ明るかった18歳の私を、
「箸が転んでもおかしいんだな」
と笑った。
あの頃話題になった『O嬢の物語』を観に行こうか、と冗談を言った。
私は24歳も年上のTさんに、すぐに惚れてしまった。コピーを頼まれれば嬉しかった。食堂で近くに座れば嬉しかった。
もう、態度に出ていただろう。
財形貯蓄が発売されると、猛烈に忙しくなった。システム部の若い男性とTさんは、しょっちゅう言い合いをしていた。
発売後しばらくは残業した。やってもやっても終わらない。男性は皆、寝不足。
短大卒の女性がふたりいたが、責任感は皆無だった。
私ともうひとりの高卒の女性が帳簿を任され、夜の9時まで残ったこともあった。
東大卒の課長は早々とお帰りだ。仕事を把握していたのだろうか?
発売と同時に地方の支社から男性が異動してきた。Oさん。28歳。高卒だったけど、東大出の主任よりも働いていた。
背が高く、顔も良かった。都会に出てくると、男も変わるものだ。背が高く、顔もいい男性は、社内でも評判の男になり、パンフレットの表紙になった。
研修で親しくなった契約課のきみどりさん(本名はみどり)は、理由をつけては私に会いに来た。
「Oさん、素敵。ああ、Oさん」
私は真似した。
「Tさん、素敵、ああ、Tさん」
あの頃は鉄道のストライキがあった。3日も電車が動かないと、私は通勤できずに休んだ。3日の休みは辛かった。
毎日電話をかけ、Tさんの声を聞いた。
Tさんに会えないのは辛かった。
仕事中、母から電話が来た。初めてのことだ。取り次いだのはTさんだった。
父が仕事中、倒れて救急車で運ばれた。
病院を何度も聞き返す私のそばにTさんはいてくれた。
早退し、タクシーのが早いからと、玄関口に呼んでくれ、着いてきてくれた。
そこまでだったが。
父は胃潰瘍で手術したがすぐに回復した。
生活は変わらなかった。
私はまた残業した。好きな人がいると、残業も楽しかった。
忙しくて、TさんもOさんも痩せていって心配だった。忙しくても一向に痩せない私が、
「羨ましい」
と言うとTさんは笑った。
部の女性は皆痩せていた。きみどりさんは太りたがっていた。私は標準体重より少しだけ太め。化粧も口紅だけ。タバコも吸わなかった。(当時は二十歳前の女性が吸っていた。かっこよく)
母がお供え餅を乾燥させ、揚げ餅を作った。大量に揚げたかき餅を、職場に持っていくとすごい人気だった。
「おかあさんが、作ってくれるなんて幸せだね」と、Tさんが言った。
二十歳のとき、勤めて3年目に母が亡くなった。
心不全で突然のことだった。
告別式にTさんが来てくれた。
私は太めの体に似合わない喪服を着て、焼香の間、座っていた。
悲しみはまだ湧いてこなかった。あまりに突然だったのと、葬儀の支度に追われていたから。
もちろん初めてのことを、父と私の2人でやらなければならなかった。
家に戻った母の体にカミソリをのせたり、お団子を作ってくださいなんて、葬儀屋さんに言われて、あたふたしていた。
焼香を終わり、Tさんが私の顔を見た。
瞬間、私の目から驚くほどの涙が湧き出た。悲しくて泣いたのではない。あの反応はなんだったのだろう?
後にも先にもあのときだけ……
Tさんも驚いたようだ。
少し席を外し、あとを追いかけた。
Tさんひとりではない。
Tさんひとりだったら、抱きついていたかもしれない。
抱き寄せてくれたかもしれない。
いや、太めの体はコンプレックスだったから、ありえない。
ふたりはすぐに帰った。
数日休み、会社に行くと、同僚は慰めてくれた。強いね、と言われた。
また、忙しい日々だ。
父とふたりになった私は、家事をやらねば、との気負いがあった。情けないことに、それまで、炊飯器も洗濯機も使ったことがなかった。
朝、朝食を作った。時間がない父は熱い味噌汁に水を足して飲んで出かけた。
本社ビルの地下には本屋もあって、料理の本を買った。男のOさんと料理の話をした。
本社には3年いた。
4年目は、家事と両立するために、家から近い営業所に異動願いを出した。
忙しい仕事を放棄したのだ。
恋ともいえないものを放棄したのだ。
もう、箸が転んでも笑わなくなった。
Tさんも、上司とはうまくやれなかったようだ。奥様が体が弱いとかで、転勤もせず、お客様相談室に回された。
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