第二十話

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第二十話

 後期が始まっても羽場の姿はなく、連絡しても返事は返ってこない。  アパートのポストにはチラシが詰め込まれてしばらく帰ってきていないようだ。もしかして実家なのかもしれないと新幹線に飛び乗った。  羽場の実家がどこにあるかわからないが、同じ高校を通っていたなら近所に違いないだろうと最寄り駅から高校までの道のりを歩いたがそう簡単に見つからない。  夕日が背中をじりじりと焦がし、さすがに脚が痛くなってきた。 少し休憩しようと近くの公園へ向かうとやけに大きな家が目に入り、引き寄せられるよ うに近付いた。  「羽場」という表札が目に飛び込んだ。  もしかしてと淡い期待と勢いに任せてインターホンを押すと若い女性の声が返ってきた。  「どちら様ですか?」  「突然失礼します。藍谷です」  「……少々お待ちください」  名前だけで悟ったのか女性はすぐに通話を切った。たった数秒が数分に思えた頃、玄関から羽場が現れた。  「どうして家まで」  「もう一度ちゃんと話をしたくて」  「こっちは話すことなんてない。顔も見たくない」  扉を閉められそうになり、慌てて身体を挟んだ。  「本当は羽場くんに会いたかったんだ。どうしても顔がみたくて」  「なんだよ急に」  「羽場くんのことが好きだから」  羽場は頬を引っ叩かれたように驚いた表情をしていた。  (あれ? 僕はなにを言った?)  自分の言葉を反芻すると頬が熱い。羽場の恨みごとを聞いて受け入れて、と自分のなかであったプランが一気に崩れた。  「恵介?」  羽場の背後の上がり框に若い女性が立っていた。腰まで届きそうな長い髪に真っ黒なサングラスをかけている。  一目見てその人が誰かわかった。  「お友だちが来たんでしょ。せっかくだから上がってもらいなさい」  「でもこいつは」  「藍谷浬くんだよね。初めまして、姉の瑠衣子です」  「あ、あの……僕は」  「どうぞ入ってください」  羽場は瑠衣子には逆らえないようで、渋々と扉を大きく開けてくれた。促されるままリビングに通され、二人掛けのソファに腰を下ろす。正面には羽場と瑠衣子が座った。他の家族はいないらしい。  「 突然お邪魔してすいません。今日はあの事故の謝罪に来ました」  ソファから立ち上がり、頭を下げた。  「取り返しのつかないことをして、すいませんでした。謝っても許されないことはわかっています。でも、どうしても謝りたくて」  「なら満足した?」  瑠衣子は口元に不気味な笑みを浮かべた。まるで浬の浅はかな行動を莫迦にしているような笑顔は薄ら寒いものがある。  でも瑠衣子は浬を責める権利がある。  どれだけ罵ってくれても構わない。  浬は気圧されないように背筋に力を入れた。  「きみに謝られても私の目は見えない。だったらそんな言葉は無意味よ」  「これから罪を償わせてください」  浬の真意を計っているのか瑠衣子はしばらく口を閉ざした。  「……恵介が言ってた通りね」  「どういうことですか?」  瑠衣子は質問に答えず、口元に笑みをつくるだけだった。  「事故の内容は訊いた?」  「原付で二ケツして、お姉さんにぶつかりました」  「でも一つだけ付け加えて。あなたは後ろの子に目隠しをされたってこと」  瑠衣子の言葉にレストランでの出来事を思い出した。あれは暗闇が怖かったのではない。視界を奪われた恐怖を身体が覚えていたのだ。  「姉さんそれはどういうこと?」  「恵介は事故のことほとんど知らなかったわよね。私が母さんたちに口止めしたから」  瑠衣子は昔を懐かしむように続けた。  「あの日は夕方から突然雨が降ってきたのーー」  傘を持っていなかった瑠衣子は急いで駅から実家へ向かい、近道である裏道を使った。  車を避けながら走っていると、前方から猛スピードの原付が来た。すぐに浬たちのグル ープだと分かったらしい。  道の端に移ってやり過ごそうとしていたら、浬の両目が同乗者に隠されているのが見えた。  瑠衣子に気付いていた浬は、ハンドルを切って避けようとしていたがタイヤがスリップしてしまい、運悪く瑠衣子と衝突した。  そして瑠衣子は瞳から光を、浬は記憶を失った。   瑠衣子の話が終わると浬は魂が抜けたように呆然とした。 確かに記憶を辿るとぶつかる前は真っ暗で なにも見えなかった。  ハンドルを切ったのは覚えている。  でもそのあとは身体が痛み、焼けるほどの熱で悶えていて、あまりの苦痛に気を失ってしまった。  「事故のあとすぐにご両親は謝罪に来てくれたのよ」  「そんな……」 「慰謝料も病院代も多めに支払ってもらえた。とてもやさしいご両親ね。あなたはずっと愛されていたのに、それと気付かず悪いことばかりして」  「本当に両親には感謝しています」  瑠衣子は口元を柔らかく綻ばせた。  「目が見えなくなって気づけたことは多くあるわ。でもよかったとは思えない。だから藍谷くんがどんなに誠意をみせてくれても、許すことはできないの」  「はい。許して貰おうとは思っていません。ただ手伝わせてください」  「なにを?」  「これです」  浬は鞄から用紙を取り出し、瑠衣子に渡した。瑠衣子は慣れた手つきで紙をなぞる。  「点字ね。藍谷くんが打ったの?」  「小説の点訳を僕にも手伝わせてください」  「助かるわ。読みたい本がたくさんあるの」  瑠衣子は口元を綻ばせくれ、涙が自然と頬を伝った。 未来に一歩、進んだ気がした。
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