第十八話

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第十八話

 「ごめん、でも教えて欲しい」  「どうしたの? いままで訊いてこなかったじゃない」  自分の容姿と机のなかの煙草をみて、現実を受け止められずに逃げるように上京した。 逃げて逃げてどこまでも逃げて。でも逃げた先にはなにが待っていた?  羽場を苦しめていたことも両親を悲しませていたこともそのままにして、逃げ続けてもなにもなかった。  だって逃げた先のいまでもこんなに苦しい。  結局、逃げ切ることなんてできないんだ。  だったら正面から立ち向かうしかない。  「お願い。僕が二人になにをしていたのか教えてください」  頭を下げると両親は困惑していた。  しばらく間を置いたあと母親が口を開く。  「小学校までは活発で元気な子だったのよ。でも中学に入ってから変わってしまった」  中学で新しくできた友だちが万引きやいじめや教師いびりをするような小学生時代から悪名高いグループだったらしい。  そのリーダー格になぜか気に入られた浬は次々に悪に手を染め、それを両親が金で解決してきたらし い。  けれどそれがよくなかった。  浬の家に金があるとわかると家に入り浸るようになり、酒に酔って家を壊すようになった。  不幸中の幸いか両親には危害を加えなかったらしいが、家は荒れ果て、近隣からの苦情もあり辛い日々を過ごしていたらしい。  そして高校生になってもその生活は変わらず、卒業式の日に浬は交通事故で記憶を失ったということだった。  話し終わった母親は大粒の涙をこぼした。  そんな辛い想いを抱えながらも浬に尽くしてくれて、どれだけ大切にされていたのかいまならわかる。  浬は泣きながら母親を抱いた。  部屋に戻って記憶を辿るがなにも思い出せない。だが母親の言葉がすとんと浬のなかに入ってきて、これが真実なのだと本能でわかる。  記憶の瓶に問いかけたが返事はない。  勝手に頭痛を引き起こして好き勝手に記憶を見せてくるとい うのに、こちらが呼びかけても反応しないのはどういうことか。  考えていると頭が茹だってきて気分転換に散歩をした。  右に左にと道なりに進んでいくと歩道のな い車通りの多い道に来るとどくんと胸が大きく鳴った。  (ここは知っている)  横すれすれに車が通りすぎるのでびゅんと突風が頬に当たる。はしに避けて歩いていないとぶつかってしまうほど狭い。  緩やかな右カーブを描いた先の電柱にへこみやなにかを擦ったような黒い跡があった。  それらを見て、記憶の蓋がぎぎぎと音をたてる。  記憶の波が押し寄せてきて浬のなかを浸食する。パズルのように空白の記憶がはめられ、すっと血の気が引いた。  ーー全部、思い出した。  ここは浬が遭った事故現場だ。いや、正確には浬が起こした事故現場だ。  卒業式の日は雨だったが、グループの一人を原付の後ろに乗せて卒業記念だと喚いて近所を走り回っていた。  そこに傘を持っていない女性が走っていた。絹のように艶やかでまっすぐな髪。凛とした 芯のある目をした大人の女性。  浬はこの人を知っている。  避けようとハンドルを切ったはずなのに次の瞬間強い衝撃を受けた。 ぶつかったのだと理解するよりも早くあまりの痛みに意識は遠のいてしまった。  『姉さんは交通事故に遭ったんだんだ』  羽場の言葉がリフレインする。  お姉さんを事故に遭わせ光を奪ったのは浬だ。だから羽場は浬のことをずっと恨んでいたのだろう。  どんな気持ちで羽場は浬といたのだろうか。 胸が苦しくて涙が止まらなかった。
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