第二十一話

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第二十一話

 しばらくすると羽場の両親が帰ってきて、事故のことを改めて謝罪した。二人とも困惑した様子だったが、瑠衣子の助言もあり気持ちは受け取ってはもらえた。  浬がお暇しようと腰をあげると羽場も立ち上がる。  「俺も帰るよ」  「もう帰るの?もう少しゆっくりすればいいのに」  「これ以上大学は休めないよ。そもそも父さんが骨折したぐらいで呼び戻さないで欲しい」  言葉はきついのに、羽場の表情は穏やかだ。 「すまんなぁ」と父親は頭を掻いているのを目を細めて見ている横顔は安心しているように見える。  きっと心配して新幹線に飛び乗ったのだろう。  「行こう」  「えっ、でも」  「藍谷くん」  瑠衣子が母親に手を貸してもらいながら、玄関まで見送りに来てくれた。  「恵介のことよろしくね」  「はい」  「早くしないと終電に乗り遅れるぞ」  瑠衣子たちに頭を下げてすぐ駅へ向かい、最終の電車に飛び乗る。ギリギリ新幹線にも間に合いそうだ。  席についた途端、浬は気絶したように寝入ってしまった。今日一日で浬の世界は大きく変化し、気を張っていた糸がぷつりと切れた。  「着いたぞ」  耳をくすぐる声に意識が浮上し、やさしい眼差しの羽場と目が合って、堪らずシャツを掴むとその手をやんわりと包まれた。  一歩先を行く背中を眺めていると羽場は急に立ち止まった。  「俺にとって藍谷浬は、関わりたくない男だった」  羽場は夜空を見上げている。  「学校でも暴れ、街でも暴れ、問題を起こしてばかりだった。おまえたちは地元みんなから嫌われてたよ」  両親の顔が浮かび、胸が痛い。  グループのリーダーに抜擢されたとき必要とされているとちょっとでも思ってしまった自分を恥じた。 本当はみんなが悪さをしたときの防波堤にされただけで、浬を信頼してのことではなかった。  それでもみっともなくしがみついた。  「一人になるのが怖かったんだ」  スポーツや勉強が得意ではなかった。そんな平凡な浬は相手に媚びを売って仲間にしてもらう以外の術を知らない。  集団のなかにたった一人でいること。  周りがグループを作っていくなか、取り残された カスは無視されるかいじめられるかの二択だ。  そうなりたくなかったのに結局はカス以下にまで落ちぶれてしまった。   羽場は振り返り、街灯の明かりがス ポットライトのように降り注いでいる。  「昔、藍谷に助けられたことがあったんだ」  「覚えてるの?」  「忘れるわけないだろ」  そのときのことを思い出しているのか、羽場は眩しそうに目を細めている。  いじめは嫌いだ。自分ひとりが標的になるなら仕方がないと諦めがつく。  けれど他人を貶めて笑い者にするグループの連中のことを心底嫌っていた。  羽場は学校一の秀才で格好よく、教師や女子が一目置いていた。それが気に喰わなかった連中が羽場をボコボコに殴って、情けない姿を写真に撮ろうと計画していた。  それを知った浬は羽場に連中が待っている道にいかないように遠回りをさせたことがあった。  あのときは名乗っていなかったが、見た目でわかったのだろう。  「それで藍谷を見直したんだ。しかも上京して大学に進学すると聞いたときは驚いた」  「みんなと縁切りたかったから、こっそり受験してたんだ」  「勉強するの大変だっただろ」  「毎日徹夜してたよ。もうこんな思いでいるのが嫌だったんだ」  でも浬がいなくなることを察した連中が浬を貶めようとして、偶然居合わせた瑠衣子を巻き込んでしまった。  「僕が受験なんかしないで、ずっとグループの犬として生きていけばお姉さんは光を失 わずに済んだんだよね」  なにをしても裏目に出てしまう。 地元を離れようとしたから事故を起こし、羽場の家族を失意のどん底に突き落とした。  泣いたって許されないのに涙が勝手に溢れる。  「同じ大学に入って、監視しようとした。またなにかしでかしたら、制裁をくわえてやるつもりだった」  羽場の恐ろしい執念を聞いてぞくりとした。自分の人生をかけてまで浬に復讐したかったのだろう。  羽場の気持ちを考えると胸が痛い。  これからどんな罵詈雑言を浴びせられようと暴力を振るわれようと受け入れなくてはいけない。   浬は次にくる痛みを想像して目を瞑った。  「記憶をなくしても藍谷は変わらなかった。やさしくて人を思いやれる藍谷にたぶんずっと惹かれていた」  握られている手に力が込められて浬は顔をあげた。温かい体温に強張った心が溶かされていく。  「浬が好きだ」  呼吸すら忘れて羽場の瞳を見返した。黒曜石の瞳に憎しみも悲しみもない。 けれど浬は首を振った。  「羽場くんの気持ちは嬉しい。それだけで充分だ」  また羽場を苦しめてしまうかもしれない。同じ過ちをしてしまうかもしれない。それが怖い。  「ずっと苦しいよ。藍谷に会ってから。復讐したいやつを好きになって、自分でもどうかしてると思ったよ」  「そうだよ。普通じゃない」  「でも好きになった」  射貫かれるような瞳で一直線に浬の胸を射貫く。  「憎むだけの毎日はただ苦しいだけだった。だから星空を見ながら進みたいと思ったんだ」  点字のような星は未来を光り導くように輝いている。  (また僕は背中を向けてしまっている)  過去が怖くても、逃げるのをやめようと決めたばかりじゃないか。  「僕も好きです」  涙が溢れて頬を伝った。    「浬は泣き虫だな」  そう揶揄する羽場も泣きだす寸前のように顔を歪めて笑った。
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