于吉が雨を降らす~『捜神記』~

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孫策(そんさく)】175年~200年  後漢末期の武将。江南(長江(ちょうこう)の南方)地方を支配していたが、殺害した呉の太守、許貢(きょこう)の部下に襲撃されて重傷を負い、後事を弟の孫権(そんけん)に託して亡くなった。  弟の孫権が後に呉の皇帝を名乗り、魏蜀呉(ぎしょくご)の三国時代の幕開けとなる。 【于吉(うきつ)】生没年不詳  後漢末期に道教の教えを始めたとされる。  中国の史書『三国志』には東晋(とうしん)の頃に書かれた『江表伝(こうひょうでん)』の内容を紹介している。  この当時、琅邪に于吉という道士がいた。  東方に住み、呉会(ごかい)呉郡(ごぐん)会稽(かいけい)一帯)を回り、精舎(せいしゃ)(道教の宮)を建て、布教活動を行っていた。護符や霊水で病気を治療し、無数の信者があった。  ところが孫策が呉郡(現在の江蘇省(こうそしょう)浙江省(せっこうしょう)をまたぐ一帯)の城門(当時、都市部は、敵からの襲撃に備え、城壁で囲まれていた)の楼上で宴会を開いていたときに、于吉が門の下を小走りに通り過ぎた。  宴会に参加している武将たちの大半が于吉のもとに駆け寄るのを見た孫策は腹を立て、理由もなく于吉を捕え、武将をはじめ、信者たちの嘆願にも関わらず処刑し、首を市場に晒した。  信者たちは于吉が死んだとは考えず、彼への信仰が揺るぐことはなかった。  
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