②儒家の限界から老子の出現まで

1/1
前へ
/24ページ
次へ

②儒家の限界から老子の出現まで

 紀元前六世紀の群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の春秋時代、儒家(じゅか)(儒学の思想グループ)を開いた思想家の孔子(こうし)が現われた。  孔子は()の国の宰相だったが、失脚してからは各国を遊説して回り、思いやりの心「(じん)」をもって政治を行うことを説いた。  紀元前四世紀の戦国時代の儒家の思想家、孟子(もうし)は、孔子の思想を発展させ、 「人間は本来善である」 と「性善説(せいぜんせつ)」を主張。  各国を遊説し、「仁」による政治の必要性を主張した。  だが全くの理想論だったため、国家の安定には何の役にも立たなかった。  孟子は弱小国家だった(とう)文公(ぶんこう)より 「(せい)の国に侵略されそうだが、どうしたらよいか」 と尋ねられ、 「斎の侵略はいかんともし難いが天命を信じ、善政を敷かれよ」 と全く無責任な理想論で答えている。  儒家の理想論では社会の乱れを救うことは出来ないと批判がたかまった。  こうした中、老子の思想が登場するのである。
/24ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加