彼が見た地獄

3/3
前へ
/34ページ
次へ
「……嫌だっ……もう嫌だ……帰ろうイーリャ……」  ぼろぼろと大粒の涙を溢しながら、ショウは掠れた声で呟く。  誰よりも大切な人が惨たらしい姿にされてしまったことも、それがよく知る後輩の仕業であり、さらに本人には罪の意識などかけらもなかったことも、これまで本物の悪意に触れたことがなかった彼の胸を引き裂くには、あまりに充分過ぎた。  彼がもはや一刻たりともこの状況に耐えられないことが痛いほど理解できてしまうイリヤもまた、苦しげに顔を歪ませる。 「ごめんねショウ……僕が愛したりしたから、お前も道連れだ……」 「違う! 俺がっ……俺の方が、ずっとお前を愛してる……!」 「……そっか。そっかぁ……嬉しい……ありがとう……」  満面の笑みを浮かべたイリヤの頬を、一筋の涙が伝う。  血と混じり赤く染まったその雫が、彼を抱えるショウの腕に落ちたその時、奇声にも似た甲高い笑い声が静寂を突き破った。 「アッハハハハハ! 愛かぁ! 尊いねぇ⁉︎ 愛に犠牲はつきものだよねぇ⁉︎ 死ねええぇぇ‼︎」  まるで地獄を見ているようだった。  イリヤの長い悲鳴が止んだ後、血の海に横たわる二人の前に、裸の男が立っていた。  血まみれの前髪をかき上げて悪辣な笑みを浮かべた彼は、ひとしきり二人を罵る言葉を吐いた後、狂ったように大声で笑いはじめた。  茫然自失の状態に陥りながらも、雄士はふと違和感を覚えた。  ロスは何故、一切こちらを見ないのだろう?   思えばさっきまでのイリヤとショウもそうだった。まるで自分達の存在をすっかり忘れてしまったかのように声がけに反応せず、こちらを一瞥もしなかった……。 「賢人……?」  導き出された一つの可能性を否定して欲しくて、雄士はすがるように隣に立つ賢人を見上げた。  しかし彼は俯いたまま、雄士の方を見ようとしない。  嫌な予感をより濃く感じながら前方に向かって手を伸ばした雄士は、途端にきつく唇を噛んだ。  何か目に見えない膜のようなものが、指先が触れた部分の景色を歪ませている。 「……今すぐクラウドの壁を解除しろ」 「……」 「彼らはシンビアントだ! まだ間に合う! さっさと俺を解放しろ! 命令だ!」  雄士は賢人の胸倉に掴みかかり、目を真っ赤にして叫んだ。  けれどどれだけ叫んでも、ロスはこちらにまったく気づかない。やはりロスが現れた瞬間から、賢人はクラウドの壁で自分達の姿を覆い隠していたのだ。
/34ページ

最初のコメントを投稿しよう!

13人が本棚に入れています
本棚に追加