シスター・マーメイドの告解

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 弟の遺体は公爵家預かりとなった。衛兵とは汽車駅の前で別れ、ファイナとパーシヴァルは公爵家へ連れて行かれる。  パーシヴァルはこんこんと眠っていた。医務室に通され、ファイナは必死に背負った恋人をベッドに寝かせる。リューゲン公爵はカーテンを半分だけ閉めて、なぜかドクターが座るような位置にある一人掛けのソファに座った。手前にあった丸椅子を顎で示され、ファイナもそこに腰掛けた。  静かだった。心の糸が緩んだのか、ファイナは急に身体が重くなった気がした。いけない、と自分を叱咤する。ここはまだ敵地。簡単に気を許しては殺されかねない。けれど公爵家の執事が部屋の奥から出てきて、ファイナの前にハーブティーのカップを差し出したので、どうにも調子が狂ってしまう。ハーブティーは、ラベンダーとレモンを思わせる、フルーティでフローラルな薫りがした。  リューゲンもカップに口をつけ、小さく息をついた。切れ長の目をファイナに向ける。 「もうほとんどわかっているが、改めて聞く。お前の──」 「あなたの望みは何だったんですか?」  先にファイナが切り込んだ。執事が片眉を上げるのが気配でわかったが、彼女が無礼を謝ることはなかった。  リューゲンも咎めず、口を開いた。微かに言い淀む。それから淡々と告げる。 「お前を買った老人は、私の医術の師匠だった」 「えっ!?」  ファイナは一度に開示された真実に混乱する。  つまり、公爵家が一等優秀な医師との繋ぎを持っていたのではなく、リューゲン公爵自身がその優れた医師だったということ? いや、それよりも……  ファイナは老人との日々を思い浮かべたが、痩せた裸の躰と萎びた性器しか思い出せなかった。あとは書斎と……そのくらいだ。書斎には確かに医術書もあったが、他の兵法や占星術に関するものと同じくらいの量だった。幅広い見識の持ち主だったのだろう。 「そう、だったんですね。……すみませんでした、私も、……弟も」  エリー。胸に亀裂が入ったような痛みを感じた。ファイナは意識的にそのことを考えないようにして、目の前の男と向き合う。 「……どうして俺を庇った?」  ファイナの謝罪を聞きもせず、リューゲンが尋ねる。ファイナはハーブティーに口をつけた。ゆっくりと答える。 「命は大事なものだから。……なんて言いたいところですが、簡単ですよ。弟にこれ以上人を殺させたくなかっただけです」 「そうか。……俺を恨んでいるか?」 「……まあ、多少。でもこのごに及んで捕まえようとしないでくださいね。命を助けた分の見逃しはあってもいいでしょう?」  嘘はついていない。でも、リューゲンもファイナも、心から互いのことを知ろうとはしていない。彼らはどこまでも貴族と庶民だ。平行線が交わることはない。 「フン。庶民は卑しいな」 「褒め言葉です」  ファイナはルージュの掠れきった青紫の唇を笑みに歪めてみせる。  それにリューゲンは何か言おうとするように息を吸って、やめた。彼の灰色の瞳に、虚空を見つめてぼんやりとするファイナが映っている。 「物思いに沈んでいるところ悪いが、お前にはそこで寝てもらう」  「ええっ!?」ファイナは我に返った。 「屋敷には血液がない。俺の型は基本的に誰とも適合しないが、お前なら可能性くらいはあるだろう。調べる価値はある。見たところ姫鱗病だろう。あの鱗やら何やらは血によって作られるからな、貧血には血しかない。先に言っておくが、お前に手を貸す義理はないからうちの使用人の血を流させるのはお断りだ」  リューゲンが一気に捲し立てるものの、その半分もファイナは理解出来ない。ファイナは自分が利用出来そうにない学問の書物は目を通していないのだ。彼女は自分の能力が非凡でないことを理解していた。 「なっ、急に何の話ですか? 血? ど、どういうことで……」 「──お前の恋人が死にかけている」  リューゲンは端的に宣告する。 「…………え?」  ファイナは愕然とし、ふらりと立ち上がった。振り返って、引き千切るのではないかというほど乱雑にカーテンを開け放ち、恋人に駆け寄る。 「だ、だって結ばれたんですよ。きっと寝てるだけですよ。ずっと病気だったから、疲れてて……」  寝顔を食い入るように見つめ、手を鼻と口の少し上に当てて空気の動きを確かめようとするが、次第にファイナの顔色が悪くなっていく。パーシヴァルは息をしていなかった。  まるで水死体だ。剥がれきってシーツに散らばった水底色の鱗が、ファイナの指先を掠めた。冷え切った硬質さが心臓を氷のようにする。 「疲れで人は死ぬぞ、ファイナ。いいから寝ろ。そして──」  ファイナが無力感に膝をついたとき、張り詰めた糸がぷつりと切れる。意識が急激に遠のいていく。誰かが、おそらくリューゲンがファイナを抱き上げて隣のベッドに寝かせた。 「ありがとう、ございます……先生……」  半ば無意識の言葉だった。五感が遠のいていく中、ハッと鼻で笑う声が最後に聞こえた気がした。 *  聖国の教えのひとつに、双子は忌み子である、というものがある。起源は定かではない。神様がそう仰るなら、それが正解なのだ。  とある国にも、その教えの犠牲になろうとしている子供達がいた。本来は殺さなければならない。しかし愛情に満ちた両親はそれを嫌がった。 「ととさまに預けましょう。大丈夫、本当のことは黙っているの。貴男が流行り病に罹ったということにしましょう。村二つ分も離れているのだから、貴男が本当は元気だなんて、誰もととさまに教えたりはしないわ」  片割れは母方の祖父に預けられた。祖父が娘の嘘を見抜いていたのか、片割れにはわからない。だが祖父は自分の子供のように片割れを育てた。片割れにとってはそれだけで充分だった。  やがて、戦争が始まった。祖父は軍人だった。片割れは彼に痛いほど抱き締められ、その大きな背中を見送った。片割れはそれから漁村の女達から見守られ、ほとんど一人で生きることになった。炊事に洗濯に畑仕事。彼は日焼けすると肌が真っ赤になるから大変だったけれど、それでも頑張った。祖父が帰ってきたら褒めてもらいたかったから。  それは、片割れがそんな生活に慣れ始めた頃だった。 「……じいちゃんが、死んだ……?」  その知らせを届けたのは母を名乗る女だった。漁村の人達は片割れに同情するあまり、伝えることができなかったのだ。しかし二つも跨いだ村の女が祖父の死を知っているのなら、そこには本当に血縁があるのだろうということが片割れには理解出来た。  片割れは三日三晩泣き暮らしたが、それでも悲しみが薄れることはなかった。その間、母はずっと側にいてくれた。片割れがまともに口がきけるくらいに落ち着いた頃、母はようやく片割れが双子の片方であることを告げ、最後に今後の話をした。 「女のふりをしなさい。男だと見抜かれては駄目、戦争に行かされる」  片割れは頷いた。まだ第二次性徴の来ていない片割れは、背も肩幅も何もかもが小さくて、声も女の子のように高くて丸いものだった。  その後、母は自分の守るべき子供のもとへ帰っていった。母の住む村にはもう人間がほとんどいないらしい。そんな中、子供を置いて片割れのもとに駆けつけたのだった。 「こんなことになったなら、もう双子でも関係ないわ。あの子に説明したらまた来てもいいかしら? 今度こそ、一緒に暮らしましょう」  往復、だいたい一ヶ月くらい。そう聞いていたから、片割れはその倍の時間を誰もいない小屋で過ごした。母が帰ってくることはなかった。何かあったことは確かだ。戦時中の治安は最悪だ。パンを一切れ持っていただけで袋叩きにされ、持ち去られる。そもそも女の身ひとつでここまで来られたことが奇跡だったのだ。  片割れは襤褸着の裾で目を擦って、漁村を出た。戦争から逃れるためだ。海の近くでずっとずっと船を待った。片割れを連れて行ってくれるのなら、どこの国でもいい。片割れには学がなかったから選択肢を知ることも出来ないのだ。しかし何の因果だったろう。片割れの忍び込んだ船が行き着いたのは、聖国だった。  密入国を果たした片割れは、そこで一人の女と出会う。片割れはもう慣れっこの女言葉で彼女に笑いかけた。 「アタシはパーシヴァル。あなたなら、パーシーって呼んでくれてもいいわよ?」
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