シスター・マーメイドの告解

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* 「──ルーシー!」  ファイナが目を覚ましたとき、彼女の肩には包帯が巻かれていて、そこから伸びる手首には小さな絆創膏が、そして指先は恋人の手と繋がっていた。パーシヴァルの手は温かくて少し湿っている。すう、と穏やかな寝息が聞こえ、ファイナの意識は過去から現在へ浮かび上がり、また微睡んでしまう。  しかし、バタンと勢いよく扉の開いた音でファイナの眠気はどこかに行ってしまった。半身を起こして出入り口の方を見ると、リューゲン医師が仁王立ちしていた。ファイナは慌ててベッドを降りる。 「完治した」 「ッ、本当ですか!? よかった……ありがとうございます、本当に……」  胸の奥がじんと熱い。ファイナは涙を浮かべ、リューゲン医師を見上げた。そこで、あれ? と思う。リューゲン医師の氷壁のように冷たい顔がなんだかおかしい。唇の端が柔らかに上がって、頬も緩み、目は細められ…………笑って……いるような……?  不気味だ。ぶるりと震えるファイナを他所に、リューゲン医師はパーシヴァルに掛けられた毛布の上にぴらりと二枚の羊皮紙を落とした。見ろと言いたげだ。ファイナがそれを覗き込んだとき、ちょうどパーシヴァルも目を覚ましたところだった。二人の視線が文字と図解を追う。 「ひとつ、面白いことがわかった」  99.99。リューゲン医師は、二人の名前の横に記された不思議な数字を指差して告げた。 「お前達、双子の兄妹だったぜ」  ファイナとパーシヴァルは正反対の、でもよく見ると瓜二つの表情を浮かべる。医務室に二つの絶叫が迸った。  カフェーは他国から持ち込まれた文化だ。戒律を踏み躙りながら、異国人が二人、水煙草を蒸かす。手元には装丁という言葉も知らないようなぼろぼろの本がある。  女は胸の零れ落ちそうなワンピースに硬派なジャケットを羽織っており、仄かに花の薫りがした。匂い立つ肌は今日も健在だ。指先には数箇所の切り傷。頁を捲るときなたまに肩をピクりとさせるくらいで済んでいるが、手先の感覚はこれから取り戻していくしかないだろう。夜は少し困るかな……と思ったりするくらいで。 「新しい職業くらいはそろそろ訊いてもいいわよね?」 「ええ。シスターよ」  少女のような男は、暫し子猫のようにジッと恋人を見つめた。恋人は「本当よ」と肩をすくめる。 「ここの店員も楽しかったけど、結婚するなら……続けるのはちょっと。そういう趣味の人に粘着されると困るもの」 「じゃあ、溜まり場は変えなくちゃならないのね。アタシの部屋でいいかしら?」 「ベッドでもいいわよ」  男はフスッと鼻だけで控えめに笑った。彼は女に「自分のことをもっと大事に……」とは言わない。そう思いたくなるよう、自分がドロドロに甘く大事にしてやるつもりだった。だから女の冗談にも付き合う。……まあ、もともとそういうヒリつくことを言う友達同士だったから、別になんてことないのだが。  レースの手袋で頬杖をつき、男はすらりと長い白磁の脚を組む。その視線は本の中に沈み、何かを考えているようだった。 「子供は作らないわ」 「私もそのつもりよ」 「そもそもアタシ、別に籍を入れなくてもいいのよね。一緒に居られたらそれで」 「フッ。私もそうよ」 「仕事も、新しいのを見つけてきたわ」 「なに?」 「漁師」  アハッ、と女が大口開けて笑う。「最高」とも。 「さっきから賛成してばかりだけど、大丈夫なの?」 「ええ。前からそうだったでしょう? 服の趣味も、本の趣味も、全部おんなじ」 「…………そうね」  男は目を伏せ、リップの塗られた小さな口でグラスを呷った。彼はあまり酔わない質なので、この行為に意味はない。女の最後の営業に付き合っているのだ。案外キリリとした(まなこ)が、女を見上げた。 「運命に抗う準備は出来てる?」 「あら、聞いたことない? 双子って前世の恋人同士だそうよ。正に運命じゃない」  格好をつけているのだろう。キンと冴え渡って微笑みもしない女は、目の奥だけでキャッキャと咲っていた。男は彼女の人生を思った。  彼らは医者の去った病室で、これまでのことを語り合った。そこに嘘はひとつもなかった。盛り上がりさえした。けれど。 ──「面白いものを見せてもらった。代わりに、そこの馬鹿の罪は帳消しとしておく。感謝しろよ」  公爵が言い残した言葉を信じてはいなかった。  だから男は、これから女と世界から逃げ続けることになる。女は一人なら身軽だ。けれど、男は……強くて美しい彼女に限ってなら荷物になるだろう。あの病は鱗という小金をくれたが、それも全て公爵が── 「パーシヴァル」  久しぶりにちゃんと名を呼ばれ、顔を上げる。 「あなたも“お姫様”なの?」  何もかもを見抜く翡翠の瞳だった。パーシヴァルはしばらく黙っていたが、ガタッと椅子を鳴らして急に立ち上がる。カツ……カツ……と高らかにヒールを鳴らして数歩だけ歩き、女の椅子の側で跪いた。店中の視線が集まるのを感じながら、パーシヴァルは一度深呼吸する。 「ミス・ファイナ」 「……なあに?」  パーシヴァルは立ち上がる。胸に手を当て、カーテシーのように腰を低くして頭を下げた。祖国で使われている王族への礼だ。深く深く膝を曲げる。背中は真っ直ぐに。  ファイナはパーシヴァルが何をしているのか気がついた。パーシヴァルは礼をやめて直立し、恭しく頭だけ下げて手を差し伸べる。 「……わたくしと結ばれてくださいますか、姫君」 「従者の分際でよく言えるわね」 「愛は王にも負けませぬ」  クッ、とファイナが喉で笑いを堪える。パーシヴァルも床を見ながら笑っていた。  砂と泥で煤け、毒の煙のくゆる、不埒な店。世界一最低で、世界一自由な場所。カフェーの観衆は「あーもうやめやめ」みたいな顔で席に戻り、新たに誕生したカップルから視線を外した。二人は傍から見て女同士だったが誰もそんなことは気にしない。気にするのは教会だけで、この場は無法者の集まりだから。  パーシヴァルの手が何かに触れる。キュ、と握られる。ファイナの手はひやりとしていて、少しだけ柔らかかった。パーシヴァルとファイナは全然似てない顔でおんなじ表情になって手を繋ぐ。 「よろこんで!」  その後、懲りもせずに教会の門を叩いた。やっぱり神は二人を祝福しなかったが、二人は満足げに中指を立て、新しい家に帰っていった。
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