シスター・マーメイドの告解

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 くゆる煙草と香ばしい珈琲の匂いが立ち込める店内。男達の視線を集める、二人の美人がいた。  片方は真っ白でフリルがたっぷりとしたブラウスを着て、ブラックを啜っている。座高からもわかるほど小柄で、白く長い首をふわふわに巻かれた金髪が隠している。顔立ちは華やか。自睫毛が長くて羽根のように厚く、瞬きの度に風を起こしているような錯覚を覚えるほどだ。  長い足を斜めに揃えてと同席している女は、すらりとした背筋の分を省いてもかなり背が高い。肩幅の狭さや豊満な胸と尻は色っぽく、しかしどこか淑やかな印象を受ける。顔立ちは精巧に整っている。目を大きく、鼻筋はすうっとしていて、唇は薄いが上唇と下唇の色合いがどちらも均等に薄紅色だ。  一見して対象的な二人だったが、男達が耳をすませると、彼女達の密接な仲が窺えた。 「そうなのよ。許されざる恋だからって諦めちゃうのが、甘ったれてんじゃないわよって思って感情移入出来なくなっちゃったの。本気なら突き進むべきでしょう?」  低い男の声で華やかな美人が話す。 「従者はまだやる気だね。お姫様だけ、なんか浮いてるっていうか……もちろんそっくりな人達の恋愛じゃ映えないのはわかるんだけど……これだから貴族って嫌」 「まあ、ファイナ、大胆ね。この国じゃなかったら殺されてたわよ?」 「あらパーシー、うっかりさんね。友達の性格を忘れるなんて。私はそんなに簡単に捕まえられる女じゃないのだけど」 「あーん、素敵!」  二人は角の丸くなった本をテーブルの真ん中に置いて、適宜指をさしながら話している。威勢が良い割に繊細な方がパーシヴァルで、ちくちくと刺すような話し方をする方がファイナだ。どちらも、根っこにルサンチマンを抱いているという点でとても良く似ていることがわかる。  全ての頁に指摘を入れるのではないかというほどに二人はずうっと語り合っていたが、手元のカップが空になった頃、突然パーシヴァルが立ち上がった。 「ごめん、煙草に酔ったみたい。ちょっと外出てるわ」 「大丈夫?」 「もちろん」  言いながらも、パーシヴァルは今にも何かを吐き出すのではないかというほど口を強く押さえている。ファイナは一抹の不安を覚えたが、「わかったわ」と頷いて見送った。  それから四半刻ほど経っただろうか。カップにはとっくに二杯目のブレンドがなみなみと注がれ、ファイナはぬるくなったそれに口を付けた。さすがに遅すぎる。カップを一気に傾けて飲み干すと、ファイナは席を立った。  ドアベルを鳴らして外に出る。海風のように粘つく塩の匂い。そこで、ファイナは我が目を疑った。扉から軒先まで、鉱石をスプーンで削り出したような欠片が点々と散らばっている。そのひとつひとつは微妙に色が違っていて、共通するのは青や緑、黒といった、深い水底を彷彿とさせる光を放っていることだ。  (うろこ)、だろうか。爪染めが剥がされたのだとするには妙に非人工的に艶めいていて、美しすぎる。でもどこか無惨だ。そう感じさせるのはきっと、湖のように反射光を揺らめかせている重なり合った鱗の中心に、パーシヴァルが倒れているためだった。それでも次から次へと新しい鱗が、パーシヴァルの肌から抜け落ちていった。 「パーシー……?」  ファイナはふらふらとパーシヴァルに近づいたが、彼は「駄目よ!」と彼女を止める。口を動かしたことで、頬に浮かび上がった鱗がパキパキと音を立てて零れ落ちる。 「これは……鱗に触れたら、感染るの。聞いたことがあるわ……」  ファイナもその病名を知っていたが、信じたくなかった。  姫鱗病(ひりんびょう)。絶対に幸福になれない片思いを拗らせると突如発症する奇病で、愛し合う者との口付けがない限りは絶対に治らない。重篤化すると、肺の側に(えら)が刻まれ、鱗や(ひれ)を作るために血液が浪費されていき、最後には──溺死する。  ファイナは十六のときにこの聖国にやってきた。  聖国は神に祈りを捧げることを最上の歓びとし、信徒達は厳しい教義に縛られはするものの、奴隷制度などの罪深い事柄はすべて唾棄される、表面上穏やかな国だ。だが信徒でなければリスクよりもリターンが大きい。生まれた瞬間の洗礼を受けていないファイナはカフェで水煙草を吸うことも、肌を見せるようなお洒落をすることもできる。  ファイナは、そんな聖国でパーシヴァルと出逢った。そのときパーシヴァルはテラスでジンジャーエールを片手に本を読んでいた。ファイナはパーシヴァルの美貌より、彼の身につけている可憐な服に目がいった。思わず話しかけると、パーシヴァルは気を悪くした素振りもなく、それどころかファイナのお気に入りのバッグを褒めてくれたのだ。ファイナはいっそう彼に惹かれた。一目惚れと言っても良かった──後に、パーシヴァルもそのときファイナに一目惚れしたのだと教えてくれた──。  二人は意気投合した。二人が同い年だったのもあって、小説の話やファッションの話など、話題は尽きない。話すのは趣味のことばかりで、お互い過去に触れなかったのもむしろ二人を強く結びつけた。そうして二人は二十歳になった。そして、パーシヴァルが倒れた。 「ねえ、誰のことが好きなの? 協力する。だから──」  ファイナはベッドに力なく横たわるパーシヴァルの手を握り、頭を擦り寄せた。  パーシヴァルは「駄目よ」と彼女のつむじの辺りを弱々しく撫でた。その腕には(ひれ)じみたものが入れ墨のように走っている。 「大事なコなの。アタシのことで困らせたくないわ」  パーシヴァルは告白すらするつもりがないようだった。それどころか、死を受け容れているようにすら見えた。  ファイナは親友を死なせたくなかった。パーシヴァルの諦念に満ちた微笑みを見るたび、痩せ細っていく頬に触れるたび、その気持ちは強まっていく。いっそファイナがパーシヴァルの心を上書きして、彼に愛された人に成り代わって唇を奪えたなら。そう思う夜もあった。だが、お姫様は我儘だと相場は決まっている。例に漏れず姫鱗病も、思いの通じ合わない相手とのキスはなんの薬にもならない。むしろ毒だ。まるで天罰のように、死を齎してしまうと聞く。  不可能。それを突きつけられたとき、ファイナはパーシヴァルのことがどれだけ大好きなのか思い知った。もうたぶん、これは恋だ。卑怯な自分の中に、こんな強い心が残っていたことに驚きながら、ファイナは覚悟を決めた。パーシヴァルを救うことは出来なくても、少しでも生きて、隣にいてもらえるよう手を尽くそう、と。  翌日、ファイナは教会の扉を叩いた。教会は祈りを捧げるだけでなく、民の病を癒やす役割も備わっている。しかしそれは門前払いに終わる。ファイナとパーシヴァルは洗礼を受けていない。信徒でなければ、救いは与えられないのだ。ファイナは自分を叩き出した牧師を睨みつけ、その場を去った。洗礼を受けていなくたってファイナ達は教義に縛られていないわけではない。血の道の日は外に出てはいけないとか、双子は殺されなければならないとか、そういう嫌味な最低限の戒律を守らされて生きているのだ。まあ水煙草はやっているけれど……でも、理不尽だ!  ファイナは気の強い女だった。だから、こんなところで諦めるはずがない。  翌日、ファイナは汽車に乗っていた。行き先は火国。元敵国によって既に植民されてしまった、ファイナの生まれ故郷だ。
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