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年甲斐もなく、恋をした。
長年営む喫茶店。
最近はレトロ喫茶ブームらしく若いお客さんが増えた。
彼女もそんな若者の一人だった。
長い黒髪に黒いセーラー服。
近くの女子高の制服だ。
来店すると決まって窓際の席に座る。
重そうな鞄からノートと筆記用具を取り出しテーブルに広げると、何やら思案しながら文字を書く。
その姿に私は、ライターをしていた亡き妻を重ねてしまった。
可愛らしい顔立ちと大人しい雰囲気も似ている。
意識してからは彼女が来店する度に緊張してしまった。
年齢的に娘のような少女に恋愛感情を抱く自分を恥じた。
だからこの気持ちは心に秘めたまま、墓まで持って行こうと決めていた。
「あの」
彼女のテーブルに水の入ったコップを置き、カウンターに戻ろうとした私は不意に呼び止められた。
無口な彼女に話し掛けられるとは思っていなかったから、私は大袈裟なくらいに驚いてトレイを落としてしまった。
「……大丈夫ですか?」
「……ハハ。すみません。手が滑ってしまいました」
落ち着け。
トレイを拾い上げて彼女に向き直る。
「何でしょうか」
「あの……マスターはどんな人が好みですか?」
聞かれたことの意味は理解できた。
しかし彼女の意図が分からなかった。
「教えてください」
見上げてくる真っ直ぐな瞳。
誤魔化すことは許されそうにない。
「……そうですね。物静かで穏やかな方でしょうか」
私が答えると、彼女はそれをノートに書き留める。
「好きな食べ物はありますか?」
「……チーズトーストが好きですが」
彼女はまた、私の答えをノートに書いた。
それから更に彼女の質問が続く。
他に客が居ないから拘束されても問題は無い。
興味を持たれているのは正直、嬉しかった。
そんなやり取りが十五分ほど続いただろうか。
したい質問が無くなったらしく、彼女は私に礼を言う。
何の為に。
私を知りたかったのか。
淡い期待を抱きそうになる。
「今日はクリームソーダをお願いします」
平然とオーダーする彼女が私を冷静にさせた。
彼女は私に好意を持っている訳では無い。
ただの戯れだ。
「あ」
何かを思い出したように彼女は再びノートを開いた。
「すみません。もうひとつだけいいですか?」
「構いませんが……」
彼女が満面の笑みで問う。
「男性を好きになったことはありますか?」
彼女が何を考えているのか分からなかった。
私の戸惑いを察したのか、彼女は慌てた様子で捲し立てる。
「あ、あの、別に深い意味は無いんです。マスターくらいの年齢のイケおじが身近に居なくて観察出来なくて。観察?じゃなくて研究?マスターはカッコいいのに彼女さん居ないみたいだし。それなら男性が好きなのかもって思って。その設定ヤバいなって」
「……はぁ」
「ごめんなさい!悪気は無かったんです!」
落ち着いて話を聞くと。
彼女は【腐女子】と呼ばれるタイプのオタクで。
男性同士の恋愛を描いた小説を自作しているとか。
偶然、入ったこの店で私の姿を見て、小説の登場人物にしたいと思ってしまったらしい。
「毎日通ってみたものの、マスターは私に話しかけてくれないから会話のきっかけも無かったんです」
「……そうでしたか」
「小説はキャラ作りが大切だから、マスターの人となりを参考にしようと思って」
「なるほど」
「……気を悪くしましたよね」
小さな身体を更に小さくして落ち込む彼女。
確かに驚いたが怒ってはいない。
むしろ彼女が私をイケおじと認識してくれていたことが嬉しかった。
「私が登場する小説が出来たら。読ませてください」
彼女は心底驚いた様子で顔を上げる。
「駄目ですか?」
「いや……ダメというか……マスター分かってます?ボーイズラブ」
「何となくは」
「マスターがその……若いサラリーマンとかと恋愛する話ですよ?」
「大丈夫です」
「大丈夫と言われても……」
私はカウンターの奥に置かれた妻の写真に目をやる。
「慣れていますから」
亡くなった妻もオタクだった。
好きなキャラクターに私が似ていたから結婚したと言われた。
そのキャラクターの二次創作BLを読んだこともある。
「……素敵な奥様ですね」
「はい。とても楽しい人でした」
「まだ好きなんですね。奥様のこと」
「はい」
妻のことは一生、愛し続ける。
そう心に決めている。
「もったいないです」
「何がですか?」
「マスター、カッコいいのに」
「やめてください。勘違いしてしまいます」
「カッコいいしオタクに理解あるし。結婚したいです」
「だから……」
胸に軽い衝撃があった。
驚く私に、抱き着いた彼女が笑う。
「勘違い。してください」
年甲斐もなく、した恋は。
思わぬ形で成就した。
【 完 】
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