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ショーケースの中に佇むその姿に目を惹かれた。
手帳はこれまでいくつも買ってきた。
書き切れないほどの文章を書いてきたわけではないが、少なからず、それぞれにメモ代わりと書き込んでいったものはある。
夢を叶えるだとかは言われているけれど、せいぜい取引先とちょっといい条件で交渉がうまくいきますように、なんて軽いものを書くべきかどうか悩んでいるうちに時間が過ぎていくもの。
予定を忘れず書くようにするくらいで、それほど価値を見出していたわけではなかった。
今やデジタルで物事が進む時代だ。
どうせ、書かなくても情報の整理はできるだろう。
実際、ペンと紙よりタップスワイプのほうが断然共有がしやすい。
そういう風に思いながらも、自分はどこか、足元がふわふわとしていた。きっと、どうしてもやりたいもの、が見つからなかったからだろう。
ふんわり決めた職場で、決められた目標をめざして凡庸に生きることを繰り返していた。、
自分も良い年齢になってきた。趣味らしい趣味もなく、配偶者がどうこうしたいと言ってきたから、そうする、のような日々が続いていた。
なにかご趣味は、と言われてとっさに返した読書も、今や電子書籍で事足りる。物理的にどうしたいがなかなか見つからないまま、ふらりと書店に立ち寄ったときのことだった。
「……あれ」
いつもなら目に留まらないはずの手帳がそこにあった。
新しいシリーズでも出たのだろうか。自分はそこまで几帳面にデータを追うようなタイプではないから、自分の知らない間に新作が出ていることだってあり得るだろう。
この店のサンプルはだいたいくたくたになっているものが多い。
けれど箱詰めされているアクリルの向こう側には、確かに凜とつやを一段階落としたそれ。
――気になってしまった。
書店併設の文具店はいくらでもある。
でも同じものが、ここ以外にあるかどうか。
ちょうど品出しが終わったのか、店員がこちらに気付いてやってきた。
慌てて自分は声をかけた。
「すみません、これって」
「ああ……展示なんですよ」
「展示?」
それにしては丁寧にしているようで、していない気がするけれど。
「そこに置いていたら、誰かしらは足を止めてくれるでしょう?」
「……まあ、確かに」
「実際廃盤らしいんですよ。同じメーカーでももう同じものは作っていないらしくて」
似たようなものはあるんですけど、やっぱりこれがいいと言う根強いファンもいるくらいで、と彼女は朗々と話し続けている。
その熱さが、若干うらやましいと思わなくもなかったが、自分のトーンはそれほど上がらなかった。
「……そう、なんですか」
「ご入り用でしたか?」
「ああ、ちがうんです。その、もっとお金を貯めたら、こういう自分だけの手帳ってやつを買おうと思ってて」
ただ見てて、目に付いただけなんです。すみません。
だらだらと言い訳のような言葉を呟いていたのをしっかり聞かれたのかどうかはわからないが、そうですね、と店員はしばらく考えたような素振りで、言った。
「……では、あなたがそれと思う額を持ってきていただいたら、お譲りしますよ」
「え、っと、そ、……そんな、いいんですか」
展示、と言ったばかりではないか。
自分も買うと言ったわけではない。
なのに、どうして、というニュアンスは伝わってしまったらしい。
「いつまでも置いておくばかりではいられないでしょう」
ここは販売店ですから、と店員は言った。
しばらく考えたけれど、答えは出なかった。
「じゃ、じゃあ……年内には、必ず」
「はい。楽しみにしていますね」
「あ、ハイ……」
でも、これを逃したらきっと。
何も変わらないじゃないかと思って、そう言ってしまった。
自分の思う金額って、とは思ったけれど。
それに見合うだけの価値、と考えるとなかなか難しい。
帰路の道中、価格帯を調べようと思ったけれど、野暮だなと思ってやめた。
自分が売るならいくらだろうか。
そう考えているのが、すこしだけ楽しくなってきたのだった。
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