蠱惑Ⅱ『酒仕込み唄』

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「疲れたし」  二入は諦めました。 「僕見て来ます。折角香川さん推薦の資料館を見学しなければ一生後悔します」  階段を駆け上がったのは高卒で今年入社した毛利でした。毛利はやさしい子です。居場所が無い私に常に声を掛けてくれます。『さすが大先輩のアドバイス、勉強になります』が私の前では口癖です。お世辞と分かっていても嬉しい限りです。  私は万年幹事です。この会社には40年勤めていますが役職はありません。事務処理の仕事をしております。算盤とか簿記とか、商業高校を優秀な成績で卒業して、会計処理の仕事をしていました。しかし今はそんなもの全く必要とされなくなりました。子供の時からパソコンをおもちゃ代わりに弄っていた子供達には会計ソフトがあれば私の算盤術も簿記も不要の長物となったのです。当然私にはソフトを駆使することは出来ず、若い孫のような社員の世話役的存在になったのです。 「香川さん、飲み会したいんですけど、どこかいいお店紹介してくれませんか?」  孫のような社員に頼まれても今じゃ不快な気はしなくなりました。 「ああいいよ、どんな飲み会?男だけ、それとも女の子が混じるのかな?」  40年で培った経験が有望な社員の手助けとなるならと割り切るようになりました。残り二年で定年です。それまで若い後輩たちのために幹事に徹するのが私自身の為でもあるのです。  バスの集合時間が過ぎました。バスガイドが何回も往復して人数を数えています。私は幹事ですのでいつも運転席の後ろに席を取っています。 「誰かな、いないのは?隣を見てみて」  私が後ろに声を掛けました。 「毛利君です」  女の声が帰って来ました。
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