蠱惑Ⅱ『酒仕込み唄』

7/10
前へ
/10ページ
次へ
「今日はラインが動いていますね。素晴らしい」 「はあ?ラインですか?」 「ええ、先日は人形と思っていましたがよりリアルに酒蔵体験が出来ました。旅行の時も動かしていただいていたら全員が資料館に足を運んだと思います。実に残念」 「はあ」  女将には私の喜びが通じないようでした。そりゃ毎日観て「いれば飽きるでしょうから、初めての見学者とは感じ方が違うのは当然だと納得しました。 「ところで女将さん、先日旅行の時に、資料館に上がった青年がいたのを覚えていますか?」  私は思い切って聞いてみました。分からなければ仕方ないが、聞かずに帰れば悔いが残るし、課長に子供の使いと笑われるでしょう。 「資料館に見学に上がられたあの若い方ですよね。覚えておりますがどうかされましたか?」 「実は、資料館に上がった切り戻って来ていないんです」 「戻っていないと言うのは会社にですか?」 「ええ、会社にも自宅アパートにも戻っていないんです。あの日からずっと」  女将は首を傾げたが想い出すことは何もない。 「そうですか、それは心配ですね、親御さんもご存知ないんですか?」 「まだ実家に確認した訳ではありませんが、アパートの大家さんが彼の親御さんと懇意にしているので間違いないと思います」  私は女将に礼を言った。序に大吟醸の四合瓶を二本買いました。そして帰り際に、駄目押しで、毛利のラインビデオ電話に掛けました。呼び出しはなります。 「香川さん、どうかされましたか?」  毛利が出ました。私は驚いて喉が詰まりました。 「すいません、休憩終了です。すぐに仕込みの続きですのでまた」  電話を切られました。仕込み中とはどういうことだろう。毛利の電話のバックミュージックはどこかで聞いたような民謡調でした。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加