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6-7. 梓恩、使いを頼まれる
「いろいろとややこしいところをすっとばかすと、珠妃さまのお祖母さまの死因は、痘瘡だったようなんですよ」
生姜茶、雪糕、また生姜茶…… 温冷かつ苦甘の無限ループって、すっごく幸せ ―― と、それはさておき。
わたしは端木将軍に説明を始めた。
わたしが考えた、珠妃の痘瘡の侵入経路。それは、いたってシンプルだ。
「珠妃さまのお祖母さまは亡くなられたとき、彩水のあたりに住んでおられました…… 前に端木将軍がおっしゃっていたとおり、嵩家の地元ですね」
「そうそう。嵩桂晶どのは、ご実家とはそりが合わなかったが、あの土地を愛しておられてね。そこで、貧しい者たちを支援しながら隠居生活を送られていた」
「そうだったんですね……」
端木将軍の懐かしむような口調 ―― 嵩桂晶こと珠妃の祖母は、多くの人から敬愛された女性だったんだろう。
「で、まあ、いくら仲の悪いご実家でも、亡くなったあとの処理は、嵩家がなさったのだと思います。ですが、タイミングが悪いことに、ちょうどそのころ、珠妃さまご妊娠の噂が出始めた……」
ここからは推測にすぎませんが、と断り、わたしは言葉を続けた。
「寵愛第一位の珠妃に、お子までできては、ますますご自身への寵愛が遠のいてしまうと、思われたのかもしれません…… あせった嵩妃さまの目の前に、たまたまぶらさがったのが、痘瘡で亡くなった珠妃の祖母の遺品でした…… きっと、使えると考えたでしょうね」
「つまり、嵩妃だと言いたいのかい?」
「直接でないにしろ、なんらかの指示をした可能性はありますよね」
嵩妃、最近は、ほかの妃とも仲良くなって、莉妃を誤解することもなくなってきていたように見えたのに…… こんなことに、なるなんて。
もしかして嵩妃、また、体調が悪くなっていたんだろうか。あるいは、珠妃の妊娠を知って、心が引き戻されてしまったのかもしれない。蕁麻疹が治ってないころの、被害妄想に満ちた苦しい時間に ――
そんなの、信じたくは、ないけど。
「あくまで、可能性ですよ?」
「そうだね…… ともかくも、桂晶どのの遺品の一部が燃やされず、珠妃に届けられた可能性は、たしかにある」
「はい」
わたしはうなずいた。
―― 誰かが痘瘡で亡くなった場合。その遺体も遺品も、あとかたもなく燃やされる決まりだ。痘瘡の病邪を、清めるためである。
経験から生まれた、感染をなるべく防ぐための知恵だが…… 残された人々にとっては、さびしく、やりきれないだろう。
だからこそ、なんらかの方法で病邪を払った、とでも説明されれば。
彼らは、受け取ってしまうはずだ ―― 痘瘡のうみやかさぶたがついた遺品を。
「遺品が、珠妃さまだけにしか届けられていないとすれば…… いま後宮で痘瘡を発症しているのが珠妃さまだけであること、理屈が通ると思います」
「意見が一致したね、梓恩どの…… ただし、証拠がないのが問題だが」
「証拠、でてきませんか?」
「まったく。ここ1ヵ月ほどの間の尚宮局の記録をチェックしたが、珠妃に、祖母の遺品にあたりそうなものは届いていない。もちろん、ほかの妃にもだ」
「それはまあ、記録に載せない方法を選ぶでしょうからね…… もし、そのつもりなら」
「まあ、そうだね…… で、誰だと思う? 珠妃に遺品を届けた者は」
「さあ、それは……」
わたしは、あいまいに口をつぐんだ。
頭に浮かぶのは、以前、雨水のある夜にやってきた客 ――
後宮での品のやり取りは、妃どうしのものも外部から入ってきたものも、すべて尚宮局で記録されることになっている。けれど、あの雨水の夜の客ならば…… 記録に残さず、こっそりと物を持ち込むことも可能だろう。
なにしろ彼は、宦官試験に受かったばかりの一般庶民にすぎないわたしを、あっさりと皇太子づきにできる権限を持っているのだから。
だが、ここで彼の名をあげても、その根拠は示せない。
わたしが (やる気はないけど) 暗殺者であることを、端木将軍に勘づかれたら―― わたしは全力で逃げるだけでいいが、巽龍君の身が危ない。次に送り込まれてくるのは、きっと、本気の暗殺者だ。
「―― 誰かは知りませんが、内侍の上のほうのかただと思います。これ以上は、端木将軍のほうで調べていただかないと、わたしでは、とても」
言いかけて、端木将軍がじっとわたしを見ていることに気づく。
「どうかされましたか?」
「梓恩どのは、痘瘡にかかったこと、あるかい?」
「ないです」
「ほんとうに?」
「なんでそこ、疑うんですか」
養生の習慣のおかげで、丘疹ひとつない美肌をキープできてるはずなのに……
「どっかに痘痕っぽいの、できてます?」
「いや、きみだけ、この状況でも落ち着いてるから…… 最近は痘瘡騒ぎのおかげで、みんなピリピリしてるだろう?」
あ、そういうことか。
「…… 子どものころ実家で、牛痘にわざと、かからされました」
「牛痘?」
「わたしの育った地元では、牛痘にかかると痘瘡にならない、と知られていまして。牛痘にかかった牛が出ると、わざわざ病邪を移してもらいに行くんです」
端木将軍は 「ほう」 と目を見開いた。 「また太医に調べさせよう」 とかつぶやいてる…… この世界でもそのうち、痘瘡ワクチンができるかもしれない。
「なら、すまないが、梓恩どの。きみが珠宮で、事情を聞いてきてもらえないだろうか。大理局はいま、珠宮に対してなにもできなくてね」
端木将軍は 「大理局の者は誰も、痘瘡にかかったことがないんだよ。珠宮には近づけない」 と、ためいきをついた。
「だが、珠宮の封鎖がとけるまで待つと、調査が遅れてしまううえに、証拠品を始末されてしまうかもしれないだろう? 私も焦っているんだ」
「そういうことなら、行ってきます」
「助かるよ。巽龍君と珠宮と衛尉には断りを入れておこう。きみに、珠妃の見舞いに行ってもらうと」
衛尉局は、皇帝と後宮を守る近衛隊だ。このたびの珠宮の封鎖にも、ここから何人か派遣されているはず。
「見舞いの品は、私から後程、別に届けさせると珠宮に伝えておいてもらえばいい。それなら、きみも、すぐに行けるだろう?」
「まあ、そうですね…… でしたら、侍女のかたに珠宮の門まで出て待ってもらうように言ってください。さすがに、宮の中には入れませんので」
「わかった」
端木将軍が3つ伝令を飛ばすのを待って、わたしは大理局を出た。
さて、珠妃の祖母の遺品のこと、どうやって聞き出そうか ――
小さな蝶がひらひらと舞う、錆水沿い。珠宮に向かう道を、考えごとをしながら歩いていると、背後から 「梓恩んんん!」 という叫び声が聞こえた。
「梓恩んんんん! しばし、待つのだ!」
「かしこまりました」
振り返ると、東宮のほうから、全力で走ってくる人影 ―― 巽龍君だ。
わたしのそばで止まると、肩で息をした。
「ふうううう…… どうだ梓恩! 速かったであろう!」
「はい、とても…… で、どうされましたか、坊っちゃま」
「端木将軍から伝令をもらったのだ! 珠宮への見舞いなら、私も行くぞ!」
「坊っちゃまは念のため、おやめになったほうが…… 痘瘡がうつられては大変です。ご伝言などあれば、承りますが」
「うむ! そうか! なら、こちらの扇を渡してくれ! 尚功局に急ぎ作らせていたのが、さきほどやっと完成したのだ!」
巽龍君は漆塗りの箱のひもを解き、わざわざ、中身を取り出してみせてくれた。
1枚の絵扇。裏面は桃の花に流水をあしらった珠妃らしい模様だが、表面に描かれているのは、なかなかにシブい ―― 目と角がいっぱいついた白牛が、古めかしい衣裳のイケオジに口にくわえた薬草を渡している場面だ。
「白澤・黄帝図 ―― 疫病退散祈願ですね」
「うむ! 扇そのものが 『散』 を意味する道具であるからな! 白澤・黄帝図を描けば効果倍増というものであろう!」
「なるほど…… さすが、坊っちゃまでいらっしゃいます」
ほんと、なんて良いタイミング。いま巽龍君が実は神の転生者、って言われても、驚かないわ。
「扇でしたら、珠妃さまも喜ばれましょう。お元気になってからも使えますし」
「うむ! 梓恩もそう思うなら、間違いないな!」
「では、行ってまいります」
「うむ! よろしく頼むぞ、梓恩!」
巽龍君の背が遠ざかるまで見送り、わたしは再び、珠宮へ向かった。
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