2-6. 梓恩、珈琲を試作する

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2-6. 梓恩、珈琲を試作する

 わたしの隣では、亜芹(アキン)が治療を終えてすっかりきれいになった白牛 (たしか雪嬢) の頭絡(ロープ)を肩にかけ、ひざまずいている。証拠とするためにわざわざ、ひいてきてくれたのだ。  そしてわたしの目の前には、ひざまずかされた()妃と侍女の桜実(オウジツ)。  ふたりとも、驚いたような顔でこっちを見てる。わたしが弁護するとは、思ってなかったみたい…… 桜実とはこの1ヶ月ほどで、会えば挨拶しあうくらいの仲には、なってたのに。くすん。 ―― 「その程度で他人を弁護する者がいるとは、誰も考えぬのではないか?」 とは、皇太子殿下こと巽龍(ソンリュウ)君のコメントだ。わたしが再審理で莉妃の弁護をする許可を求めたとき、そんなふうに言っていた。  殿下は弁護を即決で許可してくれたけど、なんか面白がってるようでもあったような……  いやいやいや。前世の日本なら、目の前で見ず知らずの他人が倒れたって救急車呼ぶでしょ?  顔見知りなら、なおさらでしょ? 「誰しも顔見知り程度の他人に余計なことをして、足元を(すく)われる原因をつくるのは避けたいものだ」  ―― いくら皇族とはいえ、まだ12歳の子どもにこんなこと言わせるって…… いまさらだけど、後宮こわい。  足の引っ張りあいをするより、助けあえる環境にするほうがいいのにな。  ま、ともかく。  わたしとしては、いつ(すく)われるかわからない足元を心配するより、就職して早々に推しが処刑されるような事態のほうを、むしろ避けたい。  周りのひとたちをできる限り大切にして平和に暮らすのも、養生のひとつだしね。  もちろん、こんな考え方にそぐわぬ人たちもいる。  いまちょうど、端木将軍をはさんで反対側からわたしをにらみつけているキツめの美女とヒゲ面のお偉いさんが、それだ。 「では、その小連翹(しょうれんぎょう)の件が、司牧の落ち度であったと申すのか!」 「そなた、わが(スウ)家をおとしめるつもりか? いくら巽龍君(皇太子殿下)付きとはいえ、一宦官にすぎぬくせに……!」  口々に叫ぶ、司牧令(司牧部長官)と嵩妃 ―― 嵩妃は 『実家が献上した白牛に呪詛をかけた』 かどで莉妃を訴え出た張本人であり、司牧令は嵩家の系列出身だった。なるほどね。 「―― いえ、むしろ、司牧の落ち度というよりは皇帝陛下のご指示に問題が」 「なっ…… なんと無礼な!」 「端木長官よ、この者を打ち首に処せ!」  嵩妃も司牧令も、カリカリしてるなあ…… きっと、(かん)のあたりで気血が滞ってるんだろう。またこんど、苹果排(りんごパイ)と、なんちゃって珈琲(コーヒー)(もうすぐ作れる予定) でも持っていってあげようかな。 「お静かに」  さらになにかを叫ぼうとしていた嵩妃と司牧令。だが、端木将軍のひとことで口をつぐんだ。  ―― このひと穏やかだけど、威圧感(オーラ)が怖いんだよね…… 「このたびの件はすでに陛下のお耳に入れており、陛下は白牛の放牧地の移動と飼料の変更を命じておられます。陛下は、司牧にも莉妃にも迷惑を掛けたと伝えるよう、仰せでした」 「では、莉妃は……?」  みなの視線が集まるなか、端木将軍は淡々と告げた。 「()妃および侍女の桜実(オウジツ)は冤罪。宮に帰り身体をよく休めるよう、陛下から特別の仰せです。そして、(スウ)妃および司牧令、宮正司は莉妃に謝罪のうえ、10日の謹慎。正確な調査を(おこた)り、あらぬ疑いを莉妃にかけたことを反省するように」 「なんですって!」 「陛下の(おお)せです」  (すう)妃が金切り声をあげたが、端木将軍のそっけないひとことに押し黙った。  ―― その後。  大理局の調査でさらに、司牧令は白牛の病気の原因が明かされたあともなお、責任を莉妃に押し付けようとしていたことがわかった。  司牧丞に命じ、白牛の治療の邪魔をしていたのだ。いくら情報を周知徹底しても白牛の飼料に小連翹(しょうれんぎょう)が混ざっていたり、といった事態はそのせいである ――  結局、司牧令と司牧丞は降格。  内府局の下人として宮廷のまわりのドブ掃除や灯の管理をすることになったのだそうだ。  新たな司牧令は別の妃の家系出身者が任命され、亜芹はこのたびの功績が認められて司牧丞に昇格した。  嵩妃の系列はとうぶん、要職にはつけないだろうとも噂されており…… つまりは嵩妃と司牧令は、すべてを莉妃のせいにしようとしたために、かえって実家をおとしめてしまったのだ。  それからしばらくして、冬のはじめの冷たい風が吹くある日 ―― 「おれなんかが役職にあがって、いいんでしょうか…… 人に指示するのって、慣れなくて」 「いいんじゃないですか? そのうち慣れますよ」  厨房の入口に腰かけてグチをこぼす亜芹に、わたしは平底鍋(フライパン)をゆすりながら首をかしげてみせた。  亜芹は使わなくなった小連翹(しょうれんぎょう)をわたしの頼みで大量に持ってきてくれたところ、わたしは珈琲(コーヒー)っぽいものの作成にとりかかっているところ。  昼食が終わったあとの、ちょっと平和なひとときだ。ちなみに寧凛と巽龍君とは皇后に呼ばれていて、いない。  平底鍋(フライパン)の上では、砕いたネズミモチの実がいい色に変わりつつある…… 真っ黒になるまで()れば、きっと珈琲(コーヒー)らしくなるはずだ。  珈琲の味と香りって、ようは()げだから! (強引) 「まあ、嵩妃とか前の司牧丞からは逆恨みされるかもですけど…… あっつ!」 「大丈夫ですか!?」 「火傷(やけど)しちゃいましたね。地味に痛い……」  熱々のネズミモチの実を、ついうっかり手にとってしまった…… 「亜芹さん、その小連翹(しょうれんぎょう)、とりあえず細かくしてこっちにくれませんか?」 「? はい……?」  亜芹がよこしてくれた小連翹の粉をハチミツで練って、傷口に塗りつける。  ぎょっとした顔になる、亜芹(あきん)。 「梓恩(しおん)さん!? それ、毒じゃ」 「小連翹(しょうれんぎょう)は、わたしの知っているある国ではオトギリソウと呼ばれていたんですよ、亜芹さん。意味は弟を切る草…… この草で作る傷薬の秘密を他人に漏らした弟を、兄が怒って切り捨ててしまったことに由来します」 「こわ」 「まあ、ですよね…… ともかく、それほどによく効く薬でもあるんです。使い方や量を間違えなければ、ね」  今回の件も、そうかもしれない。  ―― 牛の病気を治し莉妃をたすけたことで、わたしたちは後宮に敵を作ってしまった。  こっちをにらみつける嵩妃、めっちゃこわかったし。美女なだけに。  けど、それが悪いことだとは、限らないと思う。  だってこの世界では、多くの毒は、薬にもなるのだから……  さて、ネズミモチの実も、そろそろいい感じだ。しっかり煎ったら、次はすり鉢に移して、ひたすらごりごり。  粉状になったら、手製の布フィルターにすり鉢の中身をざっとあけて濃く煮出したお茶をゆるゆるまわしかける。  たちのぼる湯気と、お茶と焦がした実のこうばしい匂い。  このあと、ほんのちょっと香辛料(スパイス)をふりかけて、かおりと刺激を足せば……  珈琲(コーヒー)と思い込めるんじゃ、ないかな? わくわく。 「まあ、なにはともあれ……」  わたしは試作品第一号の茶杯(カップ)を亜芹に差し出した。 「ゆるゆるお茶でも、しましょうか。ねえ?」
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