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3-1. 梓恩、冬のお粥をつくる
永朝の禁城がおかれている首都、鄲京 ――
ゲームの舞台でもあるせいか、雰囲気は古代中華ふうでありながら、人々の暮らしは、そんなに古代ではない。当たり前のように使われている仙術で、そこそこ便利なのだ。
要件の伝達は伝令 (と呼ばれる仙術の一種) で瞬時にできるし。
農業も商工業もそれなりに発展していて日常生活には困らないし。
食糧の長期保存用に大型の氷室はあるし。
煮炊きだって、外観こそ石造りの薪ストーブだけど、点火はスイッチひとつの簡単仕様。
だからね。料理を作る苦労っていっても、はるか昔の水準ほどじゃない。それは確実。
なんだけど、ね。
せっかく作ったものなら美味しく味わってもらいたくなる…… よね?
「博鷹兄さん。今朝のお粥はどうですか」
「……ん」
「昨晩から雪が降って冷え込むので、からだを温める力の強い食材を使ってみたんですよ。羊肉、生姜、もち米、それから、高麗人参…… 八角と馬芹は匂い消しだけでなく、食欲を増進させます。枸杞の実と一緒に、気血の巡りを良くする働きも、期待できます」
「…………お」
「兄さん! 食事中くらい、参考書は置いたらどうですか? ながら食べは消化に良くない、っていうでしょう!?」
「だが、科挙の試験が……」
「前から思ってたんですけど、兄さん…… なんで、そんなに試験にこだわるんです? 縁故をつかえば、役人くらい簡単になれるでしょうに」
中華ふうな世界なだけあって、この国には科挙がある。けれど、役人になる道は科挙だけじゃない。知人の推薦、という道もあるのだ。
夷家は暗殺者の一族だから、政界の要人ともたぶん、裏でつながっている。たとえば、いま皇太子暗殺を依頼してきている某 (名前は知らない) は、宦官の人事を動かせるほどの実力者…… わたしがあっさり皇太子づきになれたのも、そのおかげだ。
彼に頼めば、義兄ひとりを宮廷役人にする程度、簡単だろう。
だが義兄は、本から目をそらすことなく 「縁故なんかイヤだ」 と言い切った。
「実力でとらないものに、なんの意味がある」
「もう、無駄に矜持高いんだから…… けど、消化に集中できなければ、そのぶん栄養が悪くなって、勉強にも支障がでちゃいますよ?」
「正確な観察結果でもあるのか、それ。記録表で見せてくれれば、納得してやる」
「ほんと腹立つ」
もう、ガマンできない。
わたしは義兄の手から、無理やり参考書をとりあげた。
「なんでもいいから流しこめばいい、みたいな態度は正直、イラッとします。作り手にも商家・農家にも天地にも、感謝のかけらもないんですか?」
「感謝はしてるぞ。いつも食えるものを作ってくれてありがとう」
「…… 食えるものならなんでもいいなら、いつかムササビのフン粥をつくりますよ? せいぜい、食べてから後悔するんですね!」
「ム…… フン……」
しゅっとしたイケメン顔が一瞬、サカバンバスピスになった。ザマァみなさい。
「―― という感じで、今朝は、義兄とちょっと喧嘩してきちゃいました」
夜明け前の後宮。ガラスみたいにカチッと張った空気が、鍋の火で少しずつ、とけていく。冬の早朝出勤はつらいけど、この感じはけっこう好きだ。
わたしは同僚の美少女顔宦官、寧凛にグチをもらしつつ、鍋で巽龍君のためのお粥を煮ていた。
御歳12歳の男子のための冬の朝ごはんは、豚挽き肉とネギのお粥だ。羊肉やもち米は、丘疹ができやすい子には熱が強すぎるからね。かわりに豚の赤身を使ってお肌の修復を狙う。
あとはネギと生姜で温めて、白菜と枸杞の実とキノコ類で潤わせて滋養をとって気血の巡りを良くして、かつ無駄な水分を排出……
「ちゃんと体質と環境にあわせて考えて作ってるのに、兄さんったら。チラッとも見ずに、本読みながら流しこんじゃうんだから。坊っちゃまを見習ってほしいですよ」
「…… もしお兄さんがそうしたら、逆に、頭おかしくなったと思うかもしれませんよ? というか、ムササビのフンって、なんですか」
「知りません? 五霊脂の原料ですよ。月経痛の薬です」
「えっ…… えええええ…… それ、もし嵩妃あたりが知ったら、太医院や司薬が危ないですね」
「いやいや…… それを言ったら、薬の原料なんて。知らないほうがいいものだらけじゃないですか。木乃伊とか」
「木乃伊…… たしか、止血をはじめとした、万能薬ですよね。高価なので、私はのんだことないですが」
「あれ、大昔に保存された死体ですよ」
「!!!?!?!?」
「嵩妃は月経痛がひどいんですかね? なら、水蛭なんか効くかも…… つまりは、蛭の一種の乾燥物なんですけど」
「うっ…… なんでそんな楽しそうに話せるんですか、まじに人間ですか梓恩さん」
「神様でないことは、たしかです」
この世界でも薬や農業の神様になってる神農氏は、全部の草を自分で試していたそうだ。
わたしは、そこまではいいかな。
おしゃべりしていると、お粥の鍋から湯気がふつふつと立ちだした。
浮いてくるあくを丁寧にすくい、汁が澄んだところで火をとめる。あとは冷まして味をしませて、食べる前に米を入れて炊くだけね。
デザートには栗と小豆の善哉を用意している。冬の季節の養生としては南瓜や甘薯もほしかったところだけど、この国にはまだないのだ。
「さて、と。朝食は準備できたので、ちょっと莉宮に行ってきますね。桜実さんに珈琲をわける約束をしてるんです」
「少しだけですよ? 殿下もお気に召されてるので」
「まあ、いるなら、また作りましょうよ。ネズミモチは後宮のまわりに、いくらでも放置されてるんだし。そもそもはあれ、冬至のころに収穫するものとされてますから」
ネズミモチの実で作った珈琲は、巽龍君にも好評だった。納得いくまで何回も試作したかいがあったな……
ちなみに巽龍君のお気に入りは、炒って粉にした黒豆をブレンドしたもの。蜂蜜と牛乳を入れて、甘くして飲むのだ。
―― で。なんで、それを桜実さんにわけることになったか、というと……
桜実さんいわく、先日の事件以来、莉妃がますます気落ちしているらしい。
事件のあと、皇帝は詫びの意を込めて莉妃を召されたうえ、さまざまな贈り物をされたそうだが、莉妃の元気は戻らなかった。
あの事件のとき、莉妃の実家は彼女をかばわなかった。実家がなんらかの働きかけをしていれば、莉妃は呪詛を疑われても、投獄まではされなかったはず ―― たぶん莉妃はあらためて、親兄弟からさえ見放された、自分の立場を思い知ってしまったのだ。
「莉妃さまは、この世には味方などいない、とおっしゃって…… 趣味の刺繍すらなさらず、鬱々としておられるのです」
こんな相談を桜実から受けてしまったら…… 出すしかないでしょ。
この、ネズミモチの珈琲を!
いってきます、と寧凛に告げ、わたしは厨房の戸を開ける。
ううっ、寒い……
夜が明けきる前の、薄闇のなか。
つもった雪だけがほのかに白く、莉宮への道を示していた。
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