3-2. 梓恩、珈琲を贈る

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3-2. 梓恩、珈琲を贈る

「東宮は、もう朝食の準備がすんだのね。早いわね」 「巽龍君(皇太子殿下)の朝食は、お粥と甜点(デザート)だけですから」 「えっ、それでいいの?」 「養生の考えかたとしては、朝から食べすぎないほうがいいんですよ」 「そうなのねえ。どっちかといえば、雨紗(莉妃)さまには、もう少し召し上がっていただきたいんだけど。なにをお出ししても、ほとんど残されてしまうんだもの」  ()宮を訪れると、ちょうど桜実(オウジツ)さんが朝食の支度をしているところだった。お手伝いの女官はもちろんいるけど、全体的な指示と重要な処理は桜実さんの担当ってことらしい。  ちょっと待ってね、と言われて、しばらく厨房のなかから目をそらしてたたずむ…… 見てるとあれこれ、口出ししたくなっちゃうからね。  莉妃さまは胃腸が弱めで冷えやすいタイプだから油を控えめにして、とかなんとか。 「おまたせ。何を持ってきてくれたって?」 「これです。珈琲(コーヒー)と呼んでますが、ざっくりいえば、ネズミモチの実のお茶ですね」  わたしは、お手製フィルターと黒い粉の入った袋を桜実に差し出した。煎った黒豆の粉も加えてより香ばしくし、莉妃のために陳皮(ちんぴ) (乾かした蜜柑(みかん)の皮)、乾姜(かんきょう) (蒸したあとに乾かした生姜) 、桂皮(シナモン)の粉をくわえた特製だ。 「この濾茶器(フィルター)に粉を入れて、濃くいれた熱いお茶を注ぎかけます。莉妃さまにお出しするときには、滋養に良い枸杞(クコ)茶がオススメですね。蜂蜜や牛乳を入れて、苦味をおさえてあげてください。胃腸の調子が悪いときには、飲むのを控えてくださいね」 「ネズミモチの実って…… あの、小動物の◯◯みたいな……?」  桜実さん、寧凛と同じこと言うなあ…… 「ネズミモチの実は、薬の聖典 『神農本草』 では 『女貞子(じょていし)』 という薬なんです。副作用のない上品(じょうほん)の滋養強壮薬で、肝と腎を潤してよぶんな熱をとる…… のぼせからくるめまいや、足腰のふらつき、白髪(しらが)に効くと言われていますね。女性の味方みたいな薬だと思いませんか?」 「味方……」 「そうです。女貞子だけじゃありません。芍薬(しゃくやく)当帰(とうき)川芎(せんきゅう)茯苓(ぶくりょう)香附子(こうぶし)…… この天地はいつも、わたしたちの強い味方をたくさん、育んでくれているんですよ」  前世でブラック社畜だったころに、わたしが養生にハマった理由のひとつ…… どんなにひとりぼっちなときも、本当は私たちは、いつも味方に囲まれてるんだ。生きているかぎり、世界に守られているんだ、って思えたから。  毎日、口にしている食べ物のひとつひとつが、その証なんだ、って気づけたから。  ―― 莉妃も、気づいてくれるといいな。 「こちらの珈琲(コーヒー)には莉妃さまの体質にあわせて乾姜(かんきょう)桂皮(シナモン)をまぜています。どちらも温める力の強い薬ですので、女貞子の少しからだを冷やす性質をおさえて、肝と腎を潤しつつ冷えをとり、気血を巡らせてくれると思います」 「そうなんだ。ありがとうね! さっそく、食後のお茶にお出ししてみるわ」 「莉妃さま、お元気になられるといいですね」 「なっていただくわよ」  桜実がどん、と胸をたたく。 「だって雨紗(莉妃)さまのお味方は、この天地だけじゃないわ。わたくしだって、梓恩さんだって、そうでしょう?」 「まあ、わたしは、女貞子(じょていし)乾姜(かんきょう)ほど強力じゃないかもですけど」 「なにいってるの。梓恩さんが白牛の病気を治してくれなかったら、わたくしたちは後宮から追い出されていたのよ? ―― 雨紗さまにも、きっちり思い出していただくわ」 「桜実さんがいれば、莉妃さまは大丈夫ですね」 「そうかしら」  桜実さんのほおがほんのり赤みを増した。頼れるお姉さんって感じのひとだけど、かわいいとこあるんだな。  数日後 ―― 「梓恩。明日、母君を昼餐(ちゅうさん)にお招きすることになったぞ」 「へ!? 皇后陛下を!? ……と、失礼しました、坊っちゃま。珈琲(コーヒー)をどうぞ」 「うむ…… ふう。美味である!」  昼の講義から戻ってこられた巽龍君に、いきなり、びっくりすることを言われてしまった……  わたしは寧凛のぶんの珈琲(コーヒー)を注ぎつつ、心配そうにしかめられた美少女顔に目を向ける。 「寧凛さん。皇后陛下が昼餐に、って、どういうことなんですか? はい、珈琲(コーヒー)」 「ありがとうございます…… 明日は、変なものをお出しするのは仕方ないとしても、常識から外れたものはやめてくださいよ、梓恩さん!」 「あの、寧凛さん…… わたし、まだ話がよく飲み込めてないんですが」 「うむ、それはだな!」  巽龍君がなぜかドヤ顔で説明してくれたところによると ――  わたしが赴任してここ2ヵ月で、東宮の食費がこれまでの半分近くにまで下がったらしい。  心配した皇后が、巽龍君を直々に呼んで事情をたずねたのだそうで…… そういえば先日、巽龍君と寧凛が中宮に行ってたっけ。 「それで、梓恩がいかに医学に詳しいか、いかに養生とやらを考えて健康に良く温かく美味な食事を作ってくれているかを、熱弁しておいたのだ!」 「その結果、奥さま(皇后陛下)が梓恩さんのお料理に興味を持たれまして。明日の昼食を東宮で、坊っちゃまとご一緒されることになりました」 「えええ…… そうなんですか…… しかし明日では、急すぎて大したおもてなしは、できないかもしれませんが……」 「心配ない! ヘタに取り繕われては面白くないから、あえて前日に、こちらに伝えられたのだそうだ!」 「はあ…… かしこまりました」  わたしは前世のゲームでちらっと見た、皇后のデータを思い出そうとしてみた。  うーん…… たしか、大柄な美女で、名前は(ヨウ)桃夭(トウヨウ)。だいたい姚氏と呼ばれている。  七妃のなかでは最年長、唯一のオーバー30歳。  皇后だが皇帝からの寵愛度は最下位で、正妻であるぶん、盛り返すのがかえって大変そうだとか思っていたような。  ―― たったこれだけの情報で養生食を作るって、無理ゲーなのでは? 「坊っちゃま、まことに恐れ入りますが……」  わたしは姿勢をただし、巽龍君に問いかけた。
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